花天月地【第43話 季節外れの蝶】
七海ポルカ
第1話
夜が明けた。
夜襲はなかった。
「夜中起きていましたが、怪しい気配などもなかったようです。
森の周囲に監視を置けば、あそこは
普通の敵が相手ならば森は潜り込むのに適しているため避けるのですが、
それは有効ですね」
楽進は元気そうだった。
その隣で李典が眠そうである。
「私も夜中、軽く周囲を見回ったが、即席だが良い夜営地だと思う。
中腹まで馬が入れる。そこから
あと南の谷間に二つ明かりが見えた。
あれは村では?」
張遼に、賈詡が頷く。
「
「そうですか。祁山に砦を築くならば、祁山の様子も見えた方がいいため、あそこはいい中継地点になるかもしれない。
今日あたり、【
「将軍がよいなら、私もお任せしたい」
張遼は頷いた。
「ではそのように致しましょう」
「では我々は
「構いません。我々は南を守り監視しましょう」
「よし。では南は張遼将軍だが、楽進、李典はすぐに
築城の準備だ。物資をまず運び込み、中腹まで進んで本陣の夜営地が見える位置に見張りの部隊を置け。
東の平原は騎馬隊の突入路の一つだ。
祁山に砦を築いたあとも監視を怠れ無い場所だから、雨風を凌げるような小さな小屋があればいいな。
それから重要なのは西の【
涼州騎馬隊は恭順する、しない関わらず、必ず北に封じ込むつもりだ。
南に渡らせるといつ
つまり西、北方の動きの監視は特に重要だ。
ある程度の物資搬入が済めば、本陣の部隊も
それまではお前達にそちらは頼むぞ。
活動部隊は祁山に夜営させていいが、お前達二人は常に森の夜営地に夜は戻れ。
いいな」
「はっ!」
「了解しました」
「さて。
「気乗りしないんだね
「うん……。まあ涼州美人の扱い方は俺はどうでもいいんだが……。
とりあえずは軍は率いらずに行ってみるか。
秘密って訳じゃなく軍事行動を控える。
ということで何となく旅人風を装い、村落の規模だとか、冬を凌げそうかどうかだとかとにかく出来るだけ多くの村落の情報を集めたい」
賈詡はそこに並んでいた、徐庶、
「よし。徐庶、陸議。お前達二人で情報を集めて来てくれ。
夜営地は任せる。
張遼将軍の陣、
しかし単独行動はするなよ。
副官でも一応お前達は魏将だ。涼州騎馬隊の連中が常に馬に乗ってるとは限らんし、狙われてる可能性はある。
危険はあると思っていろ。
余程のことが無い限り魏軍であることは当分村落では内密だ。
知っての通りすでに我々は涼州を襲撃したことがあるからな。
魏軍は恨みは買ってる。
素性が知られれば身の危険の可能性は更に高くなる。
注意しろ。
まあ、普通の旅人の服でも着て行けばお前達二人なら気配は殺伐とはしてないから、大丈夫だろう」
郭嘉が腕を組んだ。
「私だけ仲間はずれかい? 失礼だよ賈詡。私だって別に君と違って殺伐とした雰囲気なんか纏ってない。私はよく宮廷人のように優雅で軍人に見えないとご婦人方に誉められるよ」
「うん。確かに殺伐とはしてないがそれだよそれ! あんたどう見ても一般人には見えないから! 村なんかうろついてたら一発で目立ってなんだあいつどこから来た宮廷人だと噂になるから! あと誰が殺伐とした野郎だ」
「私なら涼州美人から周辺の村落の情報一日で山ほど手に入れられるのになあ」
「うっ……。
まあ確かにそれはあるなあんたの場合……。
確かに色々涼州美人から聞き出してはほしいんだが……。
……。
いや! 先生はやっぱりまだ本陣にいてくれ!」
賈詡は一瞬迷ったが強く首を振った。
「今一瞬許可しようとしたのに」
郭嘉が唇を尖らせて抗議をする。
「やかましいわ。許可しようとしたがやめたんだ。
あんたが村に入って涼州美人とイチャつきまくったら、涼州男子の嫉妬と恨みを買って別に憎くもなかったのに我々に妻や恋人を寝取られた恨みとか向けられて一斉蜂起されたら困る。
あんたはとにかく
じゃなきゃ信じられないくらい普段から一般人の気配に溶け込む
「徐庶はともかく陸議君は容姿華やかだと思うよ。
どっちかというと私寄りだ。なんで陸議君はいいのに私は駄目なのかな。納得する説明を所望するよ総指揮官殿」
諦めない
「それはな。確かに
「なるほどねえ。確かにそれはあるかもな。
徐庶殿、確かに背景に溶け込むのも上手いですけどたまに町中だと浮いてることもありますもんね」
「そうなんだよ。
短パン半袖で送り込んだらちょっとは爽やかに見えるかな? 着替えてみるかい?」
「今の時期短パン半袖は逆に目立つのでは……」
楽進が真面目に心配そうにした。
「いや。今の時期とか関係ねえよ。お前別に短パン半袖でも怪しくないもん。似合うもん。
今も半袖だもん。絶対俺がそんな格好したら一分で風邪引くもん」
「何となくその無造作に伸ばした髪が合ってないんじゃないかな?
君、短髪の方が似合う気がするよ。良ければ俺が容赦なく短くしてあげようか?
そしたら涼州美人が君にも興味を持って寄ってきて色んな情報話してくれるかもしれないよ?」
「おや。
だが言っておくけど私は負けないよ。負ける気もしないし負けたこともないけども。
君が三人の涼州美人に話しかける間に私は三百人の涼州美人と仲良くなる自信がある」
「涼州そんなに美人が多いんですか」
「ものの例えだ
「私に勝つ自信があるならその勝負受けて立ってあげるよ徐庶君」
「先生徐庶別に何にも喋ってねえしあんたに喧嘩も売ってねえよ」
「……。」
好き勝手言われているが、徐庶は何の反論もせずそこに黙って佇んでいる。
隣にいる陸議の方が何と言えばいいのか……という風に居心地悪そうにしていた。
「いいなあ。二人は涼州美人を見に行けて。
私なんか
こんなひどいことってないよね……」
「うん……。先生、無意味に俺を傷つけるのやめような」
「陸議君はお姉さんに顔がそっくりなんだってね。
だとしたら相当な美人だなあ。早くお会いしたいよ」
「陸議の顔見てお姉さんの顔想像するのやめなさい先生。
よーし! 先生が完全にこの状況に飽きて来てるから早々に行動に移る!
各々、頼むぞ!」
拱手をし、武将達が散っていく。
「賈詡、早く韓遂を生け捕りにして来てよ」
郭嘉がため息をついた。
「今生け捕る準備進めてるからもうちょっと我慢しろ」
「仕方ない……
「いや頼むから朝からそんな話吹っかけて総大将の逆鱗に触れないでくれ先生。
どうせ昨日夜襲ワクワクして待っててろくに寝てないんだろ、いいから少し寝て来いよ」
「全然来なかったね……」
「悲しそうに言うな。寝て来いってば……お前その軍の総指揮官が朝から部下に寝てこいなどと言うこと普通は絶対無いの分かってるか? こんな慈悲深い俺様の助言を聞かない奴にはホントそのうち罰が当たるからな」
司馬懿がやって来た。
賈詡が一礼をする。
「
楽進、李典はすでに
祁山周辺域の村落の調査には徐庶と陸議を向かわせました」
司馬懿は頷く。
「分かった。郭嘉、暇そうだな」
「別に考えることはたくさんあるので暇というわけではありませんがね……。
ただ明日もこんなだったら【
「私はそんなことは一切許可しておりません!」
しゃがみ込んだ郭嘉がそんな賈詡の足下に小石を投げている。
うるさいお前と仲いい友達だと思われたら司馬懿からの好感度が下がるだろう、と思って賈詡は郭嘉の攻撃を無視し続ける。
「定軍山か。お前は随分控え目だな。
私はこのまま何もなかったら
司馬懿は呆れるように言った。
おいおい……と内心なってる賈詡に、
郭嘉が目を瞬かせて吹き出した。
「いいですね! それなら私もぜひお供をさせてください」
「こらこらこら……! 司馬懿殿! 郭嘉を焚き付けんで下さい! こいつは俺の言うことは聞かない! 貴方が引き留めておいてくれんと……なに一緒に飛び出していこうとしてるんですか!」
賈詡は今まで司馬懿を厳格な人物だと思っていたがこの遠征に共に出て、少し印象が変わって来ている。
アクが強いとは聞いていたが、時折自由時間を与えると、とんでもないことを言い出すのは、若干郭嘉にむしろ似ていた。
そういえば、こいつも一時期なにきっかけか分からないが、夜な夜な乱痴気騒ぎを起こして出仕もさぼっていたなどという噂を聞いたことがあったが、あれはやはり本当だったのだなと賈詡は思った。
任務に当たっているときは脇目も振らず厳格なのだが、暇な時にろくなことをしない。
一体誰だこんな奴を涼州なんていう一触即発の危険地帯に連れてきやがったのは。
俺は今となってはこいつらよりあいつの方が好きだ。
