指パッチン
抗議の弁は道中で出尽くしていた。
“屋敷”に入るなり、姉さんはソファに勢いよく腰掛けた。僕が対面に座ると彼女は「さあどうぞ」とでも言わんばかりに顎をしゃくる。
その横柄な態度は、さながら“姉”という概念そのものである。それに従う僕はまさに“弟”だ。
僕はカバンから杖と白紙の魔導書を取り出しテーブルに並べた。
懐から万年筆を取り出し講義をするようにかざす。「収納魔法について知っていることは?」
姉さんは答える代わりに指を鳴らし、手元に剣を出現させた。彼女は柄を掴もうとして上手くいかず剣を床に落とした。姉弟の視線を浴びる剣は気まずそい静寂を落とした。
どちらからともなく視線が合う。
姉さんが何事も無かったかのように、指を鳴らし、剣を消した。かと思えば、再び指を鳴らして剣を出現させ、これ見よがしに柄を掴んでみせた。
「簡単な魔法よね。自分の物に印を付けて、指を鳴らせば出し入れ自由。魔力の消費もないに等しい」もう片方の手に刀身を置く。
「他には?」
じとりとこちらを睨み、「収納魔法の適用範囲は無機物に限る」
僕はぎくりとしながら頷いた。
「でも、不可能じゃない」
「そうよね、レイモンド。あんたはそれをしたんですものね」
姉さんは少し怒ったように言った。
それも無理はなかった。
古い文献を辿ると、動物に術式を刻み収納魔法の実験を行ったという記録がある。だが実験はことごとく失敗に終わっていた。動物を異空間に送り込むことは出来ても、それを生きた状態で取り出すことが出来なかったのだ。収納魔法の人体及び生物への使用行為は推定不可能とされてきた。
――少なくとも、これまでは。
偶発的とはいえ、僕は双方の往復に成功した。
望んだように魔法の実験ができるような空間ではなかったが、それでも魔術史、ひいては人類史における重大な発見である。この分野の先駆者として名を馳せるのも悪くない。ゴールドバッシュ家よりも前に自分の名前が出るのは魅力的だ。
僕は場を和ませるように言った。
「そう怖い顔をしないでよ。かわいい顔が台無しだ」
「誰に似たのかしら」
「父さんの他に? 母さんの不貞を疑うのはよしなよ」
姉さんはため息を吐いた。
「もっと子供らしい会話をしたいわ」
「いつもしてるじゃない」
「違うわ、レイモンド。もっと、こう、……わかるでしょう?」と姉さんはもどかしそうに身をよじらせる。
――姉さんの言い分も分かるが、剣を抱えながら言うことではない。
僕は指摘したい気持ちを堪えて、
「たとえば?」
と言いながら、魔術書から白紙のページを二枚抜き取り、テーブルに並べた。
「……例えば」姉さんは思案するように刀身を指で叩く。
僕は魔力を腕に集中させ、収納魔法の術式を構成する文字群を蛇のように這わせた。それを白紙の上にかざすと、文字群は水面に飛び込むように移動した。紙面の中で蠢く魔力を宿した文字群は、整然と持ち場に付き、魔法陣を描いた。
もう一方にも同じ術式を刻もうとしたその時、
「――恋、とか?」と姉さんがポツリ。
さすがの僕も思わず、作業を止めて顔を上げた。声の主はしまったという顔をして、ぷいと視線を逸らした。長い髪から覗く耳元が赤く染まっているのを、僕は見逃さない。神妙に腕を組み、顎をしゃくる。
「続けて」
沈黙。
僕は繰り返す。
「続けて」
しかし沈黙。
――どうやら嵐が過ぎ去るのを待つことにしたらしい。
僕は眉を上げてため息を吐いた。
作業を再開した。先ほどと同じ行程を辿り、魔法陣を複製した。両手に紙を取り出来栄えを見比べていると、その隙間から姉さんが静かに様子を伺っていた。
――好機である。
と思うや否や、僕は声を張り上げていた。
「それにしても、いやはや、恋ですか!」
びくりと姉さんの肩が飛び跳ねる。
作業をしている風を装い、言葉を続けた。
「姉様も、随分とマセてらっしゃる。別に、その事を責め立てるつもりはございません。年頃の娘が色恋に興味を抱くのは、自然なことに存じます」紙をテーブルに戻し、万年筆に簡易術式を刻んだ。「――いやはや、しかし、恋ですか。よもや武芸一辺倒の姉様の口からそのようなお言葉が飛び出ようとは……。いやはや、しかし、いやはや……」感慨深げに頭を振りながら、万年筆を一方の魔法陣の中に置き、杖を振る。万年筆は瞬時に消えた。
