第24話 契約
俺のあまりに現実離れした要求を前に、王国の時が止まった。
謁見の間にいる全ての人間が言葉を失い、ただ玉座の前に立つ俺と、その隣で神々しいオーラを放つセレスティーナを凝視している。
嘲笑は、すでにない。
侮蔑も、ない。
あるのは、理解不能な現実を前にした、純粋な困惑と、畏怖だった。
重い沈黙を破ったのは玉座の国王アルフォンスだった。
彼は組んでいた指を解くと、その鋭い瞳で、俺、父アーク、そしてアードラー公爵の顔を、順番に、ゆっくりと見比べた。
まるでこの盤面の全ての駒の思惑を一つ一つ読み解いているかのように。
(……面白い)
国王は内心でそう呟いていた。
(リスクは計り知れない。もしこの子供が失敗すれば、王である余が道化となり、王家の権威は失墜する。だが……もし、万が一にも成功すれば……? 五百年の呪いが解かれ、広大な領土が手に入る。その功績は余を歴代随一の名君として歴史に刻むだろう。これは国運を賭けた途方もないギャンブルだ……!)
国王が思考の海に沈んでいると、焦れたアードラー公爵が最後の抵抗を試みた。
「お待ちください、陛下! これは前代未聞の暴挙にございます! いまだ成し遂げられておらぬ功績を担保に爵位と領地を約束するなど、我が国の法にも歴史にも例がございません! ましてや、相手は五つの子供! 貴族の秩序そのものが根底から崩壊いたしますぞ!」
公爵の、常識と伝統に訴えかける正論。
多くの貴族たちがその言葉に同調しかけた、その時だった。
「公爵。あなたの指摘は一点において正しい」
俺は国王が口を開くよりも早く、公爵の議論を打ち砕いた。
「これは前代未聞の案件だ。だからこそ、前例に倣うのは非効率。これは『褒賞』ではない。『契約』です」
「……契約、だと?」
「いかにも。俺が失敗すれば報酬は一切発生しない。それどころかシレン家は王を誑かした責を甘んじて受け入れる。だが、俺が成功すれば、契約に基づき、王国は対価を支払う。極めて単純で、合理的な取引です。そして侯爵の位は新たに生まれる広大な領地を統治し、発展させるために不可欠な『権限』というツールに過ぎない。俺の年齢と、俺の能力は、全く別の問題だ」
俺の、一切の感情を排したビジネスライクな反論。
それは、伝統や慣習といった曖昧なものを盾にする公爵の最後の武器を、いとも容易く無力化した。
国王は俺たちのやり取りを興味深そうに眺めていたが、やがてその口元に決断の笑みを浮かべた。
「――良いだろう」
国王の威厳に満ちた声が謁見の間に響き渡る。
「カイト・フォン・シレン。そなたの提案、そして『契約』、このアルフォンス・フォン・アステリアが王国の名において、正式に受諾する!」
その宣言に、アードラー公爵は顔を屈辱に歪ませて後退りした。
「書記官! ただちに契約書を!」
国王の命により魔法の羊皮紙が玉座の前へと運ばれてくる。
侍従がその契約内容を朗々と読み上げた。
「――契約条項。第一条、契約者カイト・フォン・シレンは、ゴルゴンの魔境を完全浄化し、その呪いの核を破壊すること。期限は本日より一月以内とする」
「第二条、前条が達成された場合、王家はカイト・フォン・シレンに対し、正一位『侯爵』の位を授与。及び、浄化されし土地の全てを彼の個人領地として安堵する」
「第三条、契約が未達成に終わった場合、シレン家は王家に対する全ての貢献を剥奪され、相応の咎めを受けるものとする」
それは、成功すれば空前絶後の栄誉、失敗すれば一族没落という、あまりにも苛烈な契約だった。
国王は魔法の羽根ペンを手に取ると、淀みない筆致で自らの名を記した。
そしてそのペンが俺の前に差し出される。
謁見の間の誰もが固唾をのんで見守っていた。
五歳の子供が、自らの家運と王国の未来を賭けた歴史的な契約書に署名する、そのシュールな光景を。
俺は差し出されたペンをためらいなく手に取った。
そして羊皮紙の上に滑るような流麗な筆記体で、こう記した。
――カイト・フォン・シレン
その、到底子供が書いたとは思えない完璧な署名を見て、何人かの貴族が小さく息を呑んだ。
俺がペンを置いた瞬間、契約書はまばゆい光を放ち、その契約が魔法的にも法的にも完全に成立したことを示した。
国王が満足げに頷く。
その瞳はもはや俺を子供として見ていない。
国運を賭けたギャンブルの、対等なパートナーとして見ていた。
「契約は成立した、未来の侯爵閣下。この王国の運命は今やそなたのその小さな肩にかかっておる。期待を裏切るなよ」
その言葉に俺はただ静かに頷きを返した。
「失敗という選択肢は俺のチャートには存在しません」
俺はセレスティーナと父アークと共に、玉座に背を向けた。
衝撃と、嫉妬と、畏怖の入り混じった視線を一身に浴びながら、俺たちは謁見の間を後にする。
王国の公認を得た俺のRTAチャート。
次の目的地は決まっている。
五百年の呪いが眠る死の土地――ゴルゴンの魔境だ。
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