第59話 薔薇に十字の棘の封蝋。
ゲオルクが蒸気船の開発を始めたころ、アイザックは、イザベラとの入籍をつつがなく終え、王から爵位を賜っていた。
つまり、アイザックとイザベラは夫婦とあいなったわけだが、その新婚生活はなんとも無味乾燥なものであった。
「………………」
「………………」
夕食の時間。アイザックとイザベラは、長い長いダイニングテーブルの両脇に座り、一言も発せぬまま黙々と食事を採る。
イザベラの背後には、護衛という名目でアイザックの息がかかった近衛兵がつき、一挙手一投足を監視されていた。
カチャ、カチャカチャ、カチャ
静寂の中、食器がぶつかる不協和音だけがむなしく響く。
イザベラは、見事なソースで彩られたカモ肉をナイフで切り、口の中へと放り込む。が、まったく味などしなかった。無味乾燥の肉が、ただただ空っぽの胃の中に落ちていき、イヤな獣臭だけが鼻にまとわりつく。
先達の言葉に『空腹こそ最高のソースである』とあるが、そんなものは大嘘だ。
「……親愛なる人と囲む食卓こそ最高のソースですわ」
「何か言ったかい? イザベラ」
アイザックの質問に、イザベラはナプキンで口をふきつつ答える。
「単なる料理の感想ですわ。このカモの血で作ったソース、少々、ニオイがきつすぎる気がしましたの……」
「そうかい? 私は好きだがね。アンバーサー産のフルボディの赤ワインとのマリアージュを試してみればいい」
「……あいにくですが、わらわは白ワインしか口に合いませんの」
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ギクシャクとした夕食を終えると、イザベラは自室へと戻る。
ドアの前には護衛がはりつき、昼夜を問わず監視をされている状態だ。が、さすがに護衛も部屋の中には入りこんでこない。
イザベラは、たっぷりと時間をかけてドアを開けると、一呼吸をおいてドアを閉じた。
ドアが閉じると同時に、目の前に一人の少年が現れた。左手には、『視断のローブ』が抱えられている。
「フィリップ、ご苦労様です。ミエルさんたちは元気にしていますか?」
「はい。ミエル様はお元気そのものです。ただ、ミエル様のお父上、ミハエル様の容体は日に日に悪化するばかり。今年の冬を越せるかどうかは、五分五分と言ったところでしょうか」
「ミエルさんの聖なる光でも癒せない病となると、神が与えたもうた運命なのかもしれませんわね……」
イザベラは話題を変える。
「月下の騎士団の動向は?」
「いままでどうり、週に一度、玉座の間でアイザックと密会をかわしています。クーデターの決行は3か月後、王宮騎士が一堂に集う王の生誕式典で、王を人質に捉える計画のようです」
「なるほど……そろそろゲオルク殿とルルにご帰還いただく必要がありそうですわね」
イザベラは机に付くと紙にペンを走らせる。したためた書を封筒に入れると、薔薇に十字の棘があしらわれたローゼンクロイツ家の封蝋を押した。
「この書を、アブラアン殿にお渡し戴けますか? 峠の山開きと同時に『北の港』に向かうようお伝えくださいまし」
「解りました」
フィリップは書簡を受け取ると、『視断のローブ』を頭からかぶり姿を消した。
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