どうやら近衛くんは庶民として生きたいらしい

山神まつり

第1話

トランプゲームで「大富豪」という遊びがある。

大富豪は最初に手札を無くしたプレイヤーに与えられる称号で、大富豪から大貧民への降格は、ローカルルールによっては、大富豪が最初に上がれなかった場合に強制的に大貧民になる「都落ち」というルールで起こることがある。

つまり、ちょっとしたミスで足元ががらがらと崩れて、一気に大貧民に転落してしまったことが事の始まりだったというわけだ。


春から初夏にかけて道端は食材の宝庫だ。

うららかな春の陽気に誘われて、いをりは近くのあぜ道を歩いていた。

生えている生えている、タンポポ、ノビル、ミツバとたくさんある。

タンポポの花や葉は天ぷらや炒め物、スープに入れてもおいしい。ノビルはネギのような匂いがする。味噌とあえてネギ味噌ならぬノビル味噌として食べるといい。ミツバは市販のものと比べると大きくて香りも強い。おひたしなんかにしても美味しい。

野草は冬の間にため込んだ老廃物を輩出してくれる。だけど、食べすぎは厳禁。少しずつ頂くのがいい。

昨日はヨモギやドクダミを使ったご飯を食べたから、今日はふきのとうのオリーブ漬けを使ったパスタにしてみよう。

色々とメニューを考えるのが本当に楽しい。

勉強のことを考えると頭が痛くなるけれど、野草のことを考えるとその痛みがぱあっと晴れてくれる。

一人で座り込んでせっせと野草を取っていると、「おーい」と後方から誰かを呼ぶ声が聞こえた。

今は、目の前の野草たちのことだけを考えていたい。いをりは自分のことだとは思わず、ひたすら黙々と取り続けていた。

「―――いをり姉、無視すんなって」

「わっびっくりした」

いつの間にかすぐ後ろに立っていた男の子に、いをりはびっくりして尻もちをついてしまった。だけど、両手の野草たちを離すことはしなかったのでバランスが取れず、大の字で転がってしまった。

「おい、パンツ」

「安心してよ、ちゃんと中に履いてますよ」

にっと笑ってピースサインを繰り出してみるが、目の前の男の子はあからさまに深くて長いため息をついた。

「まったくさ、花のJKがこんなあぜ道で野草取りって、俺は悲しくなるよ」

手を差し伸べてくれたので、いをりは迷わずにその手を取った。

一回強くぐいっと引っ張ってもらうとちゃんと身を起こすことが出来るのだから、やっぱり男の子の力は凄いと思う。

「そんなこと言って、お相伴に預かっているのは誰でしたっけ?」

「分かってますよ、俺ですよ。めっちゃくちゃお世話になってます」

深々とお辞儀をされたので、いをりは鼻高々と「よろしい」と口にした。

「あれ、今日って部活ないんだっけ?」

「うん、何か杉浦先生が急遽出張らしくって、休みになった。明日の朝練もないらしいから、いつもより早く起きなくて大丈夫だよ」

「了解」

適当な敬礼をし、「部活は慣れた?」と訊いてみる。

「何?俺がいじめられてないとか気になる?」

「そんなこともないけど、いちを叔母さんに報告義務があるし」

その言葉に男の子は面白くなさそうに眉をひそめた。

「……別に、あの人にいちいち報告しなくていいよ。息子を心配する振りをして、一番気にしているのは世間体だけなんだから」

「それでも!従姉妹として央志の生活管理は私に一任されているんだから、ちゃんとしないとね」

央志はもう何も言わずにいをりを置いてあぜ道を抜けて1人で家路を辿っていった。


叔母のふみをから連絡が来たのは1年前ほどだった。いをりと母のみさをが今のアパートに引っ越してきて2年ほど経っていた。

叔母とは2年以上も連絡を取っておらず、親族と関係も断絶していたので思いがけないことだった。

央志を、助けてほしいと。

その当時、心配するくらいの肥満体型だった央志は家からほとんど出ることなく、ただただジャンクフードを口に流し込むという自堕落な生活を送っていた。痩せさせるため色々な医者に相談したが、自ら痩せようという意思を持たせないと動けないと拒まれたそうだ。

小さい頃から少々ぽっちゃりな体型だった央志は、小学校高学年の頃になると、肥満が可愛らしいという特性からただのだらしないものとしてシフトされてしまったらしい。段々と学校に行くのを拒み、叔母のふみをを面罵し、誰とも関わり合いのならないよう部屋から出てこなくなってしまった。叔父に相談しても仕事を理由にすべてを叔母に任せて相談に乗ってくれず、祖父や祖母には一族に欠陥品を出すことなど許されないと一蹴されて終わりだ。

自分は周りにどう思われてもいいが、息子の央志は救い出してあげたい。

その一心で、ふみをは姉のみさをに助けを求めた。


叔母のふみをは世間体など気にしていない。すべては央志のために動いたことなのに、それを当の息子は頑なに認めていない。

そして、みさをはトラックでふみをの元に向かった。みさをは長距離トラックの運転手をしている。叔父がいない時間帯を狙い、ふみをとみさをで嫌がる央志と最低限の荷物をカートに乗せてアパートへ運んだ。

央志ははっきり言って幼少期からわがままいっぱいに育てられていたので、大して叱られたこともなく、自分の言うことはすべて叶えられてきた。だけど、みさをはそれを許すはずもなく、家事は分担制、ご飯なども自分たちで用意する。贅沢はしないという決まり事を守らせた。

