第25話 義と文の融合、姫の描いた未来

戦なき世で、謙信は姫が望んだ平和な治世を築く。


川中島の戦いが終わりを告げてから

幾月かの時が流れた

血で染まった平野は

ようやくその傷を癒し

新たな命の息吹が

かすかに感じられるようになっていた

春日山城から見下ろす越後の平野は

稲穂が揺れ

豊かさを湛えている

風が

平和を謳う人々の声を運んでくる

その声は

戦の喧騒とは異なる

穏やかな旋律を奏でていた

謙信は

城の天守から

その光景を静かに見つめていた

彼の顔には

深い疲労の影が残るが

その瞳の奥には

確かな光が宿っていた

川中島での壮絶な戦いを経て

彼は

肉体的にも精神的にも

限界に達していた

しかし

信玄との魂のぶつかり合い

そして

綾姫との対話を通して

彼は

自らが歩むべき道を

明確に理解していた

もはや彼は

神性を抱えながらも

完全に人として生きることを選択したのだ

その彼の胸には

綾姫との「契り」が残した

人としての「痛み」と「慈愛」が

深く刻み込まれている


謙信は

武力による統一だけでは

真の平和は訪れないことを知っていた

戦は

一時的に乱れを鎮めることはできても

人々の心に

深い傷跡を残す

彼が目指すのは

戦なき世

民が安寧に暮らせる世だった

それは

かつて綾姫が

心から願った

「春の夢」の実現に他ならない

謙信は

政務の中心に

「義」を据えた

公平な裁き

民の苦しみに寄り添う心

そして

荒れ果てた土地の復興

それらを

彼は

自らの使命として

全うしようとした

農地の開墾を命じ

荒れた水路を整備し

新たな田畑を

次々と開いていった

飢えに苦しむ民には

蓄えていた兵糧を分け与え

冬には

薪を支給した

彼の行いは

民の間に深く浸透し

「越後の龍」としての

彼の名声は

日ごとに高まっていった


直江兼続は

謙信の傍らに仕え

その治世を支えていた

兼続は

謙信の「義」の理念を深く理解し

その実現のため

献身的に尽力した

彼は

謙信の指示を的確に実行し

荒れた国を

立て直すことに

力を尽くした

兼続は

謙信が

武力による統治だけでなく

言葉と文化で

人々を導こうとしていることに

深い感銘を受けていた

それは

かつての「謙信公」にはなかった

新たな側面であり

兼続は

その変化に

驚きを隠せないでいた

兼続は

謙信の瞳の奥に

深い慈愛の光を見る

その光は

綾姫の魂が

彼の中で

生き続けている証であることを

彼は知っていた

兼続は

静から聞いた

綾姫の物語を

心の中で反芻しながら

謙信の治世が

まさに綾姫の願いの具現化であると

確信していた


静もまた

謙信の傍らに侍り

彼の治世を

静かに見守っていた

彼女は

謙信が

綾姫の描いた未来図を

一つ一つ

実現していく姿を見るたびに

胸が熱くなるのを感じた

姫が命を賭してくれた願いが

こうして

謙信の手によって

形になっている

それは

静にとって

何よりも深い喜びだった

彼女は

謙信の疲労が

日ごとに増していることを感じていた

それでも彼が

民のために

尽力し続ける姿に

深い感銘を受けた

静は

謙信の寝所で

夜な夜な

綾姫の詩歌を口ずさんだ

その詩歌が

謙信の心を

少しでも癒すことを願って

彼女は

謙信が無事に

この治世を

乗り越えることを

心から祈った


謙信は

武力だけでなく

言葉と文化の力で

民を導こうとした

彼は

荒れた寺社を修復し

学問を奨励した

春日山城には

新たな学舎が設けられ

身分を問わず

多くの者が

学びの機会を得た

そこでは

かつて綾姫が愛した

詩歌や薬草の知識も

大切にされた

謙信は

自らも

書物を読み

知識を深めた

彼の知識は

政務に活かされ

より良い世を築くための

礎となっていった


ある日

謙信は

静に尋ねた

「静…

姫は…

どのような詩を

好んで詠んでいたのだ」

静は

謙信の問いに

わずかに目を見開いた

彼が

綾姫の詩に

興味を示すとは

思ってもみなかった

静は

胸元の懐から

大切に保管していた

綾姫の詩歌の断片を取り出した

「姫様が

お詠みになられた

歌にございます」

静は

震える声で

詩を読み上げた

それは

越後の雪景色を詠んだ

美しい歌だった

「御胸の白雪、幾夜に積もらば

安らかに 民の寝息が 降る世こそ

私が見たき 春の夢なれ」

謙信は

静の言葉に

静かに耳を傾けた

彼の脳裏に

白い椿の幻がよぎる

そして

綾姫の姿が

鮮やかに浮かび上がる

その詩は

彼の心に

深く響き渡った

この詩こそが

綾姫の願いであり

自分の「義」の根源なのだと

彼は確信した

謙信は

静に

その詩を

学舎で教えるように命じた

「この詩は

民の心に

平和をもたらすであろう」

静は

謙信の言葉に

深く感動した

姫の詩が

こうして

謙信の手によって

広められる

それは

姫の願いが

確かに

この世に生き続けている証だった


謙信の治世は

越後に

真の平和をもたらしつつあった

しかし

乱世の渦は

いまだ日本の各地で

猛威を振るっている

彼の心には

関東の民の苦しみや

いまだ続く戦乱の音が

常に響いていた

彼は

越後の平和が

一時のものに過ぎないことを

知っていた

真の平和は

天下が統一されて初めて訪れる

そのために

彼は

これからも

戦い続けなければならない

その覚悟が

彼の心に

強く宿っていた

春日山城の庭には

白椿が

ひっそりと咲き誇っている

その白い花びらは

綾姫の願いのように

清らかだった

謙信は

その白椿を

静かに見つめた

彼の行く道は

まだ遠い

しかし

彼は

綾姫の願いを胸に

「義」の道を

進み続けるだろう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る