ハウス・ドリフターズ!〜動く家で、世界を生き抜け!〜

ソコニ

第1話 空が怒った日



 空が、まっ黒に染まった。


 ぼく、結城シンは学校からの帰り道で立ち止まった。いつもの青空が、まるで墨をこぼしたみたいに変色していく。


「なんだ、あれ……」


 ランドセルの肩ベルトを握りしめる。風が急に冷たくなった。


 ゴゴゴゴゴ……


 地面が震えだした。商店街のガラスがビリビリと音を立てる。八百屋のおじさんが店から飛び出してきて、空を見上げたまま固まった。


「エア・フレアだ!」


 誰かが叫んだ。


 エア・フレア。大気爆発。テレビでは見たことがあったけど、まさか自分の町で——


 パキッ!


 空に亀裂が走った。オレンジと紫の光が稲妻みたいに広がる。きれいだと思ってしまった自分が怖い。


「シン!」


 父さんの声だ。軽トラックが猛スピードで角を曲がってきた。いつもののんびりした運転じゃない。タイヤが悲鳴を上げている。


「乗れ! 早く!」


 助手席のドアが開いた。後部座席でナナが泣いていた。7歳の妹は、ぬいぐるみを抱きしめて震えている。


「お兄ちゃん!」


 ぼくは走った。全力で。


 ドアに飛び込んだ瞬間、世界が爆発した。


 ドォォォォン!


 後ろを振り返る余裕なんてなかった。父さんがアクセルを床まで踏み込む。軽トラが唸りを上げて加速した。


「父さん、町が——」


「見るな!」


 でも、見てしまった。サイドミラーに映る光景を。


 ぼくが毎日通っていた商店街が、まるで消しゴムで消されるみたいに、なくなっていく。八百屋も、本屋も、駄菓子屋も。オレンジ色の光に飲み込まれて、跡形もなく。


「うそだ……」


 涙が勝手に流れた。でも、泣いてる場合じゃない。


「父さん、どこ行くの?」


「山だ。とにかく町から離れる」


 軽トラが激しく揺れた。見ると、荷台に変なものが載っている。小さな家? いや、ちがう。軽トラの荷台を改造して、窓とドアをつけた変な箱だ。


「なにあれ」


「あとで説明する。ナナ、ペンダントは?」


 父さんが振り返った。一瞬だけど、その目がすごく怖かった。


「あるよ」


 ナナが首から下げた銀色のペンダントを見せた。鳥の形をしている。母さんの形見だ。


「よかった……」


 父さんがホッとしたみたいに息を吐いた。なんでペンダントなんか気にするんだろう。


 ギィィィン!


 また空が鳴った。バックミラーを見ると、町があった場所に巨大な穴が開いている。まるで地図から切り取られたみたいに、きれいな円形の穴。


「エア・フレアって、こんなに……」


「規模が大きい。想定以上だ」


 父さんの横顔に汗が光っていた。ハンドルを握る手が震えている。


 軽トラは山道に入った。舗装されていない道をガタガタと進む。後ろから追いかけてくる光が、だんだん遠ざかっていく。


「あ!」


 ナナが声を上げた。


「ペンダント! 落としちゃった!」


 銀の鳥が、座席の隙間から床に転がった。そして、開いていたドアの隙間から——


「ダメ!」


 ぼくは考えるより先に体が動いていた。シートベルトを外して、転がり落ちそうなペンダントに手を伸ばす。


「シン! 危ない!」


 父さんが急ブレーキを踏んだ。体が前に投げ出される。でも、ぎりぎりでペンダントを掴んだ。


 ドサッ!


 ダッシュボードに頭をぶつけた。痛い。でも、ペンダントは手の中にある。


「バカ! なにやってんだ!」


 父さんが怒鳴った。こんなに怒られたのは初めてだ。


「でも、母さんの……」


「命より大事なものなんてない!」


 そう言いながら、父さんの目が一瞬、ペンダントを見た。ホッとしたような、複雑な表情。


「ごめん……」


 ナナに渡すと、妹はぎゅっとペンダントを握りしめた。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 小さな声だった。


 軽トラはどんどん山を登っていく。町の明かりが見えなくなった。いや、もう町なんてないんだ。


 カタカタカタ……


 荷台の小さな家が揺れる音がする。


「父さん、あれなに?」


「モビット。移動型居住ユニットだ」


「は?」


「つまり、動く家だよ」


 意味が分からなかった。


「母さんと一緒に作ったんだ。いつか、こんな日が来るかもしれないって」


 母さん? 2年前に病気で死んだ母さんが?


「エア・フレアは、これからもっと増える。普通の家じゃ生きていけない。だから——」


 ガタン!


 エンジンが咳き込むような音を立てた。


「まずい」


 父さんの顔が青くなった。


 見ると、ガソリンメーターの針が「E」のところで震えている。もうすぐ空っぽだ。


「ガソリンスタンドは……」


「この先20キロはない」


 軽トラの速度が落ちていく。エンジンが苦しそうに唸る。


 ついに、道の真ん中で止まってしまった。


 シーン……


 山の静寂が耳に痛い。


 後ろを振り返ると、はるか下の方で、オレンジ色の光がまだチカチカしている。あそこに、ぼくたちの町があった。友だちも、学校も、思い出も、全部。


「どうするの、父さん」


 声が震えた。怖い。すごく怖い。


「大丈夫だ」


 父さんが無理に笑った。でも、その手は震えたままだ。


「モビットがある。これが、俺たちの新しい家だ」


 荷台の小さな家を見る。本当にこんなので生活できるの?


「でも、動かないと……」


「なんとかする。母さんの設計なら、きっと——」


 そのとき、遠くから音が聞こえた。


 ブロロロロ……


 エンジン音だ。こっちに近づいてくる。


「誰か来る」


 ナナが怯えたようにぼくの腕を掴んだ。


 音はどんどん大きくなる。一台じゃない。何台も。


 父さんが険しい顔でつぶやいた。


「まさか、もう動き始めたのか……モビル族が」


 モビル族? なんだそれ?


 ヘッドライトの光が、暗くなり始めた山道を照らした。


 大きなトラックが3台。改造されたワゴン車が2台。そして——


 空から、ブーンという音。


 見上げると、ドローンが5機、ぼくたちの頭上を旋回していた。赤いライトが不気味に点滅している。


「動くものは、すべて獲物か」


 誰かが言った。


 ぼくは、ナナをぎゅっと抱きしめた。ペンダントが、ナナの胸で小さく光った気がした。


 もう、どこにも「帰る場所」なんてない。


 これからは、この動かない軽トラと、荷台の小さな家だけが、ぼくたちの全てなんだ——。


 暗闇の中で、何かが動いた。


 新しい世界が、牙を剥いて近づいてくる。

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