いをりが近所で取ってくる野草料理と、近くに借りている家庭菜園で取れた野菜、肉や魚は最小限という食生活に、央志は最初反発していたがやはり何も口にしないときつくなってくるのか食べるようになった。

いをりと一緒に野草を取りに行ったり、畑仕事をした。そこで食べるものは無限に湧いてくるものではなく、自然の物を頂いたり、人の手で丹念に育てられたものを食べるという概念に感動したのか央志は少しずつ少食になり、自然と体もスリムになってきた。

8カ月も経つと、カートに乗せられてきた体型とは大きく変わり、肌もすっかり綺麗になった。これを契機にみさをはふみをの元に帰そうとしたが、央志はこのままここに住みたいとはっきりと主張した。ふみをに事情を話し、逐一央志の体調や状況などをいをりが報告することになった。だけど、それを央志はあまり好ましく思っていないらしい。

どこかで、すれ違いが解消できればいいと思っているが、その機会をなかなか作る時間が取れないという現実問題がある。

央志は家の近くの中学校に編入し、剣道部に入部した。あまり学校のことを話さないが、きちんと朝練にも通っているので良い傾向だと思っている。

いをりは家から自転車で20分くらいの県立高校に通っている。央志もいをりも昼食は弁当なので、央志が朝練がある時は5時くらいには起きないと間に合わない。みさをは長距離トラックの運転手のため三日に一度は帰ってくる。一日休んで、また次の日から仕事というハードスケジュールだ。

ふみをから央志の生活費と名目で、みさをが月々いくらか貰っているらしいが本人は使わないでまとめて返そうと思っているらしい。なので、実質みさをの収入のみで三人で暮らしていかなければならない。いをりは倹約を心に決めて、今日もせっせと野草を取り続ける。


アパートに戻ると、何なら入口あたりが騒がしかった。

青雲荘という築年数不明のアパートは一階が4室、二階が4室といった全部で8室しかない極小かつボロいアパートだ。

「山口さん、大島さん、どうしたんですか?」

「あら、いをりちゃん?おかえりなさい」

「何か騒がしいみたいですけど……」

その時、どーんという大きな音が二階から聞こえた。それと共に「もう耐えられない!」という女性の甲高い声がこだまする。

「まあまあ落ち着いてください、近衛さん」

声がした二階の部屋から大家の橋本さんが後ずさりしながら出てきた。

「もう、いい加減にしないか!英恵!私たちはここに住むしかないんだ!」

男性の大きな声と共に、うわーんという女性の泣き声が響き渡った。

「え、何かしら、愁嘆場って奴かしらね……?」

山口さんが隣に立ちすくむ女子大生の大島さんに耳打ちするも、大島さんは小さく頷きながら分厚い黒縁の眼鏡をくいっと上げただけだった。

「えー何、何事?」

聞き覚えのある声に振り返ると、アイスキャンディーを舐めながら央志が不機嫌そうに立っていた。

「え、先に帰ってたんじゃなかったの?あ、しかもアイス買い食いして!」

「いいじゃんか、アイスぐらい。少しは甘いもの口にしたって問題ないだろ」

「そのちょっとした甘えが自分の体に返ってくるんだからね!」

「―――いやいや、本当に皆さん、ご迷惑をお掛けしています」

橋本さんと一緒にゆっくりと階段を下りてきたのはよれよれのワイシャツにチノパンを合わせた男性だった。ただ、何故だろう、このボロアパートにそぐわない神々しい風格を備えている。その雰囲気に皆気づいたのか、ただただ息を飲むだけだった。

「あれ、何かあのおじさん見たことある」

「え、そうなの?」

央志の呟きにいをりは男性を見やるも、あまりテレビを観ない身としては思い当たらなかった。

「えー今日から202号室に入居することになりました、近衛さんです」

橋本さんのどこかしどろもどろな紹介に、男性はにっこりと柔和な笑みを浮かべた。

「初日から家内が騒がしくてすみません。私と、家内と、あとは息子が一人おります。皆さま、どうぞよろしくお願いします」

「あ、202号室ならお隣さんだ」

いをりの言葉に、男性はこちらに視線を向けた。

「あ、ええと、鳴海いをりです。そして従弟の央志、そして母がおります。よろしくお願いします」

「……失礼ですが、お嬢さんは高校生ですか?」

「はい、高校二年生です」

「それはそれは、息子と同い年だ。この辺りのことは全く分からなくて、後日相談させていただいてもいいですか?」

「はい、大丈夫です」

そのまま男性はぺこりと頭を下げるとそのまま階段を上っていった。その階段の上がり方もどこか品があり、いをりたちは無言で男性の後姿を眺めていた。

「えーというわけで、皆さん、近衛さん家族をよろしくお願いしますね。青雲荘での決まり事やゴミ出しの曜日なんかはあとで私が逐一説明するつもりですが、まぁ、こういった庶民の生活も初めてだと思いますので、ゴミ出しの日を間違えてしまってもあまり責めないであげてくださいね」

「―――庶民の生活?」

いをり、山口さん、大島さんの疑問に、央志はぽんっと拳を手のひらに落とした。

「思い出した。レストランとか不動産とか多角経営していた近衛ホールディングスが最近多額の負債を残して倒産したって。近衛って、結構珍しい苗字だし、多分そうなんじゃない?」

央志の言葉に、その場に残された三人は思わず互いの顔を見合わせた。




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