第十三章 合宿

第十三章 合宿


第一話


 五日後。

夏休みに入ったばかりの夕方。

玄関のチャイムが鳴り、ひよりはすぐにドアを開けた。


「おじゃましまーす」

「お世話になりまーす」

スーツケースを転がして現れたのは、私服姿の男子3人。響、佑真、そして駿。

ひよりは玄関に並ぶ彼らの顔を見て、自然と笑みがこぼれる。

「ようこそ、合宿へ」

そこへ、エプロン姿の母が顔を出した。


「いらっしゃい。あら、結城くん。またイケメンになった?」

「……そんなに変わってないと思いますけど」

駿が照れたように笑う。

「でもほんと、やっぱりイケメンよねえ。ちょっと見とれちゃったわ」

母の言葉に、ひよりが大慌てで口をはさむ。

「ママ!そういうのやめてって言ってるでしょ!」

そんなやり取りに笑いがこぼれたタイミングで、母がふと思い出したように言った。

「そうそう、さっき佑真くんのお母さんから丁寧なお電話いただいたの。

 その前には響くんのところからも。“迷惑かけますがよろしくお願いします”って」

「えっ、わざわざ電話してたんだ」

佑真が驚いた顔で言う。

「そうだよ。あんたたちが“お勉強合宿”ってことになってるんだから、ちゃんとしておかないとね」

「はは……“勉強”かぁ」

響が苦笑して、3人はそれぞれ荷物を部屋の隅に置く。


 リビングに通されると、すでに麦茶とお菓子がテーブルに用意されていた。

ソファとカーペットに思い思いに腰を下ろし、ひとまず全員でグラスを手にする。

「なんか……ちゃんと合宿っぽい」

響が笑う。

「でも中身は命がけ、な」

駿が静かに言って、空気が少し引き締まった。

ひよりが小さくうなずいた。

「大丈夫。ちょっと怖いけど……みんなで一緒にいれば、なにかできるよ」

「一人にならない。それだけは絶対」

佑真が言って、全員が視線を交わす。

ドッペルゲンガーに対抗するための、夏の合宿が始まった。


 その夜、ひよりの母の手料理をいただき、お腹いっぱいになったあと、一旦それぞれの部屋戻って休んだあと、またリビングに集まった。

床に座ったり、ソファに寝転がったりしながら、みんなでくつろいでいると、大きな袋を抱えたひよりが口を開いた。


「実はさ、今日からみんなで合宿しながら作戦会議するじゃん? だから、その前にちょっと親睦深めようと思って……用意しといたものがあるの」

「え?」 三人がひよりに注目する。

「えーと、……その……ちょっとだけ気分転換になればと思って……」

ひよりが、おずおずと大きな袋を逆さにする。


ドサッ――

出てきたのは、信じられないくらいの量の花火。

「え、なにそれ」

「すご……ちょっとした店レベルじゃん……」

「おまえなぁ……」

佑真が思わずため息をつく。

「完全に“作戦会議”じゃなくて“夏の思い出づくり”のノリになってんぞ」

「ち、ちがうってば! ちゃんと考えてあるの! こういう時こそ、少しでも笑ったり、気を抜いたりするのも必要かなって……。今日だけ! 今日だけはちょっと息抜きして、明日からちゃんと作戦考えようって思って……」

