第七話 校舎に住み着く影

 一人になった図書室は、墓場そのものだった。井原千尋が遺した三日月形の髪飾りが、私の手の中で冷たく光っている。彼女の言葉が、壊れたレコードのように頭の中で何度も繰り返された。


『オカルト研究部の部員数は、六人』

『七不思議を完成させるための、ただの“駒”』

『自分でも、まだ、わかっていない』


 意味の分からない言葉の破片が、私の思考を掻き乱す。混乱と恐怖に突き動かされるように、私は図書室を飛び出した。


 ――莉奈!

 ――拓哉!

 ――香織!

 ――健介!

 ――亮!

 ――千尋!


 声の限り叫びながら、闇に沈む廊下を走る。当然のごとく。返事はない。ただ、自分の叫び声が不気味に反響するだけだ。


 音楽室へ戻った。ピアノは静寂を守り、そこに榊原莉奈の姿はない。

 中央階段を駆け上った。そこに置いておいたはずの斎藤拓哉のカメラは、いつの間にか消えていた。

 保健室を覗いた。人体模型は何も語らず、山本香織の愛らしい姿はもちろん見当たらない。

 三階女子トイレは割れた個室のドアが痛々しく、鈴木健介のタブレットは闇に溶けたように消えていた。

 理科室では、水谷亮の手を離れ、床に転がっていたはずの標本瓶がなくなっていた。

 そして、もう一度戻った図書室。手に中にあったはずの、千尋の髪飾りがいつの間にかなくなっている。


 まるで、彼らが存在した痕跡そのものが、この校舎から丁寧に消し去られているようだった。私は膝から崩れ落ちた。一体何が起きているんだ。私だけが、この悪夢のような校舎に一人、取り残された。


「七不思議……」


 そうだ、すべての始まりはあのリストだった。私はふらふらと立ち上がり、計画の起点である一階の昇降口へと戻った。そこには、皆で最初に見たあの古いプリントが、一枚だけひらりと床に落ちていた。震える手でそれを拾い上げる。


『我が校に伝わる七不思議』


 一つ目から六つ目まで、その全てが仲間たちの最期と重なる。これはもう、ただの怪談ではない。オカルト研究部員のために用意された、死の筋書きそのものだ。そして、私は最後の項目に目を落とした。


『七、――校舎に棲みつき、すべてを騙す影』


 すべてを、騙す影……


 その言葉が、毒のように全身に広がっていく。


 千尋は言った。『部員数は、六人』だと……


 その瞬間、私は廊下の大きな窓に映る自分の姿に気づいた。夜の闇を背景にしたガラスは、まるで黒い鏡のようだ。そこに映る私の姿は、ひどくおかしかった。

 輪郭がぼやけている。顔のパーツが、まるで墨で描いた絵が水に滲んだように、はっきりしない。思わず恐怖で後ずさると、窓の中の『私』は一瞬遅れて動き、その口元が、ニヤリと歪んだように見えた。


 ――違う。あれは私じゃない!?


 恐怖に駆られ、自分の足元を見た。床に落ちる私自身の影。それはもはや、体の形を忠実になぞってはいない。不定形に広がり、まるで生きている黒い水たまりのように、足元で蠢いている。時折、その影の端が伸びて、まるで何本もの腕がそこから生えてくるかのような、おぞましい形を作った。


「私は…いつから、この部に……?」


 思い出せない。


 ――莉奈と初めて話した日の記憶は?

 ――拓哉と馬鹿な話で笑い合った思い出は?

 ――部員たちと過ごした、夏休み前の、何気ない日常の風景はどこにある?


 ……ない


 何も思い出せない。記憶の中にあるのは、ただ、“仲間である”という曖昧な事実と、今夜起きたこの惨劇だけだ。


『影山』


 この名前は、誰が付けた? いや、違う。私が、自分でそう名乗っていた。


 影の山……


「ああぁ……」

 声にならない声が、喉から漏れた。


 あまりに、そのものじゃないか――


 私は、仲間たちを探していたんじゃない。私は、私自身が何者なのかを探して、この校舎を彷徨っていたのだ。

 そして、答えは、最初から出ていた。


 私が『影山』としてここにいること自体が、七つ目の不思議――


 校舎に棲みつき、オカルト研究部の六人に“七人目の仲間”という幻覚を見せ、一人ずつその闇に取り込みながら、自分自身をも騙していた、哀れで愚かな怪異。


 それが、私の正体――校舎に住み着く影!


 私はゆっくりと自分の両手を見つめた。それはもう、人間の少年の手ではなかった。指先から、黒い粒子のようなものが霧のように立ち上り、闇に溶けていく。


 ――ああ、そうか。


 探す必要などなかったのだ。

 だって、みんな――ずっと、ここにいたのだから。私の中に……


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