第25話 困っても、前へ

 背中に矢傷がある状態でも、何とかしてトロントの街にやって来たクラウスは、赤いスカーフのある宿にまで意識を失わずに、ルドミラを連れていけた。

 店主とは、一度面識があるので、すんなり中に通してもらえて、事態が事態であると判断されたようで、店主は上手い具合に誘導して、お客さんの目に付かせなかった。

 

 「がはっ・・・」 

 「君。怪我を」

 「ええ。まあ、大したことは無くて」


 二本の矢傷の痕は、まあまあ深いものだった。

 二週間くらいすれば回復するが、今はそれくらいの時間をかけていられない。

 強がりでもクラウスは、気丈に振舞うしかなかった。

 

 「いや。治さないと・・・そうだ、前にニノ君が」 

 「ニノが」

 「ああ。ジュルマの用意をしてくれたはいいんだが」

 「ジュルマ・・・ああ、あの牛のようなでかい奴ですね」

 「そう。それで、ここの兵士たちがそういう乗り物類を封鎖したようでね。使えないんだ」

 「そ。そうですか。ということは、川を渡れないようにしたんですね」

 「ああ。それって困るだろ。彼の作戦ではそういう移動をするはずだっただろ」

 「そうです」


 ここから東の川を、更に東に向かった先は、リゴン地域となる。

 リゴン地域とは、王国の三つの地域のうちの一つで、王国は二つの地域を王様が治めていて、一つの地域をストローク家が治めていた。

 これは王に権力を集中させない目的もあったが、そもそもエクセルスがロンドを信用している事から始まっている。

 なぜなら、ロンドは常に税を納めてくれていた。

 それも莫大な資金を王家に預ける形でだ。

 だから王としても無理やり領地を没収するなどはしなかったのだ。


 エクセルスとロンドはかなり良好な関係で、好きな時にこちらに来いと王は言って、会議なども常に参加する義務はなく、逆に王も好きな時に来いと、いつでも接待してやるとのやり取りがあるくらいに親族関係に問題がなかったのだ。

 なぜなら、この二家は、一度ももめた事がない。

 

 「ああ。くそ。デジャンの策が・・・ここに来て途絶えたのか」


 クラウスが下を向くと隣にいたのは、ルドミラだった。

 真っ赤な瞳がこちらを見ていた。


 「クラウス。大丈夫ですか」

 「え。ま、まあ。怪我は大丈夫ですよ。それよりもお嬢様は?」

 「私はだ・・大丈夫です」

 「大丈夫そうには見えないですね」


 やはり人を斬った感触がいまだに残っているのだろう。

 その経験が、気分の悪さに繋がっている。 

 

 「いえ。クラウスに比べたら元気ですから」

 「・・・」


 こんなに気丈な人だったのか。

 他人の心配の方を優先するのは親子で似ているんだなと、クラウスは、目の前の人がエルヴィラと似ていて、微笑んだ。


 「大丈夫。お嬢様。俺は必ずあなたを安全圏までお連れします。リゴンにさえ行ければ、あとは・・・ロンドのオヤジに会えれば」

 「ロンド・・・聞いた事が・・・」

 「お嬢様。聞いた事じゃないです。お嬢様は、オヤジは一度お会いしていますからね」

 「会っている?」

 「ええ。あなたが幼い頃に一度会っています。十年くらい前だと思いますけど」

 「十年前に。私が?」

 「はい。その時、俺も、ニノも、デジャンも。ファラさんも。あなたをお見かけしていますからね。十年前で合っているはず」

 「え。あなたも私と会っている?」

 「ええ。あなたに仕えるために、俺たちはリゴンで修行を重ねましたから・・・くっ。痛みがあってもここは進むしかないか」


 ベッドから立ち上がろうとしたが、倒れ込む。

 クラウスのダメージは、予想よりも大きかった。

 