ひよりの声は次第に小さくなり、最後は言い訳のようにしぼんだ。


「今日はやめとこうぜ」 佑真が冷たく言った。

すると、響がやさしい口調で、

「うん、……気持ちは、すごくわかるよ。ありがとう、佐倉」

「……真嶋くん……」

「でも、今の俺たちの状況じゃ……たぶん、楽しむ余裕が持てないかもしれない。

だから――この騒ぎが全部終わったらさ。ちゃんと、みんなで打ち上げやろう。絶対に」

ひよりは、ちょっとショックを受けたように下を向く。

「そう…だね」 ひよりの声のトーンが下がった。

響がひよりの方を見て、


「そのときは、今日の倍くらい用意してさ。火花、夜空にぶっ放そう」

ひよりの表情が、少しだけ緩んだ。

「……うん。約束だからね」

「それまで、花火は“取っとき”だな」

佑真が笑う。

「くーっ、なんか負けた感じだけど……まあ、いっか」

ひよりは小さく頷いて、花火の袋をもう一度きゅっと抱きかかえる。


 リビングの微妙な空気を破るように、駿が立ち上がり、腕を伸ばして大きく欠伸をする。

「……なあ、なんか喉渇かね? コンビニ行かねえ?」

「え、今から?」 ひよりが顔を上げた。

「冷蔵庫に麦茶あるけど?」 と続ける。

駿はちょっと気まずそうに笑った。「いや、いつもいつも佐倉んちに世話になりっぱなしも悪いしさ。飲み物くらい自分で買いたいってだけ」

「じゃあ私が買ってきて――」 とひよりが言いかけたところで、響が素早く口を挟んだ。 


「ちょっと待て。今の状況で、一人で外出すんのはやめた方がいい。誰が見てるかわかんねえし」

佑真も頷いた。「そうだな。いま俺たち、いつドッペルゲンガーに狙われてもおかしくない。単独行動はもうナシだ」

ひよりが目を丸くした。「じゃあ、これからはどうすればいいの?」

少し考えたあと、響が言った。


「……二人一組で行動するしかないな。必ず、ドッペルゲンガーのいないやつとペアを組む」

「お前と駿が組むと、どっちもコピー出てきたらアウトか」 佑真が眉をひそめた。

「うん。リスクが高い。逆に俺と佐倉、佑真と結城って組み方なら安全性が増す」

「北沢くんとか一緒に複数人で来られたらどうするの?風間先輩の時みたいに」 ひよりが不安げに尋ねる。

響は少しだけ黙ってから言った。


「それでも、単独で動くよりはずっとマシだ。何かあったら声を上げればいいし、逃げ道を確保しながら動くしかない」

駿がにやりと笑った。「俺のナイトは誰になるんだ?お姫様、希望ある?」

「お姫様じゃないし」 ひよりがむっとした顔で言い返す。「でも、私はたぶん結城くんを守れないから……佑真、お願い。結城くんをちゃんと守ってね」

「はいはい、俺は保護者かよ」

「じゃあ、買い出しは俺と駿で行ってくるわ。すぐ戻る。何か欲しいもんある?」

「アイス!パルムがいい」 ひよりが手をあげる。「あとはおにぎりと、明日の朝ごはん用のパンも」

「わがまま姫の買い物リストね、了解」 駿が笑いながら靴を履く。


「気をつけてね」と響が重ねて言うと、佑真は頷きながら返した。

「わかってる。二人一組作戦、実行だな」

玄関の扉が閉まったあと、ひよりはポツリとつぶやいた。

「ほんとに、誰かが見てるかもって思っちゃうね……」

響は窓の外をちらりと見やり、静かに答えた。

「見てるんじゃなくて、近づいてきてるんだよ、きっと」



第二話


 夜になっても蒸し暑さのつづく夏の夜。

佑真と駿は並んで歩道を歩いていた。コンビニの明かりが遠くに見える。


「なあ、こうして二人でコンビニ行くのも、久しぶりだな」 駿が言う。

「そうだな……中学の時は、よく一緒にバカやってたな」

「だな。あの頃は、まさか自分そっくりのやつに殺されかける日が来るなんて思ってもなかったわ」

駿は薄く笑ったものの、どこか不安そうにあたりを見回した。


「なんか……変な空気だな」

「ビビりすぎ。佐倉んちの近所だぞ?街灯もあるし、民家もあるし」 と佑真。

「それでも怖いもんは怖いんだよ……おい、佑真。あれ、あそこ――」

駿が突然立ち止まり、道の向こう側を指差した。

そこには、暗がりに佇む人影。身長も体格も、何よりシルエットが、自分に似ていた。


「……あれ、俺じゃないか?」


