第2話 セントラへ
あれから、数日が経った。
森の中で目を覚ました日から、時間の感覚が少しずつ変わっていった。
どこか幻想的なこの世界の空気、昼間に吹き抜ける風の匂い、夜に聞こえる虫の声……すべてがゆっくりと俺の身体に馴染んでいくのを感じていた。
「今日は薬草の収穫、お願いできる?」
エルミナは朝になると、いつも穏やかな声でそう言ってくる。
俺は素直に頷き、彼女が教えてくれた“癒しの葉”という植物を探して森を歩いた。
見知らぬ世界。だが、思ったほど悪くはなかった。
エルミナは思ったよりお喋りで、意外と世話焼きだった。
食事を作ってくれたり、草の効能を教えてくれたり、時には昔の思い出をぽつりぽつりと語ってくれることもあった。
「あなた、けっこう素直なのね。見た目はふてぶてしいのに」
「見た目で言うなよ……」
そんなやり取りが、今では少しだけ心地よい。
昼過ぎ、風に揺れる草の音が心地よい午後だった。
エルミナが庭の草木に水をやっていた手を止め、ふとこちらを見た。
「ねえ、リゲル。魔法……試してみる?」
「……え? 俺が?」
予想外すぎる提案に、思わず聞き返す。
「魔法って異世界出身でも使えんの?」
「それは知らないけど….でもうん。ちょっと気になってて」
エルミナはあくまで軽い口調だったが、その瞳はどこか真剣だった。
「まあもし使えるなら便利だよなー。火を起こせたりよ。でも出来んのかな?」
「あなた……時々、変な空気まとってるから。なんとなく、可能性あるかもって」
「なんだそりゃ……」
「ふふっ。試してみる価値はあるわ」
「……うーんまあやってみるか!!ファイヤーって叫べばいいの?」
「叫ぶかどうかは置いといて……ええ、やってみて」
エルミナが手招きして、俺は庭の奥へと連れて行かれる。
芝生の広場のような場所。空が広くて、風がよく抜ける。
どこか神聖な空気さえ感じた。
「魔法使うのって何かエネルギー必要なんじゃないのか?魔力とか」
「ええ、よく知ってるわね。魔法を発動されるには魔力を消費するわ」
「やっぱりな。俺に魔力なんてあんのか?」
「分からないけど、魔力は感情の強さに比例するわ。ファイヤのような初級呪文ならともかく、上位魔法にはそれに伴う感情が必要よ」
「めちゃくちゃブチギレるとか?」
「ええ、でも感情を制御できないと暴走する恐れもあるから、慣れるための訓練は必要になるわね」
「まあファイヤみたいな初級魔法ならそんな危険もないわ」
なんとくなくの理屈は分かったが、やはり現実味がない。
「さあ、両手を前に出して。何かを燃やすイメージを浮かべて。感情が大事よ」
俺は彼女の言う通り、手を前に突き出す。
「感情….燃やす……」
この世界に来てからのこと。わけもわからず目覚めて、何も分からず、それでも——
思い浮かぶのは、あの日の喧嘩。仲間の事故。何もできなかった無力な自分。後悔。
ぐっと胸の奥から、何かがこみ上げてくる。
「……くそっ」
叫んだ瞬間——
バチッ、と音がして、目の前の空間に黒い火花が弾けた。
それはまるで、闇のなかに灯った小さな炎。紫がかった黒の光が、ふわりと宙に浮かぶ。
「……えっ」
俺自身が、一番驚いていた。
それは、確かに炎だった。だが、普通の火ではなかった。
黒に近い紫。まるで影を纏ったような不気味な揺らぎ。小さな火球が、虚空にゆらりと浮かんでいた。
「……まさか」
エルミナが、目を見開いていた。
「お?なんか出たぞエルミナ!成功か!?」
「ええ……でも、それは“闇属性”の魔法よ」
「……闇?」
俺の中で、どこか嫌な響きがした。
「闇属性はとても稀なの。今までに確認されたのは、ほんの数例……私も実際に見るのは初めて。それに——」
彼女は少し口を噤んだあと、続けた。
「伝承にある“英雄”も、闇属性だったのよ」
「……英雄?」
そういえば前にも英雄がどうとか言ってたな
「英雄ってなんなんだ?」
エルミナは、鍋をかき混ぜるときのような優しい声で、ゆっくりと語り始めた。
「大昔、災厄によってこの世界が滅びかけたのよ。
そのときに現れたのが“黒き光”をまとう英雄——
彼はたった一人で世界に安寧をもたらし、眠りについた。そう伝えられているわ」
「闇属性なのに……世界を救ったのか?」
「そう“闇”っていうのはね、ただの悪じゃないの」
少し間を置いて、エルミナは続けた。
「怒りも悲しみも、受け止め方によっては力になる……英雄は、それを証明した存在だったのよ」
俺は、じっと自分の掌を見つめた。
さっき生まれた黒い火球の余韻が、まだ皮膚に残っている気がする。
「……それで? その英雄ってのは、今どうなったんだ?」
「正確なことは分からない。伝承には眠りについて、また目覚めるのを待っていると記されているけど」
「へー」
俺は英雄なんかじゃない。けど、もし同じ力を持ってしまったとしたら——
「なあ、エルミナ。この力って俺が異世界から来たことと関係あんのかな?」
彼女はしばらく黙っていた。
けれどやがて、小さくうなずいた。
「それは分からないけど…森を抜けた先にセントラという街があるわ。