賈詡は内心、悪態をつきながら平静を装った。
「私はお前に全権を任せている。
涼州騎馬隊は夜襲を行わなかったからな。このまま拮抗状態に入る可能性があったら、退屈すぎて死にたくなる。
私は
涼州騎馬隊が動かないならば、しばらくはこのあたりで築城の雑事になる」
「お言葉ですが、築城は大変な作業で雑事ではありません。
それに天候が今はいいが、雨が降ったら更に過酷な環境に一変しますよ。
欠伸をしてる暇も無くなる。
涼州騎馬隊は雨晩の襲撃を狙ってるかも。
貴方は本陣にいてくれないと困る」
「お前がこんなに口煩い奴だったとは。
あんたが勝手な行動をしようとするから諫めてやってるんだろうがと
「生憎私は人に嫌われる方が慣れてるんでね。
涼州をよく知る私から忠告をしておきますよ。司馬懿殿。
今、涼州騎馬隊がどういう状況で残ってるかは分からない。
この地に築城すれば、それが
奴らがむざむざとそんな支配下に入ることを許すはずがない。
今に必ず忙しくなるし、
日に日に凍えて死にそうになりますよ。
今はこのあたりで最後の秋の温かさでもたっぷり有り難く味わっておいて下さい。
それでは、郭嘉大先生のお守りは暇な貴方にお任せしますのでね。
失礼!」
賈詡は一礼し歩き去って行った。
「……彼は
そうではないみたいだね」
ふん、と司馬懿が鼻で嗤った。
「奴は自分の状況がよく分かっている。この涼州遠征で手柄を立てるか、殿下を納得させるだけの規模を維持したまま許都に戻らない限り、その信任を得ることは出来んとな。
お前とは置かれた立場が違うのだ。郭嘉。危機感がある」
「へぇ……賈詡に危機感が?」
「賈詡に見捨てられたので司馬懿殿、
貴方が殿下と話しておられることでも聞かせて下さい」
「殿下と?」
「そうです。例えば
【
恐らく
呉はこのまま数年動かないのも有り得る。
孫権の子供はまだ小さいようだし、赤壁で水軍自体は温存したが、船は失ってる。
彼らも手はこまねいてはいないでしょうが、活動範囲は
「それは下手な誘導尋問か何かなのか? 郭嘉」
郭嘉はしゃがんだまま、遠くの地平線を見ている。
「曹操は
強大な石の都を造り、曹魏を作った。
曹丕殿下はその曹魏を継ぐべき方だ。
敢えて刃向かってくる曹魏の敵はどんなやり方でも駆逐するが、自ら討って出るには曹操の時代より理由や大義は求められる」
「質問が違いましたか。
劉備と孫権、どちらが好きです」
「その答えによって、お前は何か自分の行動を変えるのか。
天下統一は曹操の悲願。
まもなく曹魏は王が代わる。
郭嘉はゆっくりと立ち上がった。
「……私の王は私だけですよ。
私に夢を与え、希望を与え、生かしも殺しもする。
決断を下すのはいつだって私自身です。
大事なのは私の目の前にある事実。
曹丕殿下に、殿は曹魏を任された。
曹操殿に私は若くして才を見いだされ、重用していただいた人間なのです。
曹操殿は幕僚の中で私が突出して若いことを、喜んで下さった。
曹魏の未来を託していけるからだと。
曹操殿が曹丕殿下に曹魏を託し、
私に曹魏の未来を託して下さった。
その庇護と願いの許に、私はこの国で生かされてきたのです。
今更どこか全く別のところに行きたいなどとは思わない」
ふと、何かが過った。
蝶だ。
もっと暖かな季節に孵化しなければならないものを、こんな冬も近づく季節に目覚めて、どこか心許なげにフワフワと翔んでいる。
季節外れの蝶。
曹丕もそうなのかもしれない。
郭嘉はそう考えた。
父親から憎まれていることを、彼は知っている。
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