恥辱に耐える姉さんは瞳を潤ませて、こちらを睨んでいる。僕は挑発するように眉を上げた。瞬間、紅潮した顔を破裂させんばかりに膨らませた少女は、堰を切ったように、
「レイモンド! いじわる! かわいくない!」
と七歳児染みた放言を撒き散らした。
まあまあと宥める僕。
「落ち着いてよ、可愛い顔が――」
「うるさいっ!」
そういって姉さんが膝に置いていた剣をこちらに投げてきた。僕は危うげもなく、それを魔力で弾くと、壁に突き刺さった。それと交互して姉さんがテーブルを飛び越え、僕に掴みかかってくる。杖を振り、姉さんを宙に浮かして未然に防ぐ。しばらく、宙で暴れていたが疲れたのか動かなくなった。
子供らしい会話も大変だ。
しばらくして、
「……くびり殺してやる」と静かな怒りを口にした。
おおよそ、姉が言ってはいけない言葉の一つだ。
僕は肩を竦めた。
一つ間を置き、
「それで、気になる人でも?」
「レイモンド!」
僕はわざとらしく胸を抑えて、信じられないという表情を繕う。
「僕? 勘弁してよ。姉弟で」
杖を振り、姉さんをソファに放り投げた。彼女は受け身を取り、恨めしそうこちらを見る。
僕は気にせずに、使っていない方の魔法陣に杖を振り、万年筆を取り出した。
収納魔法は個人の魔力を識別する。二つの魔法陣があったとき、術式が刻まれたものをどちらからでも取り出せるのは既知の事実だ。であるならば、一方をこちらに配し、もう一方を収納魔法の先の空間に配したなら、自由に往復が可能になるのではないだろうか。
もっともそう簡単な話ではないのだろう。
あるいは、僕が問題を複雑にしているだけかもしれない。
答えはない。
ならば試す他にない。
ふと姉さんに視線をやると、彼女は何か違和感を覚えたかのように万年筆をまじまじと眺めていた。
「変だわ」
彼女は万年筆を手に取り、左手の指をツーっと這わせ、その指を不思議そうに見つめた。
「……砂?」とポツリ。
僕は姉さんから万年筆を受け取り確かめた。彼女の言う通り、ざらざらとした感触があった。
「変だ」
「でしょう」
姉弟の頭上に大きな疑問符が浮かんだ。
あの空間には何もなかった。あるいは全てがそこにあったのかもしれないが、認知の限りでは、“何もない”とするほかになかった。
“砂”が無かったと断じることはできない。その全てをくまなく探索したわけではない。そもそも異空間で万年筆に付着したものでないかもしれない。だが異空間で付着したのでないのなら、僕は懐から取り出した時点で気付いたはずだ。
姉さんは色々な可能性を捲し立てたが、僕の耳にそれは届かなかった。代わりに、何かとてつもない、決定的な瞬間を見逃したような、焦燥感に駆られた。
僕は咄嗟に自身に簡易術式を刻んだ。カバンの中に杖と魔導書、魔法陣の刻まれた紙を一枚放り込んだ。ふわりと身体を宙に浮かせ、つま先でテーブルの上の魔法陣を踏む。
「ちょっと、行ってくるよ」
杖を振り収納魔法を発動させた。
***
“屋敷”の扉が開き、木漏れ日が差し込んでくる。
書斎机の椅子から見るシルヴィアは陽の光も相まって、まるで雪の精のようだ。
「レイモンド様? 先に行かれたとばかり」
「居心地が良くてね」
彼女は扉を締めずに、料理と食器を乗せた台車を押して部屋の中を進む。僕は椅子から飛び降りて、書斎机の上の魔導書を手に取った。書斎机の前にデコボコの影が伸びる。
思えば、彼女との付き合いも長くなったものだ。シルヴィアはいつだって僕よりも上背があったから、どうしても見上げる形になってしまう。
――それもあと数年の辛抱だ。
統計的に男性の方が女性よりも背が高くなる傾向にある。
僕は密かにシルヴィアを見下げる日が来るのを心待ちにした。
「どうかされましたか」と視線に気づいたシルヴィアが言った。
僕ははぐらかすように「別に」といって魔導書を開いた。瞬間、足元に巨大な魔法陣が出現した。
五秒後。
“屋敷”の扉から閃光が溢れた。手にしていた魔導書がカーペットに落ちた。それはしばらくして、ふわりと浮き、書斎机の上に戻る。
部屋にはもう誰もいない。
独りでに扉がバタンと閉まり、シャンデリアの明かりが消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます