第八章 複写される死

第八章 複写される死


 放課後の昇降口。

ガラガラと下駄箱の扉を開け、真嶋響は靴を履き替えていた。

ローファーがきゅっ、と控えめな音を立てる。周囲に人影はない。

(……帰るか。佑真、補習だって言ってたし……)

ひとりで帰るのは数日ぶりだ。

自然と足取りも重くなる。

そんなとき――


「やっぱりいた。真嶋くん…いや、もう響くんでいいよね?」

後ろから声がした。振り向くと、佐倉ひよりが笑って立っていた。

「え、ああ、うん。……佐倉」

「佑真は? いつも一緒に帰ってるじゃん」

「補習。数学、全然だったらしくて」

「ふーん……。じゃあさ、一緒に帰らない?」

「え?お前と?……まぁ、別にいいけど」

ひよりが先に外へ出る。

その背を追って昇降口を出た。


 グラウンドの脇道を歩きながら、しばし無言が続いた。

ひよりが最初に口を開いたのは、昇降口から少し離れた場所だった。

「ねえ、響くん。 最近、白鷺さんと仲良くしてるよね?」

「え? 別に……そうでもない」

「そう? でも、今日も教室で話してたでしょ。白鷺さんが“真嶋くんのこと、よく知ってる”って言ってたの、聞こえたよ」

「……え、なにそれ、おまえ盗み聞きしてたのか?」

「違うよ、聞こえちゃったの。 でも、“よく知ってる”って何よ。それって、どういう意味?」

「さあ。別に、普通に話しただけだし……」

「ほんとにぃ? 響くんって、そういうのわかりにくいからなあ。こっちは気になるのに」

「なにそれ……ってか、お前には関係ないよね?」

「は? なによ、その言い方。 別に心配してあげてるだけじゃん」

ひよりの笑みが薄れて、声に棘が混じる。

「ねえ……なんか、白鷺さんと“した”?」

「えっ」

「なんかしたでしょ。顔、めっちゃ赤いじゃん。……もしかして――しちゃった?」

「や、やってねえよ!」

「うそー。完全に動揺してるじゃん。……付き合ってんの?」

「違うって、そんなわけないじゃん」

「……ふーん。でも、白鷺さんって美人だし、もてるの分かるけど……最近、なんかあやしいよね」

「何がだよ」

「急に、いろんな男子と仲良くしてるし……なんかあれ、誘惑してるようにしか見えないんだけど。 響くんも、その一人ってこと?」

響はひよりがなんで白鷺のことそこまで言うのかわからない。

「おい、……人のこと悪く言うなよ。 彼女は、そういう子じゃないよ」


 口では否定しながらも、あの日のキスの記憶が脳裏をよぎる。

どこか“誘われた”ような感触は――否定できなかった。

ひよりの眉がピクリと動いた。

「…本当に響くん、あやしい。 白鳥さんも響くんもどうかしてるよ」

「は? 何だよそれ」

「お前こそ、そこまで言うなんて、変だよ。 俺はもう帰るから」

響は、ひよりから離れたくて、小走りに駆け出した。

(……なんなんだよ)

「待ってよ、響くん!」

ひよりが、響の後を結構なスピードで追いかけてきた。

「そんなんじゃないから! 本当に!」

「うるせえよ!」


 響は叫ぶように言い放ち、ひよりに追いつかれないようにと、再び走り出した。

校舎の脇を駆け抜け、曲がり角をいくつも折れて――

気づけば、これまで来たことのない校舎裏の敷地の端へ迷い込んでいた。

フェンスの向こうに、錆びついたプール跡が見える。

そのときだった。


「やめろよ!!」


男の叫び声。

そして、鈍い何かが地面に叩きつけられる音。

響と、追いついたひよりは、顔を見合わせる。

「今の……風間先輩の声……」

ふたりは恐る恐る、フェンス越しにその先を覗き込んだ――。

錆びた金網の隙間から、二人の目に飛び込んできたのは――

夕焼け色に染まる、廃れたプール跡地の底で起きていた異常な光景だった。

「……あれ、風間先輩……?」

ひよりが小さくつぶやく。


 制服の上着が乱れ、逃げるように後ずさっているのは、生徒会副会長の風間真人。

その目の前には、もう一人の“風間”がいた。

同じ髪型、同じ背丈、同じ顔。

いや、違う。目つきがまるで別人。

笑っていた。歪んだ、嗤うような顔で。

その隣には、北沢海斗が立っていた。無表情のまま。

だがその目は、間違いなく“殺す側”の人間のものだった。


「や、やめろよ……! お前……お前、なんなんだよ……! 俺じゃねえか!」


 風間が叫ぶ。だが、返事はなかった。

複製の方の風間が、ナイフを取り出す。

ポケットから滑り出るようにして現れたそれが、月明かりを鈍く反射した。

「やめろッ!!」

風間は金網に背を打ち付け、叫んだ。

だが、北沢が先に動いた。

風間の腕を後ろからつかみ、逃げ道をふさぐ。

「ひっ……か、海斗……っ、お前、なあ、やめようぜ……っ、な、なあ、俺たち、友達だろ?」

その言葉に、北沢の目が一瞬揺らいだ。

しかし。

「……お前は、いらない」

そう呟いた瞬間、風間の腹部にナイフが突き立った。


グシャッという鈍い音。

続けざまに、もう一度、もう一度――

「……やめて……」

ひよりの声が震えていた。

響も息を呑んでいた。手が震え、肩が揺れる。

「見ちゃ、だめだ……行こう……っ」

「で、でも……!」

ふたりはその場を離れようとした。

だが背後から、ひときわ大きな声が響いた。

「持っていけ、早く!」

それは北沢の声だった。

偽物の風間が、血にまみれた“本物”を引きずっていく。

プールの奥、排水溝のような蓋を開け、その中に死体を放り込んだ――。

そして、二人は去っていった。

何事もなかったように、姿を消した。

辺りには、かすかな血のにおいだけが残った。

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