あるターミナルケア担当新人医師の手記
まこわり
第1話 親父と息子1
僕の名前は
結局二浪して実家から離れた私立大学の医学部に進学して、一人暮らしを始めた。親は仕送りと学費を払うだけの存在としか考えておらず、父親とは高校三年の夏から会話らしい会話をした覚えがない。
晴れて医者になったが、そのときでも父親との会話はなかった。
医師の初期研修が終わり、専攻医として専門研修プログラムを受けていたが、途中でしんどくなって辞めてしまった。
元々医療に興味があったわけではなく、父親によって敷かれたレールにただ乗っていただけだったため、意志もあまりなかった。
しかし、生活のため就職はしなければということで、民間の医療機関を探した。
医師専門の求人情報サイトで、「内科医」で検索し、たまたま一番上に載っていた医療機関に応募して採用が決まり、配属されたのは、ターミナルケア専門病棟だった。
* * *
新人としては季節外れの3月の出勤初日、
「おはようございます。初めまして。早く、一人前になれるようにがんばります」
定型的な挨拶だった。
新人と言っても大学受験で二浪しているため、今29歳だった。
「本日午前5時21分、205号室の
申し送りが終わると、初めに
「改めまして、俺は
体育会系、天中が持った柿木の第一印象だ。
「どこへですか?」
「患者さんのところにだよ」
* * *
院内を移動中に、柿木と天中は会話をした。
「いきなり初日から患者がお亡くなりになった情報、ショックを受けなかったかい?」
「いえ、医者ですから、そういうものには慣れておかないとと思ってます」
「そうか。ところで天中君、この病院を選んだ理由ってのを聞いてもいいかい?」
「内科医としての専門性を磨きたくて選びました」
さすがに、正直に言うと失礼であると思い、天中は少し
「それでは、うちにターミナルケア専門病棟があることも知っていたのかい?」
「すいません、それは知りませんでした」
「そうか、説明しておくと、ターミナルケアって言うのは、医療従事者が適切な説明を行った上で、患者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本として人生の最終段階における医療・ケアを進めていくんだ。ここからが大事なんだが、痛みを和らげるのはもちろんだけど、治療だけじゃなく患者やご家族の精神的なサポートも大事なんだ。細かいことはいろいろあるが、とりあえずはそんなところだよ」
柿木は立ち止まった。
「ここの部屋だ。こちらの患者は
ノックをして部屋に入ると、いくつもの医療用の管がつながっている、ヒゲが伸びきった男性がベッドに寝ていた。その
「
柿木と天中が入ってきたことに気づくと、女性が腰を上げて丁寧に挨拶をしてきた。
「先生、おはようございます」
柿木は心電図と呼吸の状態を確認した。酸素吸入器のマスクが、一定のリズムで曇っていた。
「穏やかに眠ってらっしゃいますね」
柿木は
「こいつ、今日から入った医師なんですけど、置いていきますんで、何か異常があったら、彼に言ってください。では、失礼します」
柿木は天中を病室に残して行ってしまった。
いきなり初対面で患者の家族のケアをしろと、かなり無茶な新人教育だと天中は思いつつ、話題を探していた。
「あなたもお医者さんなのね?」
患者の妻が先に口を開いた。
「はい、すいません、正直気の利いた言葉が浮かばず……」
「ネットでも調べたけれど、ターミナルケアって家族の精神的なサポートも、お医者さんのお仕事なんですってね」
「すいません、そのはずなんですが……」
「いいのよ。もう、覚悟はできているから。たぶん、主人はこのまま意識が戻らず苦しまず、静かに、亡くなるんだわ」
そこに、一人の青年がノックもせずに入ってきた。
「
天中は、いきなり現れた青年に驚いたが、病室では静かにさせなければという思いで動いた。
「君、病室では静かに……」
その時、天中の視界の端で何かが動いた。意識がなかったはずの患者だった。患者は薄く目を開け、寝たままゆっくりと酸素マスクを右手で外していた。それから、その右手をゆっくり上げた。手は震えており、握りも弱々しいが、形は確かに「サムズアップ」だった。
患者の口元が少し笑うと、その青年もニヤリと笑い返した。
患者の妻は、その光景を見て目に涙を溜めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます