第六章 身分秘匿
6月某日午後、JPO第1会議室。
中心を大きく明けて四角状に組まれた机に、警視総監をはじめとする本庁およびJPO警察幹部、そしてマスターセクションの各隊の捜査員が勢揃いし、捜査報告会が行われている。1隊から3隊までのそれぞれの隊が担当する捜査報告の中でも、幹部たちがもっとも注目しているのは新聞各社からワイドショーまで、世間を大きく騒がせている連続殺人を担当する3隊の報告であった。むしろ、この件についての捜査状況を知りたいがためにセッティングされた報告会といっても良かった。
当然ながら3隊の報告を努めるのは隼人である。
1
「では、現場に残されていた写真の一部をお見せします。かなり衝撃的ですので、見る前に一度、覚悟なさって下さい」
隼人はそう言って、ノートパソコンの前に座る幌を見た。幹部たちが会場奥のスクリーンに目をやる中、幌がうなずいてキーを操作する。何枚かの写真がコマ送りのように数秒ごとに映し出されていく。
3隊と山本本部長をのぞく出席者の全員が息をのむ気配がした。
「現場には毎回、このような写真が数十枚も残されていました。悪質と言うにはあまりにも限度を超えています。どれもこれも、我々が定義する"猥褻"の域をはるかに越えて、むしろ病的とも言えるでしょう。現在、逮捕できている犯人の証言、それから被害者として初めて生きて保護した女性の証言によりますと、この写真は主犯と見られる男が撮ったものだそうです。男は拉致した女性に自ら暴行を加えることはせず、ただ写真を撮り続け、自分が声をかけた少年たちによる暴行が終わると、初めて女性に手を触れ、用意したナイフで女性を殺害します。ひと思いに、確実に心臓を狙ってナイフを突き立てています」
「素人にそんなことが出来るのかね?」
幹部の1人が隼人に顔を向けた。
「たとえば、本人が医者である、など人体に詳しい場合は可能でしょう。必ずしもプロの犯行とは言い切れません」
「その線も捨てきれないが、ということだな」
「はい。ただ、プロの犯行と言うからには、裏に依頼をしている人間がいると思われますし、『写真を撮る』という行為にも疑問が出てくるのではないでしょうか」
「ふむ……」
「ただ頼まれたからと言ってここまでの非情な写真が撮れるとも思えませんし、なにより、この写真を撮った男自身が少年たちに声をかけ、ターゲットの女性を指示し、と犯行の全てを取り仕切っています」
「プロと考えるには難点アリだな」
警視総監である佐木沢が口にした。妙に会場中が納得したような雰囲気になる。佐木沢が顔をあげ、隼人を見た。
「で、椎名君としては今後、どうするつもりだね?」
「今のところ、もっとも有力な情報源は保護した被害者の女性です。彼女も少しずつ犯人についての情報を思い出し、我々に証言してくれています。心の傷を思えば容易ではないことですので一度には無理ですが、その証言を元に捜査を進めます」
「そうだな。早く主犯の顔を思い出してくれればよいのだが」
「はい」
「いやーー、緊張したした」
司令室に戻ると、宏司が一番に大きな声で言った。隼人と幌は例によって一服である。
「あんなに揃われるとイヤだね、俺」
「呑気なこと言うなよ。これでまたプレッシャーなんだぞ」
幌が戒めるようにもらす。
「んなこと言ったって俺らだって一杯一杯でやってんだぜ? これ以上、どうしようもないじゃんか。でもさ、今回ばっかりは明石さんも三朝になんも言わなかったな」
「そりゃそうだろ。総監の前で姪いびりはできねーよ」
「出世に関わるもんなー」
「そういうこと言うのは慎んだ方がいいぞ、宏司」
隼人はぼそっと言いながら届いていた夕刊を手に取った。幌が隼人に言った。
「そういや三朝は?」
「呼ばれてるよ」
「なるほど」
