Last Re:code<ラスト・リコード> ー七つの泉と鋼の守り人ー

Chums

The awaking -目覚め-

第1話:静寂より目覚め、願いより契りて<Refine>

なぜ、誰も信じてくれないの?



アイリス・フェルマは古びた文献をめくりながらそう思った。

古代に造られた“対混沌兵器たいこんとんへいき”――今では笑い話にしかならないおとぎ話。


それでも、父が追い続けていた研究だけは諦められない。


レガリス王立研究所――封印技術部。

窓も少ない研究室の片隅で、少女は文献を閉じ、機材を鞄に詰め込んでいた。


そのとき、背後から足音が聞こえた。


振り返った先には、同僚の研究員が呆れた顔で立っている。

彼女は今日も新調したばかりの白衣を着て、髪も綺麗に整えていた。


「フェルマ、今度はどこにいくつもり?」


「今日は郊外の封印遺構を調べに行くから――」


「そんなんだから、“変わり者”なんて呼ばれるのよ。

……もう少し身なりも気にしたら? 女の子なんだから」


軽く肩をすくめると、同僚はそのまま去っていった。


アイリスは、短く切り揃えられた茶髪を耳にかけながら、小さく息を吐いた。

机の上に残されたのは、擦り傷だらけの観測装置や解析端末。

すべて、父から受け継いだ旧式の設計を自分なりに改造したものだ。


古臭いと笑われる外套も、実用性を優先した作りで、袖口や裾には擦れ跡が残っていた。


机の端には、色褪せた家族写真が置かれている。

幼い自分と、優しく微笑む両親の姿。


アイリスはそっと指先で縁をなぞり、小さく呟いた。


「……いってきます」


鞄を肩にかけようとしたその時、控えめなノックが響いた。


「……アイリス・フェルマ殿ですね」


扉を開けたのは、黒い制式服の男。

胸には、見間違えようもない――“オルマ評議会”の紋章。


「評議会より招集命令です」


「え……? 評議会? 私が? なんで――」


頭が真っ白になる。

評議会が、一介の封印技士を直接招集するなど、本来あり得ない。

せいぜい論文を照会されたり、調査結果を提出する程度――それが常識だった。


「すでに正式承認済み。研究所にも通達しています」


「ちょ、ちょっと待って――」


「状況は緊急です。詳細は道中で」


有無を言わさぬ口調に、反論の余地はない。



外には評議会紋章入りの魔導車が待機していた。

後部座席に促され、扉が閉まる。

車は静かに、しかし迷いなく動き出した。


窓の外で、見慣れた研究所の姿が遠ざかっていく。

胸の奥で、言葉にならないざわめきが広がった。


「……一体、何があったんですか?」


かすかに震える声で尋ねると、運転席の男は短く息を吐いた。


「"約定やくじょうの塔"で波動異常が発生しました」


「……約定の塔……!」


父が生涯を賭けて追い続けた、守護者が眠る場所。

私に託して逝った、あの塔。


「技術審査局長、アレフ・ヴァイゼン博士から直々の指名です。

博士は、あなたが発表した論文を高く評価しているようです」


その名を聞いた瞬間、胸が跳ねた。

評議会きっての天才で、常識外れの変人と噂される人物。

まさか、自分が指名されるなんて。


もし、この予感が当たっているなら――

これは単なる異常じゃない。


父が追い続けた夢の、その先に続く道かもしれない。

無意識に握った掌に、じっとりと汗が滲んでいた。


車は街を抜け、塔へと続く道へ向かっていく。

胸の鼓動がその速度に合わせて早くなっていった。







魔導車が止まった瞬間、アイリスは抱えていた鞄を胸に引き寄せた。

扉を開け、外に出る。

冷たい高原の風が頬を撫で、肺の奥まで一気に入り込んでくる。


視線の先――苔むした外壁がそびえていた。

ひび割れた石の継ぎ目、薄曇りの空へ突き立つ古塔。


約定の塔。


レガリス王都から魔導車でおよそ四時間。

シェルナ自治領の高原に、ただ静かに佇んでいる。


表向きには歴史的重要建築物として評議会が厳重に管理し、一般人の立ち入りは禁じられている。

だが今日は、その禁忌の領域がざわめいていた。


塔の周囲では、評議会の調査員たちが数十人規模で動き回っている。

結界の調整、機材の設置、魔導端末の起動音。

短い指示が飛び交い、張り詰めた空気が辺りを支配していた。


そして、その入口で待っていたのは、白衣を羽織った一人の男。

乱れた髪、手には分厚い設計図の束。アレフ・ヴァイゼン博士だ。


「よく来たな、フェルマくん」


「……本当に、私でよかったんですか」


「他に誰がいる」


博士は軽く笑う。まるで、世界で一番簡単な質問に答えるように。


「君の論文は最高だ。特にあの突飛な発想――

『古代兵器は術式の産物ではなく、意思を持つ存在である可能性』。

本気であれを書ける人間は、そうはいない」


胸の奥が、熱くなる。

三年前、学会で笑われたあの論文を――

たったひとりだけ、こうして覚えていてくれた人がいる。


「さあ、本物を見せてやろう」


博士は背を向け、塔へ向かって歩き出す。


アイリスは鞄を握り直し、その背中を追った。

足が震えている。

けれど――止まれない。


父が見たかった景色。

自分自身が信じ続けた、伝説の先。


ここから、何かが始まる。

そう、確信していた。







石造りの螺旋階段を、降りる。

一段、また一段。


足音が反響するたび、心臓の音が大きくなる。

壁に刻まれた古代の紋様が、魔導灯の光を受けて揺らめいている。


「この先が封印層だ」


博士の声が、やけに遠く聞こえた。


アイリスは壁に手を触れた。

冷たい石の感触。何百年も前に刻まれた、祈りの痕跡。

掌に伝わる感触に、喉がわずかに鳴った。


やがて回廊を抜けると、視界が一気に開けた。

そこにあったのは――巨大な双扉そうひ


全面に刻まれた紋様が淡く規則的に明滅し、

魔力の膜が扉全体を包み込む。

空気そのものが震え、皮膚の奥までざわつかせた。


――伝承は本当だった。


扉を見ただけで、そう確信できた。

胸の奥で、追い続けてきた夢が現実に触れる音が聞こえた気がした。


アイリスは無意識に、扉へ向かって一歩踏み出していた。

手を伸ばす。


触れたい。確かめたい。

これが夢じゃないと――


そのとき。

地上から、鋭い警報音が響き渡った。


「変異体だ!」


甲高い叫び声。

続いて、魔導銃の連射音。結界が弾ける音。


アイリスは反射的に鞄を下ろし、護身用の短銃を掴む。

指先が震えている。


「……ふむ、予定より早いな」


ヴァイゼン博士は、不謹慎なほど愉快そうに目を細めた。


上階からの轟音が、階段を伝って降りてくる。

叫び声。爆発音。何かが壊れる音。


次の瞬間、低い唸りとともに封印扉の魔力膜が揺らぎ、光が走る。

古代の術式が、ひとつ、またひとつと解除されていく。


「封印が……!」


「……いいぞ、やはりワシの計算通り……」


博士の目が異様な輝きを帯びる。


重い音。

扉が、開き始めた。


暗闇の奥から、ひんやりとした霧が流れ出す。

光の粒子が舞い、結界の紋様が脈打つように明滅する。


そして――影が動いた。


金属の躯体が、霧の中に輪郭を現す。

淡く光る双眸そうぼうが、ゆっくりと開かれた。


アイリスは、息をすることも忘れていた。


銀色の髪が揺れ、顔と手は人間と見紛みまがうほど精緻せいちな造形。

だが、その全身は銀灰ぎんかいの装甲に覆わた――人ならざる存在。


音もなく立ち上がったその姿は、まるで古代の彫像が命を宿したかのようだった。

脚元に広がる魔力の余光が、鋼の輪郭に不規則な影を刻む。


「……アーク……」


声が震えた。

これが――父と共に追い続けてきた、守護者。


直後――轟音。

封印層の天井が崩れ、瓦礫と共に数名の調査員が落ちてくる。


そして、その影を追うように、黒く蠢く異形が現れた。


ねじれた肢体、触手のように伸びる腕。

口は裂け、並ぶ牙は過剰に伸びて肉を裂く凶器と化していた。

毛並みの間からは黒い靄が漏れ出し、体の輪郭すら揺らめいて見える。


視界を歪ませるほどの濃密な“混沌因子こんとんいんし”が、空気を一変させる。


悲鳴が上がる。

調査員たちが後退する。


けれど、アイリスは動けなかった。

恐怖で、ではない。

目の前に立つ"それ"から、視線を逸らせなかったから。


そして――

その中で、ひときわ冷たい声が響いた。


「混沌変異体を確認。……状況分析、完了。

命令してください」


低く、揺るぎない声。


誰もが息を呑み、動きを止めた。

評議会の精鋭たちでさえ、ただその存在を見つめることしかできない。


けれど――

アイリスだけは違った。


恐怖も、驚きも、混乱も――全てが消えた。

残ったのは、ただひとつの衝動。


理屈ではない。本能だった。


唇が、自然に動く。


「お願い――」


声は震えていた。けれど確かに響いた。


「その変異体を……止めて……!」


それは命令ではなく、願いだった。

けれど、その言葉は確かに届いた。


――光が走る。


世界が白に染まる。

轟音。否、音と呼べぬ衝撃。

空間ごと抉り取る一撃が、すべてを呑み込む。


視界は真っ白に、耳は麻痺し、

時間すら止まったように感じられた。


そして――


変異体は消えていた。

影ひとつ残さず。


残っているのは、振動と熱の余韻だけ。

静かに、しかし確かに、空間を揺らしていた。


アイリスの膝が、震える。

立っているのがやっとだった。


「……見たか!? 今の反応速度!」


そんな空気の中で、ヴァイゼン博士が興奮で声を張り上げる。


「術式介在ゼロだぞ! 完全な直結伝導!

本物だ……がはははは、これは本物だぁ!」


けれど、その声も耳に入らない。


アイリスは、ただ前を見ていた。


霧の中、静かに立つアーク。

その双眸が、彼女を捉えている。


言葉はなかった。

だが、その瞳の奥に宿る光は、確かに彼女だけを見ていた。


胸の奥で、何かが目を覚ます。

温かく、切なく、怖いほどに。


けれど、確かに感じる。


――これは、始まりだと。





――――――――――――――――――

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アーク プロフィール

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アイリス・フェルマ プロフィール

https://kakuyomu.jp/users/Chums_/news/822139836791221680

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