 「駄目です。ここはクラウスの回復を待った方がいいです」

 「お嬢様。それだと間に合わない。奴らが来るのは間違いない。せめて明日までには移動しないと」

 「でも、あなたが万全じゃないと意味がないです。逃げるのなら、私とあなたで逃げたい」


 引かない主に、手を焼く。

 クラウスは嬉しさ半分、助かって欲しいから難しさ半分で困っていた。


 「では、一日でなんとかしますので、今日は休みます。でも明日から移動しますよ。川越えが無理ならば、山越えをします」

 「山? トロンコに山はありませんよ」

 「ないですよ。でもここから川沿いで北に上がっていって、山越えでリゴンに行きます。それしかチャンスがないです。なんとかしてリゴンまでいかねば・・・」

 「わかりました。では休んでください。私がいますから」

 「いえ・・・お嬢様こそ休んで・・・あれ・・」


 ルドミラの顔が二重に見える。

 傷の痛みから来るものじゃなかった。


 「効きましたね」

 「まさか薬」

 「はい。もう飲んでもらってます」

 「なんと・・手が早い」

 「眠り薬です。休んでもらわないと駄目ですもん」

 「くっ。してやられたか・・さっきの水ですね。お嬢様に・・盛られたか」


 この部屋に入った直後に、店主から水と薬を貰っていた。

 ルドミラは策士であった。


 「ええ。あなたがいないと駄目です。ゆっくり休んでください」


 クラウスは最後に、女神の笑顔を見た。

 エルヴィラとは違う微笑みだったが、心地の良い気分で眠りに入れた。


 ルドミラは、ベッドのそばから移動すると、椅子を入り口に置いた。


 「ルドミラ様、何をして?」


 宿屋の店主が聞いた。


 「店主さん」

 「はい」

 「私の居所を聞く人たちが、暴れ回った場合。ここに連れてきてください」

 「え?」

 「あなたに危害が来る前にです」

 「それだと・・しかし」

 「いいです! 私が全てを受け入れて、勝負します。もう誰にも死んでほしくない。どうせ殺される運命ならば、私は自分で戦って死にます」

 

 この時のルドミラの目に、武将の様な風格を感じた店主は、唾を飲み込んだ。


 「わかりました。ですが、こちらも守らせてもらいますよ」

 「いいです。けど、怪我をしたら許しませんよ。無理に引き留めたりしたら危険ですから」

 「はい。承知しました」

 「ええ。あなたの無事が第一優先です!」

 

 主の無事が第一だろう。

 そう思った店主だったが、姫君の気迫に負けて、宿の仕事に戻っていった。


 ◇

 

 夕方。

 酒場として機能する手前で、騒ぎが起きた。

 一階で言い合いがあったらしく、クラウスの部屋の入り口で座っていたルドミラの耳にも微かにその音が聞こえた。

 疲れで、うとうととしていた彼女の頭がピタッと止まる。


 「ん!? なんか声が聞こえる」


 後ろを振り返ると、すやすやとクラウスが寝ていたので、声の在り処は別な場所だと耳を澄ませた。


 「下だ。もしかして、宿屋のおじさんが危ないのかな」


 三階の奥の部屋から、そおっと移動していった。

 ゆっくり足音を立てないで、一階が見える位置まで。

 ルドミラは、階段の先から下を覗いた。


 「出してくれ。ここにクラウスって人が来たはずだ」

 「知らんよ。そんな人間。いいかげんにしな」

 「わかってるんだ。ここに来てるって。俺の部下が見たから」

 「誰だ。部下って」

 「部下・・・いや、俺たちは・・・いや。駄目だ」

 「なんだいなんだい。自分の事を言えない輩が、ここに来るんじゃないよ」

 「それは・・・そうなんだけど。俺はあの人の役に立ちたいだけなんだ。頼む」

 「知らん知らん。クラウスって人も知らんから。そんなに頼み込んでも、知らんから」

 「頼むよ。恩を返したいだけなんだ」

 

 男は必死に土下座までして、頼み込んでいた。

 身なりは悪い。

 継ぎ接ぎだらけの服装だ。

 でもどこか必死で、どこか無視できなかった。


 「あの。あなたはどなたですか?」

 「な!? ひ・・」


 驚いた宿屋の店主は、ひまでで抑えた。

 姫様なんて言ったら一大事である。


 「あなたこそ。誰ですか? ここらでは見た事がない人ですね」

 「ええ。ですからちょっとこちらに来てください」

 「え。あ、はい」

 

 身なりの悪い人間を上の階に呼んだルドミラに、店主は声を掛けようとした。


 「待ってください。あ・・あの」

 「大丈夫です。この人はなんとなくわかります。今の私は、お母様が言っていた事が、なんとなくわかるのです。安心して」


 人をよく見て、人を知り、人を見極めろ。

 母が言っていたのは、表面じゃなくて、中身を見ろという事。

 肩書きじゃなくて、誠実さ。

 これらを見抜けって事だ。

 よく考えたら、一つだけ分かったことがある。

 それが、アルスの手に触れた時と、クラウスの手に触れた時の違いだ。

 

 (アルスの手は綺麗で、クラウスの手は痛かった。

  ごつごつしていて、あれは武器を握りしめて出来たマメが、手の平中に散らばっていて、固くなりすぎて皮膚も武器みたいになっていたんだ。

  つまり、あの時にお母様が言いたかったことって、将軍にまで出世する男の手が綺麗なんてありえないと言いたかったんだ。

  お母様は、あの一瞬でアルスを理解したんだ。

  手を握って、綺麗な手をしている将軍なんていないでしょって事。

  クラウスの手を握って、物凄く嬉しそうな顔をしたのも。

  お母様はクラウスの努力を褒めていたからなんだ。

  私は、何にも見えていなかった。お母様の事も、自分の事も。他人の事も)


 母を知るべきだ。それに世界も知るべきだ。

 そんな風に思いながら、ルドミラは身なりの悪い男を自分の部屋にまで連れて行った。


 

 

 

 

 

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