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JPOのとある応接室。
「まさか2ヶ月会わないままとは思わなかったな。ここに配属になってから」
「顔を出すような時間はありません」
「嘘をつけ。本庁までは何度か出向いたはずだろう。家の近くにだって来ているはずだ」
「仕事中ですし。普通でしょう、2ヶ月くらいは」
冷静に言ってのける三朝に、佐木沢は渋面を作り、出された茶を飲んだ。
「みなさん、お元気なんでしょう?」
「元気だがな。千秋なんぞ『あの親不孝モノォーっ』と嘆いておったぞ。梅も寂しがってなぁ」
「総監です、私をここの所属にしたのは」
「そうだった、そうだったな。まったく。望(のぞむ)くらいだろ、連絡とってるのは」
「たまに電話がありますね」
「あいつにも困る。自分の気分だけで生きてるヤツだからな。勝手に学校は休むわ、塾はさぼるわ」
「でも、自分なりに考えがあるみたいですけどね」
「何やってても元気でいてくれたらそれで良いがな。何を考えているんだか」
「放っておいても大丈夫でしょう、あの子なら」
「まあ、親には頼らなくてもおまえに頼るだろうから心配はしてないがな」
佐木沢はそう言い、茶を飲む。家族の話ばかりしているが、三朝にとって千秋は義理の伯母、梅は佐木沢家のお手伝い、望はいとこ、つまり佐木沢の息子である。佐木沢にはこの息子1人しか子供はいない。
「ところでな」
そう言って、何か言いにくそうに間を空けている。やっぱり来た。
「椎名君とは、その後どうだ? とぼけるのはナシだぞ」
「どうって、プライベートですか?」
「当たり前だ。仕事上、上手く行っているのはわかっている」
「普通にお付き合いさせていただいてますよ」
「結婚、するのか」
「わかりませんって。付き合って、まだ3カ月足らずですよ」
「そうだな。いや、その……あれだ。保護した女性というのは、あれだろ? つまり」
「そうですね」
「大丈夫なのか」
「それもわかりません」
「わかりませんって、おまえ」
「今のところ、伊豆さんと主任の接点は無いに等しいんです。面談は全て、私かアシストの女性警官が行ってますから。主任は最初に面会された日以外は接見してないと思いますよ」
「そうか」
「伊豆さんの方も、こんな場所では会いたくなかったでしょうしね。主任のことには触れまいとしている節があります」
「女性のことはわからんが……ひどい目に遭っただろうからな」
「はい。それはそうと、兄から連絡来ましたか?」
「ああ、2人目が出来るそうじゃないか」
「いま4カ月だそうです。生まれてしばらくしたら一度戻るって言ってましたけど」
「というと、まだ1年も先か? 気の長い話しだな。じゃあ、その時はおまえも一緒に大阪へ帰るといい」
「帰れればの話しですけどね」
「椎名君と離れるのがイヤか」
「……仕事の話しなんですが」
「上の子はいくつだったかな」
「いま5歳、ですか」
「親と一緒で年の差がある兄弟だな」
「はあ、苦労するでしょうね。下の子は」
どういう意味だ、と笑いながら佐木沢は腕時計を見た。
「そろそろ行かんといかんな」
「時間があったら家に寄らせてもらいます」
「なるべく早くにな」
「はい」
3
会議終了後の午後6時。
店にもよるが、今どきのパチンコ屋というのはとってもキレイである。ゴミゴミ、ゴチャゴチャとして煙りくさいというイメージはない。景品も多種多様で、昔のようなイメージはあてはまりにくい。
「きゃーーーー、すごぉぉいぃぃ」
「だろーー!? 来ると思ったね、俺はー」
露出度の高めの服装と派手なメイクをし、流行の付け毛で髪をまとめた若い女が、ジャラジャラと玉が出るのを見て喜びながら男の肩に抱きつく。女と並んで座る男の足下には、パチンコ玉で一杯になったドル箱が3つ4つ積まれている。
