第17話 舞台裏の戦い

 会場は、港湾地区に広がる近代的な展示ホール。

 ガラス張りの外観が朝日にきらめいていた。


 最新のヘルスケアプロダクトが一堂に会する巨大な展示ホールには、白を基調とした近未来的な内装のブースが並び、天井から吊るされた大型ディスプレイには各プロダクトの紹介映像が流れている。


 会場中央ではライブトークやデモンストレーションが次々と行われ、参加者は医師や研究者、メディア関係者、投資家と多岐にわたり、どのブースにも熱気と視線が注がれていた。


 会場の展示ブース。久遠とセリスは、入れ替わり立ち代わり訪れる医師や記者、業界関係者に対応していた。

 僻地での成功事例や低電波域での新機能を説明し、来訪者の表情が変わる瞬間を見逃さない。

 その最中、セリスが手配したメディア取材に同行する形で、救われた患者の家族がブースを訪れる。


「母が、TruePulseで助けられました……本当に、ありがとうございました」


 年配の女性が深く頭を下げ、声を震わせる。


 カメラのシャッターが、控えめな拍手のように鳴り響いた。

 車椅子に座る老婦人は、まぶしそうに目を細めながらも、やわらかな笑みを浮かべていた。その隣では、主治医が市販モデルのTruePulseを丁寧に掲げ、患者を見守っている。


 絶妙な構図、完璧なタイミング。


 その場にいた誰もが感じていた──

 これは、周到に用意された一幕だと。


 だが、不思議と白々しさはなかった。

 感謝の言葉も、医師のまなざしも、老婦人の笑顔も──すべてが、そこにあるべくしてあった。


 久遠が低くつぶやく。


「反応、いいですね」


 セリスは淡々と答える。


「我々が見るものは数字だが、聴衆はストーリーを見ている」


「……さすが帝王ですね」


 久遠の素直な称賛に、セリスが少し照れたように、小さく微笑んだ。


 取材クルーがその様子を撮影し、映像は瞬く間にSNSへ流れ、会場内外で拡散されていく。


 背後では氷室が取材や会議のスケジュールを仕分けしながら、二人の会話や反応を注意深く観察していた。


***


 その頃、別室の加賀見はPC画面に並ぶ審査員の顔ぶれを睨み、藤原教授の票を軸に残りを固めるためのアプローチ先を洗い出していた。


 電話、メール、学会仲間を介した非公式の会話。


 裏掲示板に上がる噂や発言も逐一チェックし、敵味方の立ち位置を頭の中で塗り分ける。


***


 会場後方。


 氷室は立ち止まり、耳を澄ませた。


 審査員控室の前で、男たちの低い声が重なる。


「……藤原教授が、TruePulseには技術的疑義をぶつけるらしい」


「ReMediのプレプリント、今朝出たばかりの数値を根拠に」


 彼女の目に、わずかな陰りが宿る。

 脳内で計算が瞬時に走る。

 このままだと票が崩れる。


 時間は三分。


 氷室は踵を返し、控室のドア前に立った。


「藤原先生。少し、お時間を」


 人気のない通路に出て、彼女はタブレットを差し出す。

 寄付金の流れを示す表、講演謝礼の入金履歴、「倫理委員会 事前調査着手」の文言。


 右下には裏掲示板に立った匿名投稿のスクリーンショット。


「今日“疑義”を提示するのは先生の自由。でも、それは同時に先生ご自身の利益相反を照らすことになる」


 藤原は一瞬、視線を逸らし、唇を固く結んだ。

 額の皺が深くなり、指先が微かに震える。


 浅く息を吸い、吐き、そして目を閉じる。


「……脅すのか」


「いいえ。事実をお伝えしているだけです」


 氷室の声は低く、静かだが鋭い。


 沈黙ののち、藤原は短く息を吐いた。


「……考えておくよ」


 氷室はタブレットを閉じ、立ち上がる。

 室内の温度は変わらないのに、呼吸がすっと楽になった。


 ──これで、どう動くかは彼次第。

 でも、もう……駒は打った。


 足音を残して、氷室は控え室へと戻っていった。


***


 数十分後。


 ステージ裏の準備エリア。

 薄い仕切りを隔てた向こうからは、歓声と拍手が絶え間なく響いてくる。


 ──ノートPCに、1通のメールが届いた。

 送信者は、広報部長の佐藤だった。


 差出人:佐藤(広報部)

 件名:藤原教授 登壇辞退の件


 加賀見部長


 先ほど、藤原教授より本日の登壇を辞退するとの連絡が入りました。

 理由として「倫理的に問題のある案件に巻き込まれた」と強く主張しており、当社の対応についても不満を述べております。


 現時点で、当社との関係が悪化する可能性が高いと考えられます。

 詳細は後ほどお伝えしますが、会場で直接抗議される恐れもありますので、

念のためご注意ください。


 ──藤原が、辞退。

 ──倫理的に問題がある案件。


 文字を追っているはずなのに、意味が頭に入ってこない。

 呼吸が一瞬、止まった。


 体が椅子にもたれたまま小さく震え、手にしていたペンが指先から滑り落ちた。  乾いた音が床に響き、やけに大きく耳に残った。


 “氷室”の名が脳裏に点滅する。

 あいつが──動いたのか。


 背筋に冷たい汗が伝う。

 視界の端がにじみ、耳鳴りが始まった。

 やっと理解したときには、全身の血が足元に吸い取られていくような感覚だけが残っていた。


 積み上げてきた勝算の構図が、内部から崩落する音がした。

 スポンサーとの密約、藤原への根回し、聖央大のルート……。

 すべてが、氷室ひとりの手で一瞬にして瓦解した。


 そして──思い出す。

 あの日のことを。


 氷室は、かつて医療AIベンチャーの創業者だった。患者の早期診断を支援するAIを開発し、熱意にあふれていた。

 だが当時、市場2位のメディセンス・ジャパンにいた加賀見が、投資家を巧みに動かし、氷室の会社への資金提供を断ち切らせた。

 結果、彼女のプロダクトは日の目を見ず、会社は倒産。

 加賀見はその功績を買われ、メディセンスで新規事業部長に昇進した。


 氷室は共同創業者にも裏切られ、業界から姿を消した。


 ──叩き潰したはずだった。

 立ち上がれないほど、徹底的に。


 それなのに、また立ち上がってきた。

 久遠も同じだ。自分が潰したはずの相手が、何度も戻ってくる。


 胸の奥が、かすかに軋んだ。

 怒りではない。初めて感じる、薄氷を踏むような恐怖だった。


 ──負けるかもしれない。


 その言葉が脳裏に滲んだ。

 それを、無理やり頭から振り払う。


 まだ終わりじゃない。

 すべてを覆すには、まだ一手――残っている。


 震える指先を強く握りしめ、深く息を吐いた。

 頬の筋肉を無理やり持ち上げ、表情を整える。


 顔を上げる。


 ──プレゼンは、これからだ。


***


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