1-2 未来からきた転校生

九月一日 職員室──


 天然パーマにメガネ姿の男性教員が声をかけてきた。


「君が一之瀬イオリ君か。よろしくね。僕は君の担任になる辰己純(たつみじゅん)です。HRの最後に君を紹介するから、その時に教室へ入っておいで」


「了解……いえ、分かりました」


少し慣れない日本語の言い回しに自分で気づき、イオリは言い直した。


 辰己先生は優しく笑ってうなずいた。


「緊張しなくて大丈夫だからね。うちのクラスは、明るくていい子ばかりだから」


柔らかい声。その“温度”に戸惑いながら、イオリは先生の後について廊下へ出た。


 クラス番号が貼られたプレート、長く使い込まれた木製の廊下、カタカタと風に揺れるガラス窓の音。蛍光灯がチカチカと頼りなく明滅し、どこか懐かしい匂いが漂っている。


(これが……2025年の“学校”か)


 未来の教育施設は無機質で、効率化された仮想空間の中に組み込まれていた。飛び級と専門教育が当たり前の社会で、イオリのような者は十代前半で大学課程を修了し、即座に任務に就く。


 けれど、こうして“同世代”の人間たちの中に身を置くのは初めてだった。肩を並べ、時間を過ごし、顔を見て笑う──それらは、データでは計れない“人間の営み”だ。


歩きながら、ふと教室のガラス越しに見えた青空に目を細めた。


過去の日本。過ぎ去ったはずの時間の中に、こんなにも生の匂いがある。


そんなことを思っていた時だった。


「ついたよ。少し待っててね」


 辰己先生はそう言って3-1とプレートに書かれた教室に入っていった。すぐに中から笑い声が響く。クラス全体が明るくざわついているのが、扉越しにも伝わってきた。


(騒がしい……けど、嫌じゃない)


 任務の時とは違う、ほんの少し胸が騒いだ。


 数分後、扉が開いた。


「どうぞ、入ってきて」


 教室へ足を踏み入れると、全員の視線がこちらに集中した。一瞬、時間が止まったように感じる。


 任務では緊張しない。常に冷静でいるよう訓練されてきた。けれど今は違う。これは「観察」ではなく、「視線を受ける側」だ。


「はい、注目〜! 今日からこのクラスに新しく仲間が増えます。一之瀬君、前へどうぞ。自己紹介、お願いできる?」


辰己先生が笑顔で促す。


イオリは一歩前に出て、教壇に立った。


「……初めまして。一之瀬イオリです。親の仕事の都合で転校してきました。よろしくお願いします」


簡潔な言葉。だが、クラスの反応は即座に返ってきた。


「え、めっちゃカッコよくない!?」「え〜絶対頭良さそう!」


女子たちのざわめきが一気に広がった。


イオリは内心で面食らったが、表情には出さない。ただ、軽く頭を下げてその場をやり過ごす。


「じゃあ、席は……白波の隣でいいか。白波、よろしく頼むよ」


「はーい!」


 その声は、とても元気で、どこか澄んでいた。


一番後ろの窓側の席に向かうと、すでに座っていた女子生徒が笑顔で顔を上げた。


「一之瀬君、よろしくね! 私、白波美月!」


その瞬間、イオリの視界が、少しだけ揺れた。


 資料で見た写真よりも、ずっと生き生きとしている。目元が柔らかく、声が明るい。作られた笑顔ではない、“日常”の中にある自然な笑み。


 ——これが、白波美月。


未来で重要保護対象とされていた少女。


「……よろしく」


わずかに間をおいて、そう返す。


「えっ、もしかして一之瀬君ってクール系? まぁ、わたしおしゃべりだから、ついてきてね!」


ケラケラと笑う彼女に、周囲の女子たちもつられて笑った。


イオリは静かに頷いた。少しだけ口角が動いたかもしれない。


(この子が……あの資料に映っていた、保護対象)


 そう考えた瞬間、その笑顔がどこか遠くに感じられた。救えなかった未来の亡霊のように。いや、違う。彼女は今、ここにいる。


この時間、この場所に、確かに“生きて”いる。


明るい教室の中で笑っている少女。


その横顔は、データで見るよりずっとまぶしかった。


イオリはそっと目を伏せた。


まだ始まったばかりの“日常”が、どこか遠く感じられた。



【報告書】

任務日:2025年9月1日

記録者:一之瀬イオリ

対象:白波美月(17歳/高校生)

任務内容:保護対象の観察・環境適応開始

任務コード:T-2025-Operation-α


【観察メモ】

•対象と初接触。明朗で社交的。人間関係にも問題なし。

•教師・クラスメイトの反応も良好。観察体制は確保された。

•自席は対象の隣。接触頻度を維持しやすい位置。


【主観的所感】

•教室の空気が予想以上に“あたたかい”ことに驚いた。

•対象の笑顔に、一瞬だが感情的反応を自覚。注意が必要。

•初日としては順調だが、感情干渉リスクに留意する。


【補足事項】

•対象は時空間技術の開発者「宗像凛博士」とのDNA一致あり。

•家系図データは災害で消失。血縁関係の詳細不明。

•現時点では対象が未来に与える影響は未確定。観察継続が必要。


【次回観察予定】

・2025年9月2日(教室内・放課後行動)


以上


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