「勝ってるウチにやめた方がいいんじゃないー?」
「なに言ってんだよ、これからだろー。今やめてどーすんだよ」
「そーかなー。いつもそう言って、終わりは良くてトントンなんだよねー」
「うるせぇ。まあ黙ってみてろって」
男も女もいい気になってはしゃいでイチャイチャしている傍らで、辛気くさい顔をしてパチンコ台をにらんでいる男がいる。つぎ込んでもつぎ込んでも当たりが来ない。自分がつぎ込んだ分が隣の男に流れているようで気分が悪い。
ロン毛でいかにも遊び人ふうのスーツを着てマルボロをくわえ、イケ線の女を連れた隣の男。しかもけっこう顔がいい。心の中で「けっ」と悪態をついたとき、またしても負け。
台を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がると、男は別の台に移るべくその場を離れた。
相変わらずはしゃいだ風を装いながら、男と女は気づかれないようにその男を目で追った。
店をうろつき、男はまた別のパチンコ台の前に座った。
隣はルパン三世みたいな髪型をした学生風の男。勝負しに来た、と言うよりは単にヒマを潰しに来たというカンジで飄々とした顔で座っている。
「調子、悪いんですか?」
しばらくすると、突然、その学生が話しかけてきた。驚いて振り返ると、学生は呑気に笑っていた。
「なんだ、急に」
「いや、ちょっと人恋しくて。学校もあんまり行ってないもんだから、友達いないンすよ、俺」
「はぁ? 知るか、そんなん」
「そういわずに。ヒマで家にいたんですけどね、どうにも退屈で。夜はバイトがあるからいいんですけど」
男はヘラヘラと笑う学生を一瞥すると、無視してパチンコ台に向き直った。
「冷たいなぁ。あ、そういえば、昨今ニュースとかで話題になってるあの事件、知ってますよね? 女の子おそって、殺しまくってるヤツ」
男はギクッとなった。目に10日前の夜の光景が浮かぶ。しかし、学生はその様子には気づかず話を続けた。
「あれってどうなんですかね? まだ続くんですかね?」
「知らねぇよ」
「気になりませんか? 被害者の子って、けっこうカワイイ子ぞろいなんすよ。ね? そう思いません?」
「うるせぇな」
「犯人は街で声かけた男たちに犯行の手伝いをさせるんですよ。ってことは、そいつらイイコトして、そんで男に金もらってるんですよ。いいと思いませんか? 俺にも声かけてくれないかなぁ」
「うるせぇっつってんだろ。どっかよそで人捕まえろよ」
「いやいや、この台、調子が良さそうなんで」
学生がヘラヘラと笑う。男はイラついて学生に向き直った。
「なに言ってんだ、おまえ。さっきから全然出てねぇじゃねぇか」
男がそう言ったとき、さっき隣ではしゃいでいた女の声がした。さっとイヤな予感がよぎる。
「ねぇ、もういいじゃん。それお金にしてどっか行こうよぉ」
「もうちょっとだって。そしたらイイトコ連れていってやるから」
「えー、やだー。イイトコってどこよぉ」
男と女が笑いながら近づき、今度は真後ろに座った。隣は変な学生、後ろはまたさっきのムカつくカップル。
今日は厄日だ、厄日に違いないと頭を抱えたくなる思いでため息をつくと、あいていた左側の台に男が座った。
4
きっちりとしたスーツを着こなし、見た目は若いが、受ける印象はかたく、特に目がただ者ではない雰囲気を匂わせる。男は台にハイライトの箱を置き、1本とって火をつけた。
男は思わずその仕草を目で追った。よくわからないが、なにかイヤなカンジがする。
「あーあ、っと」
ハイライトの男はくわえタバコのまま玉をわしづかみにし、慣れた手つきでジャラジャラと台に入れた。そして視線に気づいたように男を見た。あわてて目をそらす。
「なにか?」
「い、いえ」
「あ、そう」
