ふたり
午後八時
第1話 ふたり
パーカーパイン通りの
「おまちしておりました、ロメリア夫人」
秘書のミセス・マスカットはにこやかに依頼人を出迎え、応接室に通します。
「ようこそおいでくださいました。吾輩が所長のデュポンです」
相談所の所長であるミスターデュポン―太った雑種のオスネコ、は応接室の机の上で依頼人を出迎えました。普段なら、依頼人は所長がネコであることや、ネコが流ちょうに人の言葉をしゃべることに驚きますが、今回の依頼人は驚きませんでした。なぜなら、依頼人は盲目だったからです。
「アルスト・ロメリアと申します。よろしくお願いいたします」
ロメリア夫人はデュポンの声がした方へ、深々と頭を下げました。見えなくても、泉のように静かな目はデュポンの位置を正確に把握します。
(ミスターデュポンは、ずいぶん小柄な方なのね)
声が下の方から聞こえてくるので、ロメリア夫人はそんなことを考えました。ネコが所長をしているなんて、夢にも思いません。
「それでは、さっそく仕事の話に移りたいのですが、あなたはどのような不思議で困っておられるのですかな」
「はい、実は最近、見知らぬ人から感謝されることがたびたびあるのです。困っているというほどではないのですが、あまりにも続くと不気味でして」
「感謝されるわけを知りたいということですな」
「ええ、そうです」
夫人の返事を聞いたデュポンは居住まいを正し、夫人を正面から見つめ、
「かしこまりました。それでは早ければ明日にでも、あなたのなやみを解決するのにぴったりの人物を派遣できますが、いかがなさいますか」
と夫人にたずねました。
「ええ、明日は予定もありませんから、来ていただいて大丈夫です」
「では明日、十四時に我が事務所の相談員を、あなたのご自宅へ派遣いたします」
ロメリア夫人が立ち去ると、デュポンは机の上のベルを鳴らし、秘書のミセス・マスカットを呼びます。
「だれを行かせますか?」
呼ばれたミセス・マスカットは、デュポンののどを軽くなでながらたずねました。体をなでられるのはいやでも、のどは喜ぶのを知っていたからです。
デュポンはなでられながらしばらく考えましたが、やがてミセス・マスカットの手を押しのけ、
「タイチがよいですな。最近ご無沙汰ですから、彼もやきもきしているでしょう。ミセス・マスカット、タイチに、明日の十四時に依頼人の家に行くよう連絡を」
といいました。
「かしこまりました」
ミセス・マスカットが部屋をでると、デュポンは机の上で丸くなり大きく息をつきました。
「こんにちは。デュポン不思議相談所のタイチと申します」
ロメリア夫人の家をおとずれたタイチは、普段よりもゆっくり、丁寧にあいさつをしました。声だけで相手に信頼感を与えるのには、早口で饒舌にしゃべるより、聞き取りやすい声で簡素に話したほうがいいと考えたからです。
(事務所の所長さんと違って、この方は背が高く、がっしりとした体格かしら)
タイチの声を聞いた夫人は、相手の姿を想像しました。実際、タイチの身長は高く、運送屋に丁度いい体格の持ち主でしたので、夫人の想像は当たっています。
「ロメリアと申します。よろしくお願いします」
「なんでも心当たりのないことで、感謝されることが続いているとうかがったのですが、間違いありませんか?」
「ええ」
「具体的に、どのようなことで感謝されたのですか?」
「最近では迷子の子どもを見つけてくれたと、見ず知らずのご夫婦に」
「失礼ですが、本当に知らない方だったんですか?」
タイチはこの仕事の話を聞いたときから考えていた、ロメリア夫人の思い違いという可能性はないか確認しました。
「本当に存じ上げない方です」
夫人はきっぱりと否定し、見えない目をタイチに向けます。
「それに、わたくしは目が見えません。迷子を見つけることなんて、できません」
タイチは夫人の言葉にうなずき、失礼をあやまると他にはどんなことで感謝されたのかたずねました。夫人は静かな目をタイチに向けたまま、“あなたの言う通りに宝くじの番号をしたら当たった”と感謝されたことや、“あなたに呼び止められたことで事故にあうのをさけられた”とお礼の品を渡されたことなどを話しました。
「それでは、感謝される以外に、何か不思議なことは起きていませんか?」
「感謝される以外に、ですか?」
夫人が一通り話し終えたタイミングを見計らい、タイチは夫人にたずねます。
「ええ、そうです。ミステリーのようなもんです。たくさんの謎に、大切な謎が埋もれてしまって、犯人がわからない。同じように、たくさんの不思議に、大切な不思議が隠れてしまっていて、あなたが感謝されるようになった原因がわからないのです。私が思うに、感謝される以前、何か普段とは違ったことが起きていたのではないでしょうか」
「感謝される以外、それ以外・・・」
「失礼ですが、奥さま」
考え込んだ夫人の横から、お茶を運んできた女中が口をはさみました。
「先日、奥さまが神社に行かれたとき、ちょっとした騒ぎがございました」
ロメリア夫人は、二か月前、山のふもとの由緒ある神社に行きました。境内へ至る階段の両脇や神社の周辺に紫陽花がたくさんあるため、紫陽花の名所として知られています。
「騒ぎ? ああ、あれはわたくしの勘違いよ」
「何があったんですか?」
不思議なことの原因がわかるかもしれないと、タイチは身を乗り出しました。
「たいしたことではありませんよ」
「いいえ、たいしたことです。人力車が先に帰ってしまうなんて、前代未聞です」
「くわしくお聞かせ願いますか?」
タイチと女中の二人から迫られた夫人は、とまどいながらも神社で体験した不思議な出来事を話しました。
「息子の七つのお祝いに、二か月ほど前、神社へ御札を納めに行きました。人力車で行き、参拝のあいだは車夫に階段下の茶屋で待ってもらいました。
ところが、御札を納めて戻ってみると、車夫がいませんでした。驚いて茶店の主人にたずねると、主人もわたくしを見て驚きました。主人の話では、わたくしは少し前に戻ってきて、人力車に乗って帰ったというのです」
「なるほど、それは不思議ですね」
「でも、わたくしの思い違いです。車夫に茶店で待つよう言い忘れたんですわ」
「そんなはずはありません。茶店の主人は奥さまが戻ってきたのを見たとおっしゃっているんですから」
夫人の言葉を否定する女中に、タイチもうなずきました。思い違いというには、不自然な気がしたのです。
「よろしければですが、ロメリアさんの記憶を、私に少しの間、貸していただけませんか? あなたの記憶を私が確認し、本当に思い違いなのか確かめたいのです」
「記憶を貸す? 何を言っているのですか?」
タイチの言葉を聞いた女中は眉間にしわをよせ、いぶかしげにタイチを見つめました。
「ピンとこないのも無理はありません。ですが、私はそういう体質なのです。もちろん、不必要な記憶をのぞいたりはしません。あくまで、ロメリアさんが神社へ行ったときの記憶だけを見させてもらいます」
タイチは、自分は他人が持つ能力などを一時的に自分のものにできる体質であることを二人に説明しました。
(人の記憶を借りるって、そんなこと本当にできるのかしら)
ロメリア夫人はタイチの言葉を素直に信じることができません。しかし、他にいい考えも浮かばないので、貸す記憶は神社での記憶だけだということを念押しし、記憶を貸すことに承諾しました。
「ありがとうございます」
夫人が記憶を貸し出すことに女中は納得していないようすでしたが、夫人がいいと言ったのではこれ以上口をはさむものではないと思い、キッチンへ引っ込みます。
「それで、わたくしは何をすれば、いいですか?」
「手を握らせてください」
本当は何もしなくても記憶は借りられるのですが、何かしらパフォーマンスを入れた方が信用されやすいので、タイチは手を握らせてもらうことにしました。
差し出された夫人の手は白磁のように真っ白でつるつるして冷たそうな手でした。触れただけで割れてしまうのではないかと思えるほど、華奢な手です。しかし、タイチがそっと握ると、思ったよりも熱い体温がしっかりと感じられました。
タイチが夫人の手を握った瞬間、静かだった夫人の目が不安げに揺れました。十秒ほど、二人は黙って手を握り合いました。
「ありがとうございます」
「こんなことで、よろしいのですか?」
「はい、試しに二か月前の神社でのことを思い出してみてください」
タイチに促され、夫人は神社でのことを思い出そうとしました。けれど、神社に行くために人力車を呼んだことや、神社から帰ってきたことは覚えていても、神社でのことは何も思い出せません。
「何も思い出せません」
「それなら成功です。では、今からロメリアさんの記憶を確認するので、少しお待ちください」
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