第十九章 昏睡の中の意識

第十九章 昏睡の中の意識


 人工呼吸器の音だけが、静かな病室に響いていた。


 由梨のまぶたは、閉じたまま。

まるで人形のように、動かない。

ベッドの上で、ただ時間に置き去りにされている。

——けれど、その内側で、

何かが、かすかに、揺れていた。

夢を、また見ていた。


いつもの夢。

もうひとりの“自分”が、誰かに笑いかけ、歩き、染まっていく。

ただの夢、だったはずなのに。

今日は少し……濃い。

匂い。音。誰かの手のぬくもりまで、まるで本物みたい。


(……これは、本当に、夢?)

声も出せず、瞼も開けず、確かめることさえできない。

けれど、心の奥のどこかがざわめいていた。

意識の深い淵で、由梨は知らず、かすかな不安を抱いていた。

まるで、“夢”の方からこちらを見ているような——そんな気がして。


 私は……由梨。

そう、だったはず。

けれど。

また、あの夢を見ていた。

歩く私。

笑う私。

誰かを抱きしめ、誰かを壊して、血の中で微笑んでいる——私。

(……ちがう。ちがうちがう。そんなの、私じゃない)

わかってる。

けど、どうして?

この夢は、昨日も、一昨日も、ずっと、ずっと続いている。

何も変わらないはずの私の意識の奥で、

毎晩、私じゃない“私”が、勝手に生きて、動いて、汚れていく。


(やめて……)

そう願ったはずなのに、

夢は、やめてくれない。

むしろ、どんどん鮮明になっていく。

人の名前。

場所の匂い。

皮膚の温度。

血の味。

それらすべてが、夢にはあり、ここにはない。

(じゃあ……どっちが夢なの?)

私は寝たきりで、目を開けることもできず、話すこともできない。

でもあの“私”は、あんなに自由に、奔放に、

誰からも恐れられ、求められている。


(ねぇ……どっちが“本当”?)

もしかして、このベッドで閉じ込められている私こそ、

作りものなんじゃないの?

夢のほうが現実で、

こっちの私が、ただの幻なんじゃないの……?

誰か、教えて。

私は、誰?

私は、どこ?

私は、ほんとうに、いた……?

ゆっくりと、じわじわと、

意識が深い水の底に溶けていく。

ただひとつ確かなのは、

あの“私”が今日も、また笑っていたこと。


(……あれが、私。なら……壊してしまえ、この世界を)

薄く微笑んだような、由梨の唇が、かすかに震えた——

ように見えたが、それを見た者は、誰もいない。

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