なぜか分からないが、威圧に負けたような形になり、縮こまって頭を下げた。後ろでは相変わらすイチャイチャと男と女の笑い声がしている。
「で、聞いてます?」
隣から学生の声がする。
「警察がなに隠してるのか、すっげー知りたいンすよ」
「なにが」
「もー、やっぱり聞いてないじゃないすか。だから、ただレイプして殺すってだけじゃないと思うんすよね。もっとこう、なんつーか、イヤらしいっつーか、猟奇的っつーか……ちがうな、こう、とにかく奇妙なカンジの事をもっとやってると思うんすよね」
「さっきからなんなんだよ、おまえ」
男はイラついて突っかかった。また女の笑い声がする。
「もー、だから言ったじゃーん」
「イケると思ったけどなー。潮時か。んじゃ、イイコトしに行くか?」
「また、もう。そればっかりだねー、幌ってば」
「なに言ってんだよ、こんないい男捕まえといて」
「それってフォローになってないよ?」
「いいから行こうぜ」
ロン毛の男はこの台で勝った分のドル箱を抱え、女の手を引っ張って行った。2人を見送りながら学生が呟く。
「いいなー、俺もあんなのとやりたいなー。ねぇ?」
「だから、さっきからうるせぇんだよ。そんなにやりたきゃソープでも行け」
「ああ、でね。事件の話しなんですけど」
「人の話、聞いてんのか。ムカつくヤローだな」
男はキレて立ち上がった。
するとどういうわけか、黙々と隣で打っていた男が立ち上がる。
「な」
「どうせ勝負なら、もっと大勝負しに行かないか」
「なんだ、いきなり……」
「ケジメ、つけないとな」
わけの分からないことを言う。かと思うと、ぱっと手首を捕まれた。
「人目も多いし。大人しくついて来たほうが身のためだな」
スーツの男の静かに光る目の奥を見ながら、男は呆然と立ち尽くした。
パチンコ屋で連行したのは伊豆史桜を襲った男の1人だった。
カップルは幌と三朝、学生風の男は宏司、ハイライトの男は隼人だ。
「おまえら……」
「不機嫌にさせちゃってゴメンねー」
人目に付かないビルの谷間で、シルバーのセダンにもたれて三朝が笑う。運転席には幌。
「ひょっとして、10日前の夜に女の人を襲わなかったかな、と思って」
「乗れ」
宏司が後部座席のドアを開けたところに隼人が男を押し込んだ。三朝が助手席に乗り込み、後部座席には男を挟んで隼人と宏司が乗り込んだ。
「覚え、あるだろ?」
幌が前を向いたまま言った。
「ないとは言わせない。10日前、住宅街で女性を拉致し、おまえともう1人が暴行を加えたはずだ。主犯の男に『金をやる』と声をかけられて。そうだろ?」
隼人が男をにらむ。
「な、なんで……証拠は」
「証拠? お姉さんが出させてあげようか?」
「おまえ、それヒワイだな」
幌が笑う。隼人は恐い目つきのまま前方の2人を見た。
「問題になるようなこと言うな。なあ、認めた方が身のためだ、と思わないか。この状況で」
「認めた方がいいよー。証拠だったら後でじっくり見せてあげるから」
宏司が笑うと、男は大きくため息をついて頭を抱え込んだ。
5
シャワーから出て髪をワシワシと拭いていると、三朝が近寄ってきた。手に持っていた白いチューブを洗面台に置く。
「なに?」
「隼人はこれを使ってね」
なんだ、と思って手に取ってみる。
「アイスペパーミントだからね」
「ヤニを取って歯を白く? 当てつけか」
「ちがうよ。買い置きがなくなったから。ちょうどいいかな、と思って。なんかおいしそうだし、味」
「ホントかよ」
三朝は笑いながら部屋の方へ戻っていった。
歯を磨いて、軽く髪を乾かしてリビングに出ても三朝の姿はなかった。ついで寝室のドアを開ける。三朝がベッドの上にあぐらをかいて雑誌をめくっていた。隼人に気づいて顔をあげる。
「おいしかった?」
「ふつう」
「そう」
隼人がベッドの端に腰掛けながら言った。
