第5話「女神の拳と村人たちの覚悟」
夜明けが来たのを見届けてから泥のように眠った。
今は昼頃なのだろうか。教会内の懺悔室の中で勝手に寝袋を広げて寝ていたが、扉の向こうからする大勢の人の気配で目が覚めた。
まだ寝惚けた頭のまま声に耳を澄ます。
……祈ってるんだ。それも大勢の人が。
そう気付くと急に目が冴えてきた。
寝袋から出て«収納»して、懺悔室の外に出ていく。大広間には沢山の人が集まり、祭壇の上には磨き直された燭台に真新しいろうそくが灯されていて、その横で差されたばかりの野花が花瓶の中で揺れていた。
凄い。たった1日で教会が蘇ってる。
これなら、今夜だって戦えるかも知れない。
「おはようございますヒロシさん。ちゃんと眠れましたか?」
後ろからシーファさんに声を掛けられた。振り返って見ると、昨日の別れ際よりも、シーファさんの顔色は大分良くなっている。
「おはようございます。シーファさんこそ、ゆっくりお休み出来ましたか?少し顔色が良さそうで安心しました。」
「ありがとうございます。大分疲れは取れました。早速ですが、お二人に朝食をご用意致しております。今夜のご相談もありますが、まずはお食事を。外でレアさんもお待ちですよ。」
促されて外に出ると、井戸の側にレアさんが立っていた。
甲冑は着ておらず、体中に傷薬の湿布が貼ってある。レアさんは真面目な表情のまま、ずっと井戸を見ていた。
「レアさんおはようございます。ケガは大丈夫ですか?」
「おはようヒロシ。大丈夫。こんなの小傷ばかりだ。ケガの内には入らない。」
横に歩み寄りながら俺の背中をポンと叩いて、レアさんは小さく笑う。
「とりあえず朝食だ。シーファさんのご好意に甘えよう。」
シーファさんの後を追いながら、村の中心の食堂へと向かって行く。
小ぢんまりとした作りながら、盛況している店に入ると、明らかに異様なテーブルがある。
もしかしてあのテーブルなのか。
……とても3人分とは思えないご馳走が並んでいるんですが。
シーファさんが当たり前の様に、そのテーブルに座り、俺達も向かい合う様に並んで座った。
「これは私達からのせめてもの感謝の証です。改めてお礼を言わせて下さい。昨晩は本当にありがとうございました。」
「感謝して頂くのはありがたいが、我々としては派遣されたギルドパーティーとして当たり前の事をしただけ。シーファさん。ここまでの事をして頂かなくても。」
シーファさんがどこか少しだけ寂しそうに笑った。
「今までで初めてだったんです。これまで色んな冒険者さんが来て下さいました。そして戦いはしてくれても、我々を逃がす為にご自身の危険を顧みずに戦ってくださったのは、レアさんだけでした。」
自分が褒められたみたいに嬉しいのは、何でだろ。
横のレアさんは微笑んだままだ。少しニヤけてしまう。
「そしてヒロシさん。私達に信仰の大切さを思い出させて下さいました。本当にありがとうございます。そればかりか、私達の為に一緒に祈ってくださった。それが何よりも嬉しかったんです。」
……いや、実はめちゃくちゃ個人的なお願いを勝手にしてただけなんです。
気まずい。なんか若干過大評価されてる気が……。
「シーファさん。それならば、我々は遠慮なく頂く。せっかく用意して頂いた食事だ。ヒロシ。冷める前に、頂こうか。」
「じゃあ、シーファさんも一緒に食べて下さい。それなら俺もお腹いっぱい食べられます。」
シーファさんが今度はクスリと笑った。
「はい。それじゃあもう頂いちゃいましょう。」
素朴ながら手の込んだ料理が嬉しい。やはり人が作ってくれた料理は本当に美味しいんだなと、改めて実感する。
ご馳走に舌鼓を打った後、何気なくレアさんが尋ねた。
「ところでシーファさん。お願いしていた物はどちらに?」
「ご用意出来ています。肉屋の主人が自分の予備を是非、と快く提供して下さいました。」
それを聞いた瞬間に、レアさんの目の奥が少し輝いた。
シーファさんが続ける。
「取りに行きましょうか。夜とはいえ、あまり余裕もありませんしね。」
訳も分からずに着いて行くと、肉屋の前に辿り着いた。
奥に居た主人に駆け寄ったレアさんが、何かを受け取って、嬉しそうに戻ってくる。
「行けるぞヒロシ。思っていたよりも、かなり上等な物を譲って頂けた。これなら大丈夫だ。」
「何を貰ったんです?というか、何をするつもりなんですか?」
レアさんが、貰った包みを開けながら聞いてきた。
「お前が元居た世界には、拳闘っていう競技があったか?」
「拳闘……ボクシングですか?」
「やっぱり有るんだな。じゃあ、これが何か分かるか?」
包みの中から、レアさんが2本の固い包帯のような束を見せてきた。端っこには親指に引っ掛ける為の小さなループが着いている。
見た瞬間にレアさんの考えてる事が分かった。無茶苦茶だけど、レアさんなら成立させられる戦法だ。それもかなりの威力で。そうか。さっき井戸を見つめていたのはこれだったのか。
レアさんが手慣れた手つきで左手にそれを巻き始める。
「良く水分を含んでくれるようにな、真綿の厚いやつを用意してもらった。」
