第30話 祈りの味
普通に来たら目玉が飛び出すぐらいの高い値段のレストラン。
それはぼく達の家庭からしたら目玉が飛び出しそう、っていうだけで中流階級の社会人なら払える金額だろう。
窓から見える景色は世界を一望できるぐらいに絶景で人間の姿が小さすぎて見えない。
ディナーが始まったばかりの時間だった。
服装を悩みに悩んで学校帰りだから、そのまま学生服で来てしまった。
それが変に浮いているような気がして、ぼくはお葬式に赤いワンピースを着た少女のようにソワソワした。
おしゃれな紳士とドレスの似合う淑女がデートで使うような店だった。
ファミリー層向けのお店ではない。母親がレストランのチケットを貰わなかったら家族で来る事はなかっただろう。
ぼくは刺すタイプの武器を手に取った。今まで見たどんなフォークよりも輝いている。
「食事が来たら外から順に使って行くのよ」
母親の声は口にテッシュを詰め込んだみたいに聞き取りづらい。
「はい」とぼくが言う。
「お兄ちゃんが、はいだって」
クスクス、と妹が笑う。
この雰囲気に飲まれて、普段は母親に使わないような丁寧な返事をしてしまった。
「お母さん、旅行楽しみだね」
とアユが言う。
来週になったら旅行に行く予定だった。
旅行といえば修学旅行しかぼく達は行ったことがない。
だから旅行、という響きだけで楽しい。
不健康に痩せた母親が皺を作って笑った。
妹が楽しみ、と呟いた。
アユは笑顔を作っているのに壊れた蛇口のように涙がボロボロと溢れた。
あれ? なんで泣いているの? 別に泣くシーンじゃないのに。
泣くシーンじゃないのに泣いているから妹が母の死に気づいたことを察した。
「どうしたの?」
と母親が尋ねた。
妹は母のミイラ寸前の骨ばった手を握った。
「私だって気づくよ」とアユは言った。
「だってお母さん鼻血いっぱい出すし、頭が痛いって動けない時があるし、会話通じない時あるし、呂律回ってないし、枯葉みたいに痩せてるじゃん」
ボロボロ、と妹が涙を流しながら言う。
ぼくは息を止めた。
お母さんは、アユには死ぬ事を内緒にしたい、と言っていた。
でも死ぬことを知っていれば母親と過ごす1秒を大切にするだろう。
だけど母親の死を知ってしまったら、まだ死んでもいないのにアユは母親の死に取り憑かれるだろう。
「チーバァから電話があった」
と妹が言った。
チーバァというのはおばあちゃんの事である。
チートなおばあちゃん。それでチーバァ。
チーバァは霊媒師だ。家族とは滅多に会わない。でも、ときどき未来を見て電話して来る。
「なんか言ってた?」と母親が尋ねた。
お母さんは一人娘だった。父子家庭のような家だったらしい。だけどお父さん、つまりぼくのお爺ちゃんはお母さんが二十歳の頃に死んでいる。
「お母さんとできる限り、そばにいなさいって言われて電話が切れた」
とアユが言った。
「そう」とお母さん。
「おばあちゃんの言う事は気にしなくていいから」
「でもチーバァには見えないものが見えるんでしょ?」
「見えるものは見ない人なのよ」
お母さんはチーバァの話になると寂しそうだった。
「そうね。お母さんのそばにいてくれるとお母さんは嬉しいわ」
ぼくはテーブルに置かれた妹の成長しきっていない柔らかい手を握った。
そして、もう片方の手でぼくは母親の腐った木のような手も握った。
そうするべきだと思った。
絶対に真実は言うまいと母親は決めているらしい。
「お兄ちゃん本当?」
「本当だよ。アユは気にしすぎだよ」とぼくは言った。
母が妹には内緒にしときたいと思うなら、ぼくは母親に従うべきなのだ。
アユに心配させたくないんだろう。
「おがあざん」
うん、うん、と母は頷く。
お母さんの死が嘘でも、勘違いでも、アユは母親の死を想像したのだ。
母親が世界からいなくなる事を想像したのだ。
母親がいなくなった未来の空白がアユに襲いかかったのだ。
ぼくは泣かないように下唇を噛み締めて体育館のように高い天井を見上げた。
ぼくの頭の中でもお母さんは死んでいた。何度も、何度も死んでいた。
誰かの死を想像する事は祈りなんだ。
死んでほしくない、と願っているから、死んでしまう事を考えてしまう。
だから生きてほしい、と祈って祈って祈っている。
アユの祈りが涙になって白いテーブルクロスを濡らす。
ぼく達3人は何かを召喚するようにテーブルを囲いお互いの手で握り合った。
生きていてほしい、という祈りが神様に届きますように。
ここはビルの最上階で、神様に近いはずだから、もしかしたら祈りは届くかもしれない。
涙を流すのを我慢したせいで料理の味はわからなかった。
料理を食べ終わってホテルから出る。
コンクリートで作られた巨大な太巻きのような柱からさらさらの黒髪が見えた。
一気に体が寒くなった。
だから夏になったら恐怖体験を人は求めるんだろう。怖いって寒いってことである。
芸人さんがスベると寒い、と表現するのは恐怖を感じているのだ。
ぼくが柱から見える黒髪を寒く感じているのは一条渚がいることを確信したからである。
ぼくは一条渚に恐怖を抱いていた。
彼女はなんてったってゾンビ子なのだ。
人を支配し、恐怖に陥れる元イジメっ子。
ソイツがぼくの後を追って家族の食事が終わるのを待っていたのだ。
家族はぼくが守らなければいけない。
「ちょっと先に帰っといて」
「どうして?」と妹が尋ねた。
「友達がいたから挨拶してから帰る」
「一緒に帰ろうよ」
「ダメだ。帰れない」
ぼくは言った。
アユやお母さんを危険にさらすことはできない。
「先に帰っときましょ」
と母親が言った。
二人の後ろ姿を見送った。
そして彼女達が見えなくなった後から、ぼくは柱の影に隠れているゾンビ子に向かった。
彼女は俯き、髪で顔を隠してぼくを見ないようにしている。
「なんでココにいるんだよ?」
言葉が震えていた。
「……イジメてくれるって言ったでしょ?」
地面が緩んだ。
いや、ぼくの足が震えている。
さすがゾンビ子、人を恐怖の淵に追いやるのが上手である。
このまま帰る事はできない。
イジメる?
ぼくはゾンビ子をイジメるのか?
イヤだ、と思った。だけどぼくには守るべきものがあって、ゾンビ子の逆鱗に触れたくなかった。
彼女が支配者だった過去がある事をぼくは知っている。
それになにより小説のアイデアになりそうと思った。いや、これは小説のアイデアになるのだ。そう思えば恐怖は和らいでいく。
今からしようとしているのはアイデア探しなのだ。
「わかったよ」とぼくは言う。
彼女の顔が髪の隙間から見えた。
真っ白の肌が赤く染まり、王子様を待っていたような表情をしていた。
ぼくの表情とは正反対だった。
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