「『お姉さんが出させてあげようか?』」
「ごめんてば」
「幌と組むと調子いいのな、おまえ」
「だって、バカっぽく行こうぜって幌さんが」
「まあいいけど。目的は果たせたからな」
「そう、あくまで"役"だから」
「あくまで?」
「……なんでそんなに怒ってるの? 気にしなくたっていいじゃない」
「おまえな、俺だって……」
感情任せに口走りかけた言葉を飲み込み、隼人は三朝から顔を背けた。
「俺だって?」
「いや」
「俺だって、なに?」
「いいって言ってるんだから、ほっとけよ」
「だって聞きたいじゃない」
足の上に広げていた雑誌を閉じ、ベッドの上に置きながら隼人の横顔を見る。隼人はあきらめたようにため息をつくと、ぼそっともらした。
「俺だって、灼くことくらいあるんだよ」
「ほんと?」
「あたりまえだろ。言わせるなよ、んなこと」
「でも聞きたかったし」
三朝がそう言うと、隼人はまたため息をついた。
「だって、こんな関係になってしばらく経つけど、そんな素振り見せてもらったことないんだもん。たまにはイイじゃない。こっちは始終見せっぱなしなんだから」
「おまえって、そういう性格だな」
「言わなきゃ伝わらないから。不安に思うことだってあるんだからね、言っとくけど」
言いながら、三朝はうつむいた。いま自分が言ってることがすごく恥ずかしい事だとわかっている。どれだけ直接的で、あからさまで、わざわざ口に出すのは野暮だとも思っている。けれど、どれだけ自分の手の内を明かすことになっても、心に貯めるよりは言って楽になってしまいたかった。
「変なこと言わせてゴメンね」
三朝がそう言うと、首筋に隼人の手が伸びてきた。そして顔をあげる暇もなく、引き寄せられる。
「おまえ、やっぱりなんかおかしいな」
「そう?」
「あいつの、史桜のこと、まだ気にしてるのか」
とっさに言葉が出てこなかった。図星された、というより不意をつかれたという感じだった。この話題を避けているのは、どちらかと言えば隼人のほうだったからだ。
「気にするなって言っただろ? 昔のことなんだ、ほんとに」
「でも、史桜さんにとっては昔の事じゃないみたい」
「あのな……確かにそれはそうかも知れない。史桜や京介にとっては、まだ今現在も繋がってるハナシかも知れないけど。でも俺はあれから何年か日本を離れて、また帰ってきて。いろいろあった。知ってるだろ。俺にとってはアレはもう昔のことだし、今はおまえがいるから。この状況で史桜に会ったって、以前のようにはいかないよ」
三朝はつかんでいた隼人の腕を押し、体を離して隼人の顔を見上げた。言えば歯止めが利かないところまで言ってしまう、それでもこの機会に胸の支えは全部さらけ出してしまった方がいい。
「それは、隼人が史桜さんに会おうとしないからでしょ? 会えば? 会えばどうなるの? それでも変わらない? アタシがいるって言ったって、昔のことだって言ったって、史桜さんの気持ちに直接ぶつかられたら、そこからどうなるかはわからないんでしょ?」
「だから、そんなことないんだって言ってるだろ。俺の気持ちは変わらない」
「じゃあなんで史桜さんに会おうとしないの?」
「いま会っても向こうがつらいだろうと思うからだ」
「ウソね」
三朝がそう言って隼人から目をそらすと、隼人は怒ったように切り返した。
「なに?」
「ウソだって言ったの」
「もういっぺん言ってみろ」
「史桜さんがつらいから、なんて……ホントは違うでしょ? 会えば自分がどうなるかわからないからでしょ? 会ってしまえば自分を止められなくなるから」
「三朝」
「隼人が今でも史桜さんのことを好きだなんて、そこまで思ってるわけじゃないよ。だけど、何もそこまでって思うほど、隼人は史桜さんに会うまいとしてる。はじめはアタシのせいだと思ってた。でも、それだけじゃないでしょう? ホントはすごく心配してて、すごく気がかりなはずよね? 会いに行きたいと思ってるはずよ、隼人は。会って力になってあげたいって」