大陸でも最大級のギルドがあって、そこに“心を占う”占い師がいるの。
ヨミ婆って呼ばれてる人……とても、不思議な力を持ってるわ」
「占い師?」
胡散くさいな。大丈夫かそれ…
「そう。魂の揺らぎや、感情の流れ……普通じゃ見えないものを視る人。
あなたが本当にこの世界の人間なのか、あるいは英雄と繋がっているのか……きっと何か分かると思う」
「ふーん、そこに行けば占ってもらえんの?」
「ええ、今世界中で英雄探しが始まっているし、きっと占ってもらえるはずよ」
次の英雄探しか…まさかね…
「そのセントラまではどんくらいでいけんの?」
「ここからだと半日くらいかかるわ。今日は遅いし明日にしましょう。」
半日かー結構かかるなぁ、車なんてないだろうし仕方ないか。
「森には魔物も出るから、今日はしっかり休んでおくことね」
エルミナはそう言って、家に戻っていった。
期待はしていない。だが、自分の中で何かが動き出そうとしていた。
翌朝、俺は小さな袋に荷物を詰めた。
古びた地図と、干した保存食、それにエルミナがくれた薬草スープの素。
「……ほんとに、行くのね」
「エルミナが言ったんだろ? セントラに行けば何か分かるかもって」
「そうだけど、あなた行動が早いわね」
「え?」
「自分が何者か知るの怖くないの?」
「全然?むしろ気になる」
「そう」
エルミナはくすっと少しだけ笑った。
「私あまり体力ないからね」
「え?エルミナも来るの?」
「何よ。1人で行けると思ってるの? 街までには魔物も出るし、そもそもあなた、場所わかってるの?」
「あ…」
固まる俺を見てエルミナは笑った。俺も、なんだか少し笑ってしまった。
なんだかんだエルミナって優しいよな。
準備を整えて、俺たちはセントラへ出発した。
森を抜け、なだらかな丘の尾根を越える途中だった。
空は雲ひとつない青。けれど、木々の隙間に、確かに気配があった。
「……止まって」
エルミナが低く呟く。表情が僅かに険しくなる。
その声に反応するより早く——
茂みがガサッと揺れ、ぬっと現れたのは、背丈ほどの四足獣。
体毛はざらついた黒で、赤い目がこちらを睨んでいた。
「なんだ、あれ……」
「"ヴォルク”よ。群れで行動する魔物の一種。でも……単体みたいね」
そう言った瞬間、エルミナが一歩踏み出した。
風が止んだような静けさ。彼女が右手を掲げ、小さく囁いた。
「ルクスショット…」
その言葉と同時に、空気が震え、月光のような銀の魔法陣が展開された。
次の瞬間——
バシュッッ!!
光が刃のように走り、ヴォルクの胴体を切り裂いた。
抵抗する間もなく、魔物は光に包まれ、消えていった。
「おお!すごいな!」
俺はただ呆気に取られていた。
エルミナは軽く息を吐くと、すぐに振り返る。
「まだ終わってないわ。気をつけて——!」
今度は背後の草むらから、もう一体がこちらに向かって突進しようとしていた。
思わず足がすくむ。だが、俺の中で何かが跳ねた。
(やばい——!)
咄嗟に身体が反応し、飛び退く。
そして、右手に握っていた木の棒を無意識に構えていた。
体制を整えた魔物が再び跳びかかってくる。だが、俺の体が先に動いた。
(狙うなら——首の下!)
地面を蹴る。踏み込み、体をひねり、棒を横に払うように——
「——ッ!」
ゴンッ!
鈍い音とともに、ヴォルクの顎を打ち抜いた。
そのまま転がるように着地。俺は棒を構え直す。
「え?あれ!?」
目の前で倒れた魔物。信じられないのは、自分の動きだった。
(今の……動き、なんだ?)
魔法でもなければ、誰かに教わった技術でもない。
けど、体が勝手に動いた。まるで、本能が導くように。
「……すごいわね」
エルミナが、呆れたように驚いていた。
「普通は、最初の戦闘でそんな動きできないのに。まるで……訓練された兵士みたい」
「俺、訓練なんてしてねーぞ……」
「じゃあその動きはどこで学んだの?あなたの世界?」
「いや…前の世界はもっと平和だったし、こんな訓練したことないんだけど….」
息を整えながら、呟く。
でも心のどこかで分かっていた。
この世界に来てから、体が軽い。目が冴えてる。
まるで、何かが——目覚めてきているようだった。
「ふふ……ますます、あの占い師に会うのが楽しみになってきたわね」
エルミナの言葉に、俺は無言でうなずいた。
ほんの少し先の未来に、何かが待っている。
その予感が、足元を自然と前に進ませていた。
魔物との戦闘からしばらく歩いていると町が見えてきた。石造りの壁と高い塔。旗が風に揺れている。
門に近づくにつれて、町の喧騒が風に混じって聞こえてきた。
初めて見るはずの風景なのに….どこか懐かしい感覚がする。
「……あれが、セントラ?」
「ええ。ここなら、あなたのことが何か分かるかも知れないわ。リゲル」
その言葉に、俺の胸がほんの少しだけ高鳴った。
まだ俺が何者なのかは分からない。
だけど、きっと答えはこの先にある。
黒き炎を手に入れた“俺”の旅は、ここから始まった。
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