半分ほど巻くと、既に土台と手首の固定は終わっている。
レアさんは器用にアゴを使いながら、拳頭の部分に厚みを持たせ始めた。
「アイツらにあの水を掛けて再生を止め、物理攻撃をする。この法則に気づいた時に、すぐにこの戦法を思いついた。まさか剣に布を巻きつけては振れないが、これなら──。」
巻き終わった左手を水の入った桶に沈めて、目の前の干し肉にストレートを打ち込む。干し肉がとんでもないスピードで勢い良く飛び、天井に当たった。
当たった弾みで干し肉のフックが取れ、ドスン、と重たい音を鳴らしながら地面に落ちる。
「ワンアクションで可能だ。」
レアさんなら出来る。いや、レアさんしか出来ないけれど、この破壊力は尋常じゃない。
「実はな、この戦法を思いついた時に、名前も思いついたんだ。どんなのだと思う?」
レアさんは右手も巻き始めた。
一瞬考えた後に、そのまま思いつきを口にした。
「ホーリーフィスト(聖なる拳)とか、プレイングフィスト(祈りの拳)とか?ちょっと安直ですけど、思い付くのはこんな感じですかね。」
「違う。もっとシンプルで格好良いやつだ。」
レアさんはまるで慈しむように、巻き終えた右拳を左手で握り込みながら、不意に真っ直ぐこちらを向いた。
美しさの上に覚悟と真剣さを滲ませたその顔は、まるで一枚の宗教画のようであり、聖堂に飾られる壮厳な美術品のようだった。
この姿はまるで拳闘の女神だ。
そして女神の潤んだ唇が、ゆっくりと動いた。
「聖水パンチ──だ。」
ヤバいヤバいヤバい。めちゃくちゃダサいの来たぞこれ!
何でそんなにネーミングセンスねぇんだこの人。小学生でももっとマシな名前つけるぞ。
横をよく見てみろよ。下向いてるシーファさんの肩が震えてるだろ。シーファさんに無理させんなよ。
何でそんなダセぇ事を、自信満々にその顔しながら言えるんだ。
美人が台無しと言うか、ダセぇのに美人な事が逆に面白さに拍車をかけてるわ。
こんな逆張りあるのかよ。ちょっとそれ卑怯だぞ。
「シーファさん。あなたのご協力で私は今夜戦えるようになった。必ずお約束する。絶対に皆様を守り抜く。この──聖水パンチで。」
シーファさんが膝から崩れ落ちる。
聖水パンチが最初にKOしたのは、シーファさんだった。
腑に落ちない顔をしたレアさんをよそ目に、何とかシーファさんを支え起こして、教会に戻り始める。何となくだけど、村の人達も教会の方向へ向かっていく人が多い気がした。
「今夜は我々も戦います。昨日のお二人を見ていて思ったんです。お二人に戦って貰いながら、自分達だけ家の中に居るのは間違ってると。」
だからか。教会に向かう人々の手には、斧、クワ、ピストフォーク、武器になりそうな農具ばかりが持たれていた。
クワを肩に担いだ農夫の首には、鎖で繋がれた御守りが光っている。
「……レアさん。シーファさん達の協力がもちろん必要なのは分かりますけど、前線で戦って貰うのは流石に危険じゃ……。」
レアさんがさり気なく農具を見つめながら返事をする。
「いや、そうでもないぞ。ヒロシはアイツらを過大評価している。いや、恐怖心から敵を見誤ってる、がより正しい言い方か。」
そう言いながら、もうバンテージを解いた拳で自分の掌を叩いた。
「昨日で大体分かった。アイツらの能力は決して高くない。むしろモンスターとしてはかなり下の方だ。パワーもスピードも人間並みか、下手すればそれ以下もいた。魔法を使って来るわけでもない。武器は素手か棍棒だけ。」
……当たり前のように、相手の力量や特徴を正確に捉えてる。やっぱりレアさんはネーミングセンス以外の能力はハンパなく高いんだな。
「ただ『死なない』って言うだけだ。そしてそれがとんでもなく厄介で、恐怖心を駆り立てる。そうなれば、ヒロシのように相手の力量が大きく見えてしまう。」
「でも今は違います。お二人が見つけて下さったあの井戸水がありますから。農具で戦う者と、水を汲んで浴びせる者。役割分担をちゃんとすれば、我々だって戦力になれます。」
……凄い。やっぱりこの世界の人々は、モンスターと戦うっていう選択肢が当たり前にあるんだ。
レアさんと出会う前の俺は逃げてばかりで、その選択肢が思い付く事もなかった。
教会が見えてくる。出掛ける前よりも人が多くなっているようだ。保存食を用意する女性、走り回る子供達、教会の外で佇む老人。男性達は長い夜に備えて薪木を切る人達と、大量の桶に水を汲みあげている人達に別れている。
「ヒロシさんのリクエストも、ご用意出来てるみたいですね。」
「どうやらそうみたいですね。ありがとうございます。」
この村の全ての人達の営みが、今この教会に集まっている。
そして……遠く聞こえる祈りの声。
「まぁ簡単な話だ。聖別が完全に終わるか、アイツらを一匹残らず殲滅するか。それとも夜明けまで耐え抜くか。どれか達成すれば良い。」
気付けば夕日は長く伸びた影を作り、村人たちの顔を赤く染めていた。夜は、もうすぐそこだ。
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