第三幕:王の朝は、蜜よりも甘く
「……これ、絶対、なんかの儀式だよね……?」
銀のフォークを手に、リリアは目の前の朝食を見つめた。
まるで絵画から抜け出したかのような盛りつけ。
白く湯気の立つパン、艶やかな果物、香ばしいスープ。
おまけに椅子の座面はふかふか、テーブルクロスには刺繍、部屋には朝日と鳥のさえずり。
そして向かいには、微笑みながら紅茶を口にする魔王リュシア。
(これはもう、“王族のおもてなし”じゃなくて、“婚礼前の新妻訓練”だよ!)
「遠慮せず食べていいのよ?」
「遠慮してるわけじゃないんですけど……なんか、こう……ありがたすぎて……」
手元のナプキンにも金糸が織り込まれているのを見て、リリアはため息をついた。
(なんで私、こんな豪華な朝食食べてるの……昨日まで、パンの耳とスープだけだったのに……)
「……もしかして、気に入らなかった?」
「いやっ、ち、ちがいます! おいしいし、あったかいし……!」
「ふふ、よかった」
魔王はカップを置くと、そっとリリアに微笑みかけた。
その笑顔はやっぱり綺麗で、母親みたいで、でも時々、それ以上に見えてしまって。
リリアは、もぞもぞと椅子の上で小さくなる。
「あなた、昨日はとてもがんばったもの。だからこれは、そのご褒美」
「……がんばった、って……なにもできなかったのに」
「それでも、来たでしょう? ひとりで」
その一言に、リリアはハッとする。
「……うん」
そうだ。あの日、誰もが止めるなか、自分だけが突き進んだ。
鉄球ひとつを持って、魔王城へ。
無謀だった。でも、あれは――
「でも、私、ほんとはただの……ちっちゃいだけの、ちょっと強いだけの子で……」
思わず本音がこぼれる。
自分でも驚くほど、小さな声だった。
「……ねえ、魔王様。私って、なんで“聖女”になれたんでしょうね?」
魔王リュシアは、その問いにすぐには答えなかった。
静かに、ティーカップの残りを飲み干し、
そしてそっと口を開いた。
「“聖女”って、誰が決めたのかしら?」
「え?」
「あなたが“聖女”だと言ったのは、誰?」
「……人間の教会の……聖堂長たちが……」
「ふぅん」
魔王は少しだけ目を伏せて、微笑んだ。
その目に、なぜか少しだけ哀しみの色が混じっているように見えた。
「ねえ、リリア。ひとつ、お話してもいいかしら」
「……え?」
「“あなたの国”で起きていることを、少しだけ」
リリアは戸惑った。
でも、気づけば、頷いていた。
「……うん」
魔王は、椅子から立ち上がり、窓辺へと歩く。
背中越しに語られる声は、穏やかだったけれど、どこか遠くを見ているようだった。
「あなたの国の王は、いま“聖戦”の名のもとに、税を三割上げたそうよ。
その理由は“魔族との戦争準備”だけれど――実際は、軍部と貴族たちの贅沢に使われているの」
「……え?」
信じられない、と思った。
けれど魔王は、何かを演じるでもなく、ただ静かに事実を語る。
「私たち魔族側からの進軍は、もう何年も止まっている。
あなたが来る前のここも、ずっと穏やかだったのよ」
「……そんなの……嘘……っ」
リリアは思わず立ち上がった。
「だって、私は! 教会でずっと、“魔族は悪”だって……!」
「……そうね」
魔王は振り返る。
「“そう教えられていた”のよね」
その目には、優しさと、もう一つ――
なにか、深いものが宿っていた。
「ねえ、リリア。あなたが今まで信じてきたものは、
“本当に、あなたの目で見たもの”かしら?」
その問いは、あまりにも真っ直ぐで。
リリアは、返せなかった。
(……私は、なにも知らない……)
(ちっちゃくて、ダサくて、耳年増で……)
(でも、もっと……もっと、知らないことがあるんだ……)
視界が滲む。
ぐっと唇をかみしめた。
そのとき、魔王がふわりと歩み寄ってきて、
小さなリリアの頭を、そっと撫でた。
「知ることは、時に苦しいわ。
でも、あなたならきっと、大丈夫」
「……わかんないよ……」
「それでも、少しずつでいいの。
そのかわり、ちゃんと……ご褒美をあげるから」
リリアは顔を上げる。
「ご、ご褒美って……まさか……?」
魔王は、にこりと笑って、ひざを叩いた。
「膝枕、もう一回する?」
「うううううわあああああっっ!!」
リリアの悲鳴が、王の寝室にこだました。
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