第4話 レシピの糸の端
台所シリーズ 第2部「台所がせかいをかえる」
妙蓮寺 第5話 レシピの糸の端
1
お正月気分がまだ少し残るころ。
連休を利用して、母と孫の再会をかなえるため、横浜旅行を計画していた。
母の明るい声を電話口で聞ける——そんな光景を思い描いていた。
けれども。
「眠れないの」
受話器の向こうから聞こえた母の一言に、私は息をのんだ。
「火事が心配で。早見優さんが……」
「手紙の箱をひっくりかえした……」
弟といつものワイドショーを見た後らしいが、その声は明らかにしずんでいた。
母の話は、まるで空をつかむようで、内容がつかめない。
いつもなら、家事をしながらラジオのように母の話を聞く私だったが、この日は、部屋の隅でスマホを握りしめ、じっと耳を澄ませた。
——丁寧に聞かなきゃ。
そう思っても、それができなかった電話の記憶がよみがえり、胸が痛む。
近所で多発する闇バイト事件。テレビに映る惨事と現実がごちゃごちゃになっていると思えた。
「火事って?」
「ロサンゼルスの火事よ。あなた、テレビを見てないの?」
ロサンゼルスの火災は知っていた。
だが、母の口から出る「ロサンゼルス」という地名が、すぐには結びつかなかった。
「中川さんよ。覚えてないの?」
父が何より信頼していた人——それが中川さんだった。
父の命をつなぎとめたのは、彼の一言だった。
「体はひとつしかない。」
あれは、アメリカ同時多発テロがあった年、2001年9月11日。
あのビルに飛行機がつっこんでいく映像を、私は今も忘れない。
もう、かれこれ二十五年前になる。
世界を駆け巡り、風のように働いていた父。
だがあの前日、その心臓の導火線は、とうとう切れた。
奇跡的に一命を取り留めたが、中川さんの一言がなければ——ニトロを手に働き続け、つないだ動脈はすぐに途切れていただろう。
その中川さんが、ロサンゼルスに住んでいた。
母は手紙箱をひっくり返し、住所を探したという。
「そういえば、昔、携帯電話に写真を送ってきたことがあったわね」
母の何気ない一言が、私の脳裏を刺激した。。
それは、実家の弟から半年前に送られてきた一枚。
「1972・11・7」の日付と父のサインが記されたアラビア文字——。
伸子さんが翻訳してくれて、それがアラビア料理「まんぐるーば」のレシピだと分かった。
だが、意味が分かっても、そのメモは私の心に居座り続けた。
一枚の紙切れが、一日を、いや日々を支配することがある。
この半年、その小さな紙は、私——響香の心を静かに、しかし確実に占領していた。
それは、25年前、読むことのなかった中川さんの手紙と同じだった。
日常の中、いつも心に存在しているもの。
2
今もひっそりとしまわれ、突如箱から出された手紙それは、ポインセチアの赤い花びらが描かれたクリスマスカードとともにあった。
君は、私の忠告を聞いて、一切の仕事をやめただろうか。君は、今までよくやった。だが、いくら君のビジョンが素晴らしくても、これから日本、いや世界の購買力は落ち込むだろう。銀行に頼らない方法でも、君の会社の株を買う者はいない。この激震の9.11の余波は日本にも押し寄せ、株券どころか、社員の給料すら払えなくなる大企業が出てくる。いかに君の舟が優秀でも、もう航路はない。いかだを下ろすときだ。それも、十年二十年単位で。君のカナダに学んだログハウス構想も、ヨーロッパに学んだサイディング構想も、残念だが次の世代に託すしかないだろう。
本当は、この前、ロンドンで日本料理の話をしたかった。君は覚えていないようだが、あのドバイのオーナーは君のことをよく覚えていたよ。君の枕元にあった携帯で、その時預かったメモを撮っておいた。回復したら、見てくれないか。
彼女はそのメモを宝物だといっていたよ。
それにしても、カメラ付き携帯電話なんて、日本の技術者は本当に素晴らしいものを開発したね。これを持って世界中で仕事ができたらと思うよ。だが、僕らはもう十分駆け抜けたじゃないか。ゆっくり孫に、中東のラクダやサバンナの夕日の話をして過ごすのもいいじゃないか。多分、もう日本には帰らないと思うので、君に会う機会もないだろうが、僕らの時代も案外悪くなかったと思っている。急ぎすぎたけれど。息子たちには、「ギブ・ミー・チョコレート」を食べすぎて糖尿病にならないように忠告しておきたいよな。
最後になったけど、退院おめでとう。本当によかった。僕は君のペルシャ湾の夕日の話が何より大好きだった。
敬具
3 「ロサンゼルス?知り合いなんているの?あの『はな人クラブ』のマダム?」
「違うのよ。お父さんの親友が住んでいたの。」
母が言った住所を、哲郎がパソコンで調べると、火災の被害地域からは離れていた。
ほっとしたのも束の間、記憶は父の退職の日に飛んだ。
あの日、父はこの手紙を読み、私が「携帯電話を持ったほうがいい」と勧めると、
「もうお父さんは仕事をしないから、そんなものいらない」
と笑い、家族に向かって静かに退職を宣言した。
新型の携帯電話は弟に譲られ、さらに時が経って、哲郎の手に渡った。
“世界初”と銀色の帯で包まれた箱は、実家のリビングのテレビ台のガラス扉の奥で長い眠りについた。
——京セラ VP-210。
1999年5月発売、価格49,800円。世界で初めてカメラを搭載した携帯電話。
そのガラスの向こうで、家族は毎年紅白を見た。
堀内孝雄さんが河島英五さんを偲び「酒と泪と男と女」を歌った年も、
翌年、石川さゆりさんが「天城越え」で大トリを飾った年も——。
いつ片づけられたのか、響香はわからなかった。。
父はもう、いない。
だけど——
母の二度目の電話を切ったあと、
響香はしばらく静かにスマホを握りしめていた。
深い夜の空の彼方で、きっと、
父と中川さんは、
時を超え、場所を越え、
カメラ付きの携帯を手に取り、
そっと「無事だよ」と囁き合っているのだろう。
見えないけれど、確かに響き合う声が、
どこかで響香の心を温めているような気がして、
どうしようもなく愛おしくなった。
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