第11話 ショート・ワープ
王立大書庫の禁書庫。
そこは尋常ならざる魔力の匂いが淀む、静寂の空間だった。
天井まで届く書架には、黒い革や得体の知れない素材で装丁された魔導書が隙間なくびっしりと並べられている。
一冊一冊が下級貴族の年収に匹敵する価値を持つと言われる代物だ。
(普通の人間なら、この光景に圧倒されて、手当たり次第に強力そうな魔法を探し始めるだろうな。しかしRTA走者からすれば最悪のタイムロスだ)
俺の目的は初めから決まっている。
この禁書庫に眠る、たった一つの「失われた魔法」。
原作ゲームでは、その存在は示唆されるものの、習得条件が異常に厳しいため誰もたどり着けなかった幻のスキル。
俺は派手な装飾の魔導書が並ぶメインストリートには目もくれず、記憶の中のマップを頼りに、最も奥まった埃っぽい一角へと向かった。
そこは、誰にも見向きもされないような、古びた学術書や研究日誌の類が雑に積み上げられた場所だった。
(あった……これだ)
俺が手に取ったのは、一見みすぼらしい表紙も擦り切れた一冊の本。
題名は『空間座標に関する初歩的考察』。
いかにも退屈そうなタイトルで、ゲームプレイヤーなら誰もが素通りする、ただのフレーバーテキストアイテムだ。
だが、俺の〈鑑定〉スキルは、その本質を正確に見抜いていた。
【魔導書:時空魔法概論・序説】
【習得可能スキル:〈ショート・ワープ〉】
【習得条件:INT(知力)50以上、かつ膨大な魔力を保有していること】
(ビンゴだ。これこそが俺のレベリング速度をさらに加速させる、最後のピース)
俺はその場に座り込むと、貪るようにページをめくり始めた。
〈高速詠唱〉スキルを習得した影響か、以前よりもさらに思考が冴えわたり、難解な術式理論が水のように頭に染み込んでいく。
書かれていたのは、空間そのものに干渉し、二つの座標を強制的に連結させるという、神の領域に踏み込むかのような理論。
この魔法が「失われた」理由は単純明快だった。
一回の発動に必要な魔力量が並の宮廷魔術師のそれを遥かに上回ること。
そして、座標指定にミクロン単位の正確性が要求されるため、常人の集中力では暴発のリスクが極めて高いこと。
まさに、ロマンと引き換えに実用性を完全に捨てた、死に魔法。
だが、それはあくまで「普通の魔術師」にとっての話だ。
(無限の魔力を供給する【魔力喰い】と、RTAで鍛え上げた俺の集中力。この二つがあれば、話は別だ)
俺は本を閉じ、静かに目を閉じた。
脳内で、今しがた覚えたばかりの術式を構築する。
イメージするのは、この禁書庫の入り口――あの司書が立っている扉の前だ。
膨大な魔力が、ごっそりと身体から抜け出ていく。
だが、それと同時に【魔力喰い】が発動し、禁書庫に満ちる濃密な魔力が空になったタンクを即座に満たしていく。
俺は目を開き、術式を発動させた。
「――〈ショート・ワープ〉」
ピシュンッ!
次の瞬間、俺の視界は一変していた。
さっきまでいた書庫の奥ではなく、重厚な鉄の扉の前に立っている。
目の前では、俺が禁書庫に入ってからずっと落ち着かない様子で待っていた司書が、虚空から突如として現れた俺の姿を見て腰を抜かしていた。
「な……ななな……!? い、いつの間にそこへ!? 今、確かにあなたは奥へ……!」
「用は済んだ。礼を言う」
俺は床にへたり込んでガタガタと震える司書を一瞥すると、彼が落とした許可証を拾い上げ、禁書庫を後にした。
(素晴らしい……! これさえあれば、ダンジョン内の移動時間、街から狩り場までの移動時間、その全てをゼロにできる!)
罠を飛び越し、敵の群れを無視してボスの目の前に直接転移する。
強敵の攻撃を、瞬間移動で回避する。
RTA走者として、これほど心躍る力はない。
俺のチャートから、「移動」という非効率な概念が完全に消え去った瞬間だった。
王立大書庫を出た俺は、ギデオンたちが待つ宿舎には戻らず、そのまま王都の城門へと向かった。
次の目的地は、すでに決まっている。
(レベル25の俺に、新たなスキル〈ショート・ワープ〉。これで〈嘆きの湿原〉のモンスター共も美味い経験値にしか見えない)
俺は王都の喧騒を背に、ニヤリと口角を上げた。
シレン家の騎士団も、父アークの思惑も、王都の権力争いも、今の俺にはどうでもいい。
俺の興味は、ただ一つ。
自らが組み上げたチャートで、誰よりも早く、誰よりも効率的に、この世界の頂点に立つことだけだ。
「さて、世界最速攻略の第二幕を始めるとしよう」
俺の姿は再び光の粒子となり、その場から跡形もなく消え去った。
目的地は、王都の遥か南に広がる、中レベルプレイヤーたちの心を折ってきた難所――〈嘆きの湿原〉。
新たなレベリングの舞台が俺を待っていた。
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