第一章:澱む日常と観測者
俺の名前は嘉永綾凡。この砂土島の砂土村に住む、どこにでもいる普通の中学二年生だ。
本当に、心の底から普通。この島の黒い岩と灰色の空の下で生まれ、一度も島の外へ出たことがない。ラジオから流れてくる本土の喧騒や、テレビドラマで見る煌びやかな街の景色は、まるで別の惑星の出来事のように感じられる。きっと、外の世界で生きる人々も、形は違えど同じように退屈で、同じように意味のない人生を生きているに違いない。俺は時々、窓枠に肘をつき、単調な波の音を聞きながらそんなことを考える。
そんな、万事が万事つまらないこの村にも、最近は少しばかり面白い――こんな物言いをすれば、うちの母さんあたりは目を吊り上げて「不謹慎だ」と叩くだろうが――事件が起きている。
最近、この島で未成年の自殺者が妙に増えているのだ。テレビのワイドショーでは、したり顔のセンモンカとやらが、離島の閉塞感がどうだの、若者のコミュニケーション不全がこうだのと、ありきたりの言葉を並べている。だが、そんなことは俺にとってはどうだっていい。なぜなら、俺は自殺なんてするつもりは微塵もないからだ。
確かに、人生はつまらない。朝起きて、学校へ行き、変わり映えのしない授業を受け、家に帰る。その繰り返し。未来に輝かしい希望があるわけでもない。それでも、俺は死にたくない。自分でもこの感覚がよく分からない。なぜこれほど生に執着するのか、その理由をうまく説明できないのだ。
とりあえず、今俺に一つだけはっきりと分かっているのは、童貞を卒業するまでは絶対に死ねない、ということだけだ。馬鹿げているとは思うが、今の俺にとってそれは、どんな高尚な哲学よりも確かな、生きるための楔だった。
つまらないといえば、昨日のことだ。日曜だというのに朝から小雨が降っていて、俺は昼過ぎまで布団にくるまり、買ったばかりの格闘ゲームに熱中していた。オンライン対戦で連勝を重ね、ランキングが上がっていく快感に浸っていた、まさにその時だ。なんの前触れもなく部屋のドアが開き、母さんが入ってきた。そして、俺が何か言う間もなく、いきなり布団を引きはがしたんだ。
「うわっ!?」
突然のことに驚き、コントローラーを持つ指が滑る。画面の中の俺のキャラクターは無防備な硬直を晒し、相手の放った必殺技をまともに喰らって派手に吹っ飛んだ。完璧なKO負けだった。
「何すんだよいきなり!」
連勝が途切れた怒りをぶつけようと母さんの方を振り返った俺は、しかし、次の言葉を失った。
母さんが、泣いていたのだ。
ぼろぼろと涙をこぼし、震える声で、ただ一言、こう言った。
「……よかった……ああ、よかった……」
……何が「よかった」んだ? 俺がゲームに負けたことか? 訳が分からない。俺が呆然としていると、母さんはそれ以上何も言わず、まるで何か恐ろしいものから逃げるように部屋を出て行ってしまった。後に残されたのは、剥がされた布団の冷たさと、俺の当惑だけだ。
いつもそうだ。母さんは俺に「お利口さん」でいることを押し付ける。島の人間として、世間様から後ろ指をさされないように生きろと、口癖のように言う。昨日のアレも、きっと日曜の昼まで寝ていた俺をだらしないとでも思ったのだろう。それにしても、あの尋常じゃない取り乱し方は何だったのか。
俺はため息をつき、ベッドから起き上がった。窓の外は、相変わらずの曇り空が広がっている。まるで、この島全体が分厚いガラス瓶の底に沈んでいるようだ。
その時、ふと昨日の母の顔が脳裏をよぎった。あの目は、ただ息子を叱る親の目ではなかった。あれは、崖っぷちに立つ人間が、すぐ足元に広がる暗い奈落を覗き込むような……そんな、得体の知れない恐怖に染まった目をしていた。
――まあ、考えたって仕方ないか。
俺は頭を振って嫌な考えを追い出す。どうせまた、ヒステリーの類だろう。
制服に着替えながら、俺は今日の退屈な一日が、また何も起こらずに終わることだけを願っていた。
この時の俺は、まだ知らなかったのだ。俺の日常という名の薄氷が、もうとうの昔に砕けていたということを。そして、母が覗き込んでいた奈落は、もうすぐそこに、俺の足元にまで迫っていたということを。
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