泣き虫に幸あれ

道端ノ椿

一話「泣き虫な女の子」

 僕は高校で優香と出会った。彼女はただの〈泣き虫な女の子〉だと思っていたが、そうではないらしい。優香は背が小さく、肩にかかるショートボブ。クラスではごく平均的な見た目である。

 彼女を知ったのは入学式の日。クラス分けで席に着いた瞬間、優香は泣き出した。僕は入学式で泣く人間を初めて見たが、そこまで気に留めなかった。女の子は変なタイミングで泣くことがある。


 四月、クラスメイトや先生は、毎日泣く優香を慰めていた。

 五月になると、泣き続ける彼女を鬱陶うっとうしく感じる人が増えた。

 六月には、リーダー格の女子が優香を泣かせようと意地悪を始めた。それを見て見ぬふりしている僕も共犯者なのだが、知ったことではない。


 僕は驚いた。なんと、あの優香がいじめられる時には一滴の涙も流さないのだ。 今こそじゃないのか? 優香は涙をこらえている様子でもない。むしろ、ある時はいじめっ子の風邪を心配さえしている。そして彼女らは再び優香を気味悪がって、ほったらかしにした。


 七月。ついに優香はクラスの〈空気〉になった。離れていくみんなと反対に、僕だけは不思議と彼女に引き寄せられていく。


 こうしてかげから女の子を見るのは、ストーカーと言うのだろう。それでも、彼女のことを知りたくて仕方なかった。優香は〈泣けない僕〉の真逆だから。

――いや、それは方便だ。知的好奇心と言いながら、その半分は肉欲なのだ。僕なんて、その程度の汚い人間だ。


 観察してみると、優香は一時間に一回は泣いている。理由はわからない。百歩譲って、国語の小説や戦争の歴史で泣くのなら理解はできる。ただ彼女はどの授業でも、さらには昼休みや掃除の時間にも泣いていた。

 あれだけ泣いたら、脱水症状にならないのか?

『人前で泣きたい』という性癖か?

 それとも、泣いてしまう病気? ぐるぐる考えるうちに、『泣くとは何か』という哲学にまでたどり着いた。




 その日の夕食時、僕は心理学者の母に聞いてみた。


「彼女ほど泣く人は聞いたことがないわね……」

 母は湯呑みのお茶をすすった。

「強迫観念みたいなものかしら」


「強迫観念」


 母はうなずいた。

「まるで命令されたかのように、『しなきゃいけない』と思い込んでしまう心理状態よ」


 なるほど。優香には泣く義務があるのかもしれない。『一時間おきに泣かないと、家を爆破される』とか。それなら少しは納得できる。


「僕は父さんが亡くなったのに、泣けなかった」と言ってみた。

「人でなしだと思ったでしょう?」


 母は上品に微笑み、首を振った。

「泣けないことにも理由があるのよ。特に、悲しみが強すぎて頭が整理できない時なんかはね」

 母はテーブル越しに、僕のほおに手を添えた。涙こそ出なかったが、『人はこういう時に泣くのだろうか』と思った。

「それで、あなたは優香ちゃんに恋してるの?」


 一気に顔が熱くなった。

「は? どうしてそう思うの?」


「あなたが心理学の質問をするなんて珍しいから、ちょっとかまをかけてみたのよ」

 母はように笑った。

「当たりだったかしら?」


「違う。珍しいから、単純に興味があるだけだよ」

 僕はムキになって言い返した。


「あら、恋っていうのはよ。相手のことを知りたい、話したい、手を繋ぎたいとかね。単純でしょう?」

 母は指で僕の頬をつついた。

「ましてや、家でもその子のことを考えてるなら、もう恋なんじゃないかな?」


 僕はが悪くなり、黙って部屋に戻った。


「からかってごめんなさい。またいつでも相談に乗るからね」


 母の顔は見なかったが、いつもの天真爛漫な笑顔が頭に浮かんだ。




 翌日の学校でも、母の言葉が頭の中を占拠していた。まさか僕が『恋とは何か』なんて考える日が来るとは。


 今日は五時間目が体育で、六時間目が日本史だ。ほとんどの生徒は居眠りをしていた。優香は泣いている。すべていつも通りだ。

 放課後になったが、僕は何となく席に残って宿題をする。しかし、体育の疲れからか、いつの間にか眠ってしまった。

 そして僕は今、幸せな夢を見ている。あの優香がとなりに座って、涙を流し、僕の手を握り、頭を撫でてくれているではないか。


――いや、違う。これは現実だ。



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