三章 商う人⑥

 新しい商品のことを話していて、杏はふと思い至る。


「そうだ。一緒に、これより安価なものも用意してもらえませんか?」

「どうして?」


「青澄さんのお店に行ったときのことを思い出したんです。

 あのお店、お高い鳳凰白粉と、お安い月霞白粉の二種類を置いてあるんですよ」


 月霞白粉は庶民向けの品だ。

 宮外では化蝶白粉と人気を二分する、一般的な白粉である。


「女官さんが月霞白粉を手に取ろうとしてたんですけど……同僚がきた途端、あわてて鳳凰白粉に持ち替えていて」


「ああ……見栄を張ったのね」

「はい。うちでは、そういうことが起きないようにしたくて」


 価格が二種類だけだと、安い方を選びづらい。

 杏たちは安価な品を気軽に買ってもらいたいのに、むりをして高い方を選ぶ人が出るかもしれない。

 ならば、価格帯を上・中・下と三段階にすれば、自然と真ん中を選びやすくなる――というわけだ。


「白杏ちゃん、すごい! 人の心をよく分かってるわねえ」

「そんなに褒められると、そろそろ職を変えようかと考えちゃいますね」


 杏は照れ笑いを浮かべたが、ややしてから、唇をとがらせた。


「しかし……ますます青澄さんのお店、気に入りませんね。

 場違いな月霞白粉を、全然売れもしないのに並べていた。あれは高い方を選ばせる小細工だったんですね」


「商売なんだもの。仕方ないわよ」

「あっ。高鉄雄さんも。商売人らしくなってきましたね?」


 杏がにやりと笑うと、高鉄雄もイタズラ小僧のように笑った。


「あのう、これ。大きい方、頂きたいんですけど」

「はい! ありがとうございます」


 話しこんでいた二人は、あわてて接客にもどる。

 李星皇子が買って行ったことで、客足に弾みがついたらしい。大きい方の包みも売れはじめた。


「有名なお方の力はすごいですね」


 ほんと、と高鉄雄も相槌を打った。


「もし……この白粉、ひょっとして鉛が入っていないのかしら?」


 おっとりと、新しい客が声をかけてくる。

 途端、高鉄雄は背筋を伸ばした。


「春嬪様!」


 声が上ずる。


「そ、そうです。鉛を一切使っておりません!」

「試しても、良い?」

「もちろんです!」


 緊張のあまり、高鉄雄は直立不動だ。

 女性を知らない杏は、小声で尋ねた。


「韻夫人からも、春嬪様のお名前を聞きましたけれど。どういったお方なんです?」

「見ての通り、身なりがとても洗練されたお方でしょ?」


 改めて、杏は春嬪の衣装に着目した。喧嘩しそうな色や柄を、絶妙な塩梅でまとめ上げている。見事な着こなしだ。


「後宮の流行を作り出しているお方よ。彼女が買った品物は一瞬で市から消えるの」


 つまり、彼女に選ばれれば大成功というわけだ。

 杏も高鉄雄と同じく、固唾を呑んで春嬪の一挙手一投足を見守る。


「……あら、まあ、すごい。ここまで使い心地が良くなったのね」


 腕にぬった白粉をなで、春嬪は満足気にする。


「これなら……」


 白い手が大きな包みを取ろうとした瞬間、さわやかな声が響いた。


「ご機嫌うるわしく、春嬪様!」


 二十歳ほどの、容姿端麗な宦官だった。色は白く、目が大きい。すっきりとした体つきで、若竹のような瑞々しさにあふれていた。


「いつも通り、蝶のように軽やかで、牡丹のように華やかでいらっしゃいますね。今日はこちらでお買い物ですか?」

「いえ、青澄。違うの。少し、見ていただけ……」


 春嬪はぱっと、八彩白粉から手を引く。


「鉛が入っていなら、安心して使えると思って……」

「もちろんそれも大事ですが。化粧品は美しさを作ってこそ、ですよ」


 青澄は指先で、八角形の紙包みを弾いた。


「安全でも、こんなもの、あなたにふさわしくありません。

 印刷代をケチった、粗末な包装。きっと中身もそれ相応です」


 青澄は集まっている客全員に向かって、諭すようにいった。


「良いですか、皆さん。本物の美しさは、こんな安っぽいな白粉では作れませんよ!」

「安価なのは、決して粗末だからではございません!」


 杏は声を張った。全員の注目を集めたことを確認し、ぐっと声を落とす。


「その理由を、どうかお聞き下さい」


 みな、杏の言葉を聞き逃すまいと前のめりになった。


「――この白粉を作った職人は、鉛の毒で家族を失いました。

 だれにも同じ悲しみを味わって欲しくない。その想いから生まれたのが、この八彩白粉です」


 感情に訴えかけながら、杏は商品を掲げた。


「すべての女性に安心で安全なものを使って欲しい。

 だからこそ! この八彩白粉は、お求めやすいお値段になっているのです」


 杏は向けられたのと同じだけの侮蔑をこめて、青澄をにらんだ。


「青澄さん、そちらこそお値段によけいな“ごまかし”を入れすぎでは?」


 完全に場の雰囲気を持っていかれ、青澄は狼狽した。

 なんとか言い返そうと、目が相手のアラを探しはじめる。

 白い医官服に、男にしては細すぎる体の線――はっと瞠目する。


「なんだ。宦官と思いきや、あなた女ですね?」


 青澄は勝ち誇った笑みを浮かべる。


「西の医房に入った女医官でしょう?

 金妃のご出産時に血を見て卒倒した、とんでもないヤブ医者!」


 周囲がざわめいた。


「“迷医”と名高いあなたが安心安全を謳う白粉なんて、ねえ。

 本当に大丈夫なんですか?」


 旗色が、また変わる。

 だが杏は動じなかった。

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