「もういい」
「隼人」
「もう言うな、な?」
隼人は優しくそう言うと、再び三朝を自分の胸に抱き寄せ、髪に指を絡ませた。
「別に史桜に会ったって、状況は今と変わらない。気持ちも変わったりしない。信じろなんて、あえて言わないぞ。わざわざ……ただ、さっきも言ったけど、あいつはまだ俺のことを引きずってるらしいから会いに行かないんだ。会って側にいたって、何もしてやれない。答えてやれないんだ、俺は。こんなの、自惚れてるみたいでイヤな言い方だけど、こんな時に変な期待、持たせたくないからな」
隼人の言葉が体ごしに振動して伝わってくる。
三朝はどこか体を預けきれなかった。隼人は本心を言っている、取り繕ったりしてない。そうわかっていても拭いきれない引っかかりがある。会っても答えてやれないと言う隼人の後ろ側に、やはり史桜の側にいて何とかしてやりたいと、そう思っている隼人がいる。本当に会っても変わらないと言うのなら、いっそ堂々と史桜の看病をしてもらった方がまだすっきりする。けれど、それで隼人の心が変わってしまったら……悲しいかな、その可能性は否定しきれない。
「ごめんね、隼人」
「いいよ、俺もきっちり話しをしたかったから」
「うん」
「なあ、三朝。俺もおまえも刑事だ。だったら、俺があいつにしてやれる一番の事は、あいつをあんな目に遭わせた犯人の逮捕だと思わないか? しかも、この事件の捜査の陣頭指揮をするのが俺だなんてのは偶然じゃない。もしかして、あいつは俺のために……」
「いや、そうじゃないんじゃないかな」
「え?」
「史桜さんが被害者になったのは、隼人のせいじゃなくて……」
三朝がそこまで言いかけると、とつぜん隼人が三朝をベッドに押し倒し、唇をふさいだ。何も言わせないと言わんばかりに烈しくキスをする。
三朝は驚いてベッドに仰向けにさせられたが、すぐに抵抗した。
史桜を除く今までの4人の被害者が、どこか自分に似ていたこと。口に出して言う者はいなかったが、捜査チームの誰もがそう感じていることはわかっていた。そこに、隼人の元恋人が同じ手口でひどい目に遭わされ、なぜか彼女だけが生きて保護された。それこそ、こんな偶然はない。
「待って、待って隼人っ」
「いいから、黙れよ」
「よくない、話しはまだ終わってないんだからっ」
「だったら仕事中に聞いてやる。そこから先は仕事の話だろ。時間がもったいない」
「隼人」
「黙れ」
そう言ってまたキスをする。やがて唇が首筋の方へ降りていく。片手で髪や首筋を撫で、もう片方の手はTシャツの上から胸に当てられる。どんなに抗ったところで力もかなわない。感情も、やがては理性も溶かされる。
感じるままに身を任せて、また自分も隼人を求めたくなる。与えられ、また求め、そうしてお互いが文字通り、堕ちていく。幾度重ねたかわからないこんな夜も、やがて失ってしまうのかもしれない、さっきまで感じていた恐れは三朝の意識ごと洗い流されていった。
6
翌朝、出勤してみると幌から逮捕した男の事情聴取についての報告があった。
写真を撮っていた男は、史桜を公園に放置して写真をばらまくと、かがみ込んで史桜に何か囁いたというのだ。となると、その内容について史桜自身に問い出す必要がある。それは三朝の役目だった。
犯人の1人を逮捕したという報告も含め、再度の事情聴取がこの日、三朝の最初の仕事になった。
「そうですか」
逮捕の報告をすると、史桜は複雑な表情でうなずいた。犯人が逮捕されても自分が被害にあった事実が消えるわけではない。恨みが晴らせるわけでもない。嬉しいわけではない、かといって興味がないでもない。どう答えていいのか自分でも計りかねているのだろう。
「でも、改めて犯人の顔を確認していただくようなことはありませんから安心して下さい。全面的に犯行は認めています。それで、今その男の証言から残りの犯人についても逮捕する方向でチームが出向いてますから。逮捕は時間の問題だと思います」
「はい」
史桜はやはり、どう言って良いのかわからない様子でうなずいただけだった。
しばし沈黙が訪れる。犯人逮捕の報告は終わった。これから犯人が史桜に残したという言葉について問わねばならない。どう切り出したものか。気が進まない。私情を交えずスッパリ聞くべきなのだろうが、どうしてもためらってしまう。まるで腫れ物を触るようで恐い。
「あの、体調の方はいかがです?」
「ええ、だいぶ良くなりました。だんだん夜も眠れるようになって来て」
史桜は一度顔をあげたが、言い終わる前にまたうつむいた。
「アタシには気を遣わなくていいんですよ。もちろん、ここの医者にも看護婦さんにも。事件の話をするには、まだまだ心に重い負担がかかる時期だというのはわかりますから。正直に話して下さいね」
「あ、顔に出てますか?」
「いえ、そうじゃなくて……これでも、こんな仕事してると襲われる事ってありますし。犯人と揉み合ううちに殺されかかったりとか。そんな事があったら、しばらくは夜もよく眠れなかったり、夢見が最悪だったり、します。だから、少しは伊豆さんのお気持ちもわかるつもりなんですけど」
史桜は少し驚いたような表情で三朝を見た。そしてまたうつむく。
「そうでしょうね、普段から危険な目に遭われてるんですよね」
「まあ、これでも。でも、大概は早めに仲間が助けてくれますし。今のところは未遂で片づいてます、おかげさまで。だけど一人前扱いされないんで、やっぱり男女の差って見せつけられてしまったりしてね」
「椎名くんが上についてるんでしたよね」
言い終えて、史桜はハッとしたように口を噤んだ。
「主任にも迷惑かけっぱなしですよ。そして怒られっぱなし。『また無理しやがって、オマエは』って」
三朝はそう言って笑って見せた。何も気がつかなかったフリを装った。
「アタシ、自分ではたいして暴走してないと思うんですけど。あんなデキる人から見れば、危なっかしいんでしょうね。女のアタシが突っ走ってるの見ると」
「やっぱり、優秀ですか?」
「優秀なんてもんじゃないです。頭は切れるし、運動神経は抜群だし、格闘技もプロ級だし。しかも実践で。アタシなんか一生かかったって追いつくのは無理ですねぇ。初めから格が違うって、他の仲間も言ってます」
「そうですか、やっぱり」
史桜は一瞬、何処か遠い目をした。そして三朝を見て苦笑う。
「あ、ごめんなさい。変なこと聞いて」
「いえ、こちらこそグチっぽくなっちゃって」
また笑って、三朝は史桜を見た。
そして笑いを引っ込める。
「実は、また事件に関してお聞きしたいことが出てきました」
史桜は少し間を置いて「はい」と返事をした。心なしか、目の中が曇ったように見えた。
「昨日の犯人の証言で、主犯とみられる男……あの写真を撮っていたという男が、公園で伊豆さんになにか囁いていたという証言があったんですが、お心当たりはありますか?」
史桜は自分のベッドのシーツを凝視していた。表情は暗く、強張っている。ヘタをするとまた精神を混乱させてしまうかも知れない。そう思い、三朝は手を振りながら取り繕った。
「ムリに思い出すことないですよ、つらいようでしたら」
「なにか言われたような気はします。確か、私の側にかがみ込んで何か言ったような記憶は……」
「はい、あの、ホントにムリしないで」
「すみません……お力になりたいのは山々なんですが……」