緊張が走る。

「どこだよ。そんな人影ある? あれか?」

「あっちだよ、あっち。そこにいるじゃん」 駿が指を指す。

佑真が眉をひそめ、じっと見つめたあと、震えた声で。

「ヤバいよ、戻ろ」

駿に体を寄せて言った。

その瞬間、駿が突然吹き出した。


「ぶはっ! うそうそ、冗談。 誰もいねえよ。よく見ろよ、電柱の影だって!」

駿は肩を揺らして笑った。

「うわっ、マジで焦った!……って、お前、ふざけんなよ!」

佑真が安堵して、息をついたそのとき――

すぐ背後から気配がした。


「え……?」

振り向いた佑真が固まった。

そこに――“結城 俊”がいた。

真っ暗な目。無表情な顔。感情のない立ち姿。

「う、うしろ……」

佑真が声にならない声でつぶやいた。

駿が恐る恐る振り向く。目が合う。

ドッペルゲンガーの“駿”が、ゆっくりと首をかしげた。

「うわあああああああっ!!」

駿が絶叫し、すぐさま走り出した。

「逃げろ佑真っ!!」

佑真も反射的に駆け出した。

背後からは、ドスッ、ドスッと靴音が響いてくる。誰の足音かも分からない。ただ、自分が追われているという確信だけがあった。

「あっちだ!あっちの公園の方に逃げろ!!」

「分かったっ!!」

二人は必死に路地を抜け、住宅街を駆ける。

だが、どこまで逃げても、振り返る勇気がない。

ただ、ひとつだけ確かだった。

背後にいた“それ”は、駿の顔をした、何かだった。


 公園に逃げ込んだのは、本能だった。

後ろから追いかけてくる“何か”の気配に突き動かされるように、駿と佑真は左右に散るようにして、茂みの向こうへと駆けた。


風を切る音。

土を踏む足音。

草をかきわける音。

佑真はただ前を見て、必死に走った。

(どこだ、駿……ついてきてるのか?)

ちらりと振り返ったが、そこに人影はなかった。


 代わりに、月明かりに照らされたベンチと、無人のブランコが揺れていた。

息が切れる。

肺が焼けるように痛む。

公園の奥、雑木林の手前に古びた滑り台が見えた。

その影に滑り込むようにして、腰を落とす。

喉がからからだ。

心臓が爆発しそうなほど脈打っている。

(……逃げ切った……?)

あたりを見回す。

誰もいない。

公園全体が、まるで音を吸い込んだかのように静まり返っていた。

少しだけ風が吹いた。ブランコがキー、と鳴いた。


「……駿?」


不安が胸に染みる。

さっきまで一緒にいたはずの駿の姿が、どこにもない。

「おい、駿? どこだよ……」

声は虚しく、闇に吸われる。

と、そのとき。

「……はぁ……はぁ……」

物陰から現れたのは、ゼーゼーと息を切らした駿だった。

全力で走って逃げたんで、額に玉のような汗を浮かべている。

「駿……!」

安堵が胸に広がり、思わず駆け寄った。

が――違和感。


……左手に、包帯がない。

(え? さっきまで、巻いてたよな……)

嫌な汗が背中を伝う。

一歩、引く。

「おまえ……駿じゃない……」

その瞬間、駿がすっと顔を上げた。

その目に、光はなかった。

「うわっ!」

背を向けて逃げようとしたが、Tシャツの肩口を強く掴まれ、地面に叩きつけられる。


息が詰まる。

馬乗りになった“駿”が、無表情で佑真の首に手を伸ばしてくる。

「や……やめろ……!」

力が入らない。手足が震える。

(だめだ……終わりだ……俺、ここで……)

そのとき――


ガンッ!!

金属の鈍い衝撃音が夜の空気を割った。

“駿”の身体が吹き飛び、転がる。

目を見開いた佑真の前に、もう一人の駿が立っていた。

肩で息をしながら、手には金属バットのような支柱を握りしめている。

「……間に合ったな。助けに来たぜ」

言葉にならないまま、佑真は立ち上がる。

二人は無我夢中で、その場を後にした。


―――気がつけば、佐倉の家のソファに倒れていた。

頭が重い。息が苦しい。

でも、生きている。

「……佑真、起きた?」

ひよりの声がした。

あの夜の出来事は、まだ悪夢のように頭の中をぐるぐると回っていた。

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