第40話 白椿の寺、永遠の証

寺に咲く白椿は

姫と神の永遠の愛を語り続ける。


謙信の死から

さらに時が流れ

越後の地には

彼の「義」の精神が

深く深く根付いていた

春日山城は

代々の当主によって

堅牢に守られ

民は

平和な暮らしを享受していた

しかし

謙信の偉業は

すでに伝説となり

彼の死から数十年が経過した今

彼の真の姿を知る者は

ほとんどいなくなっていた

歴史書には

「越後の龍」

「軍神」として

その武勇と「義」が記されるが

彼の内面に秘められた

苦悩や葛藤

そして

綾姫との「契り」の真実を知る者は

ごくわずかだった

雪深い山里の奥に

ひっそりと佇む

古びた寺があった

その寺こそが

かつて綾姫と毘沙門が契りを交わした

神聖な場所だった


寺は

時の流れとともに

その姿を大きく変えることはなかった

古びた木々の間に隠れるように

静かに佇み

苔むした石畳が

訪れる者を

遠い過去へと誘う

日差しもあまり差し込まず

常にひんやりとした空気が漂っているが

その中には

清らかな香が

微かに感じられた

それは

永い年月を

この地で過ごしてきた

静謐な歴史の香りだった

この寺には

代々伝わる

ある言い伝えがあった

それは

「雪椿の奇跡」


毎年雪の降る頃になると

寺の境内に

奇跡のように

一輪の白い椿が咲き続ける

周囲は

深い雪に覆われ

他の草木は

寒さに耐えているというのに

この椿だけが

純白の花びらを広げ

清らかな香りをあたりに漂わせた

その美しさは

まるで

この世のものとは思えないほどだった

寺の僧たちは

その椿を

「奇跡の椿」

「契りの椿」と呼び

大切に守っていた

彼らは

その椿を見るたびに

遠い昔の物語を思い出す

それは

彼らの祖父から

語り聞かされた物語だった

「雪に咲く白椿は

姫様の願いの証

そして

毘沙門様との契りの証じゃ」

老僧は

その物語を

決して忘れることはなかった

彼は

寺を訪れる

わずかな旅人たちに

その物語を

静かに語り聞かせることがあった

しかし

その物語は

歴史書には記されない

口承の物語として

細々と受け継がれていくものだった

冬の厳しい寒さの中で

純白の花を咲かせる白椿は

希望と

そして

決して消えない愛の象徴だった


ある冬の日

一人の旅人が

その寺を訪れた

旅人は

越後の雪景色に魅せられ

各地を巡っていた

彼は

凍えるような寒さの中

偶然

この寺へと辿り着いた

寺の境内に足を踏み入れると

彼の目に飛び込んできたのは

雪の中に咲き誇る

一輪の白い椿

旅人は

その純白の美しさに

心を奪われた

彼は

画家であり

詩人でもあった

その感性は

他の誰よりも

鋭く

この世の美しさを

深く感じ取ることができた

旅人は

椿の花に近づき

そっと指先で触れた

その花びらは

ひどく冷たいが

彼の指先に

微かな温かさが伝わってくる

それは

まるで

誰かの祈りが

そこに宿っているかのようだった

その時

かすかに

清らかな香りが

彼の鼻腔をくすぐる

それは

椿の香りでありながら

どこか

遠い過去の記憶を

呼び覚ますような

神秘的な香りだった

旅人は

その椿の姿と香りを

旅の記録に書き残した

彼の筆跡は

どこか綾姫のそれと

似ていたという

その記録は

後世に

ひっそりと伝えられることになる

それは

記憶から消されようとする愛の

ささやかな抵抗だった


この寺には

もう一つ

秘密があった

それは

綾姫が残したとされる

読む者の心を揺さぶる

「呪文のような歌」が刻まれた

古い石碑だった

石碑は

寺の奥深くに

ひっそりと佇んでいた

苔むした石は

永い年月を物語るかのように

ひどく古びていた

そこに刻まれた文字は

歪んでおり

古すぎて

もはや

誰にも解読できない

しかし

その不思議な響きは

人々の間で

語り継がれていた

石碑に触れると

微かな

冷たい震えが

指先から伝わってくる

それは

綾姫の魂の残響なのか

それとも

千年の記憶を持つ

白椋の囁きなのか

誰も知らない

寺の僧たちは

その石碑を

「白椋の碑」と呼んでいた

白椋とは

雪が落ちるたびに目覚める記憶。

誰かの祈りが、名もなく咲く樹──。

その石碑は

まさに

白椋そのものだった

綾姫の願いが

言葉にならずとも

その石碑に

深く刻み込まれている

そう

寺の者たちは信じていた

石碑の周りには

清らかな空気が流れ

その存在が

寺全体を

包み込んでいるかのようだった


静は

老いてなお

この寺を訪れることがあった

彼女の身体は

すでに衰弱していたが

その瞳の輝きは

失われていなかった

彼女は

白椿の花を見るたびに

綾姫の姿を思い出す

そして

石碑に刻まれた歌を

静かに見つめた

彼女は

この歌を

解読することはできない

しかし

その響きが

綾姫の魂の叫びであり

謙信への深い愛であることは

理解していた

静は

この寺で

綾姫の詩歌を

後世へと

語り継いでくれることを

深く祈った

彼女は

姫の物語を記した

自身の記録を

この寺に

密かに残すことを決めた

それが

姫の願いを

永遠に

この世に留める

唯一の道だと信じて

静は

白椿の寺を

静かに後にした

彼女の心は

満たされていた

姫の願いは

確かに

この寺で

生き続けている

そして

その願いは

未来へと繋がれていく


越後の地は

秋の深まりとともに

穏やかな静寂に包まれていた

しかし

日本の各地では

いまだ戦乱が猛威を振るっている

謙信の「義」の光は

越後を照らし続けていたが

その光の裏には

綾姫の献身と

静の努力によって

静かに語り継がれる

秘められた物語があった

それは

「書かれないこと」の尊さ

言葉にならぬ祈りの継承

そして

記憶されない者への鎮魂

その全てが

この越後の地に

深く根ざしている

白椿の寺は

謙信と綾姫の

永遠の契りを

静かに見守り続けていた

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