思い出したくないことを記憶から引っぱり出すのは、思った以上にしんどい作業だ。傷がまだ塞がろうともしていない状況では尚更だ。しかし、この先まだ聞きたいことは他にも出てくるだろう。もうしばらく様子を見てから、また改めて思い出してもらう方が返って近道のように思われ、三朝はそこで聴取をやめた。
7
伊豆史桜の事件に関して、残りの実行犯も間もなく逮捕された。警察がやるべき事が済んで必要な手続きが行われる。この時点で犯人に関してはとりあえず3隊メンバーの手を離れる。ちょうどその時期。
幌の携帯電話にとある情報屋から連絡が入った。
「いや、すんませんね。ちょうど東京を離れてたモンで」
「別にかまわないけど、売りたい情報って? あんまり時間がないんだ」
「そうですね、手短に」
30後半、40手前くらいのその情報屋は、着古しすぎてヨレヨレになったジャケットから商売道具の手帳を出した。
「ああ、これだ。ほら、5月半ばの事件ですか? 長野さんの担当してる。あれの犯人なんですがね」
「わかったのか?」
「いやいや、主犯はまだです。でも、その男に声をかけられた人物ってのがね、おそらくこの男なんですよ」
情報屋はそう言って手帳の一部を見せた。
男の名前と、住所、身分が学生であることが書かれていた。
「やっぱり金につられたんでしょうね。この事件、捕まった犯人の大部分がプーか学生でしょ? 金に困ってるヤツじゃないとねぇ。もっとも、みんなカワイイ子ばっかりだから気持ちは……」
「で、根拠は?」
「これを差し上げますよ。仲間がね、撮ってあったんです、この写真。いかがです?」
写真には3人目の被害者を、彼女を取り囲むようにして歩く数人の男が写っていた。そのうちの1人の顔がハッキリと写っている。女好きのしそうな、アイドルみたいな顔をした男だ。
「これが、この男か?」
幌は手帳を示して言った。情報屋がうなずく。
「私が東京を離れてなければ、もっと早くにお伝えできたんですがね。なにせ、その仲間も長野さんの連絡先をしらないものですから」
「わかった。今回はこれだけ?」
「はい。でも元手がかかってるんで、いつもの1.5倍で……」
「1.5倍? 3割増しにしとけよ」
「でも」
「聞き出して、伝えに来ただけだろ。その仲間とやらにはいくら払った? 3割り増しでイイだろ」
「わかりました。まいるな、長野さんには」
幌はあたりまえだろ、と呟くとその場で携帯電話から入金を済ませた。
「じゃ、また何かあったら連絡して」
8
もう、6月も半ばを過ぎた。今月は事件が起こらなかった。毎月、この時期に起きていた連続事件も伊豆史桜の一件を期にぱったりとやんだ。
やはり、史桜を襲ったのは主犯の故意によるのだろう。この事件を担当する捜査班の陣頭指揮を執る、隼人の関係者をわざと襲った。誰が? 何のために?
一見すると、主犯の犯行動機は隼人のように思える。足がつかないよう、実に巧妙に鮮やかに動き回り、捜査班を振り回す。まるで捜査班全体が、もっと言えば隼人が困るように、世間の非難を浴びるように、警察上層部からの信頼を失墜させようとしているのか、とも思える。事件が起こったのが3月半ば。JPOが軌道に乗り始めるか、というときだ。もちろん、主犯が恨みを持っているのが隼人とは限らない。幌かも知れない、宏司かも知れない。警察全体に恨みを持っているのかも知れない。いや、そもそも"恨み"などとはかけ離れた感情が動機かも知れない。
しかし。
どちらにしても不穏な空気は絶えない。もうこれ以上、誰にも手をかけない、などと言うことはないだろう。これで気が済んだとは思えない。次は何が起こるのか。何をするつもりなのか。いよいよ、犯人が目的とする人物自身に危害が及ぶことになるのか。捜査員全員に寝覚めの悪い日が続く。
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