四、餅菓子
『お前、こんなところで何をしているんだ』
咲夜花が
「み、ミツマタさん、どうしてここへ……?」
『お前が部屋にいないから、探しに来たんだ。どっかに逃げ出したのかと思ったぜ』
真ん中の頭が、ちろちろと赤い舌を出してみせた。右端の頭は、こっくりこっくりと船を漕いでいる。
「心配してくださったのですね、ありがとうございます」
咲夜花が深々と頭を下げると、ミツマタは舌を引っ込めた。左端の頭が首を伸ばして、咲夜花の背後を覗き込む。そこには、ぐつぐつと湯気の立っている釜がある。
『……なんだ、米を焚いているのか。飯なら人形たちが勝手に作って運んでくれるぞ。昨日の夕飯もそうだっただろう』
『人形』という言葉に、咲夜花は苦笑いを浮かべた。
昨日、須佐之男命の御前を辞して、赤い柱の部屋へ戻ってみれば、ほかほかと湯気のたつ食膳が用意されていた。
他に誰か食事の世話をする者がいるのだろうか、と咲夜花が不思議がっていると、あとから食膳を下げに現れた人物を見て、思わず声をあげた。
顔がないのである。
頭はある。だが、目や鼻、口が本来あるべき場所に、それがない。殻をむいたゆで卵のつるんとした表面を思い浮かべ、咲夜花はぞっとした。
悲鳴をあげた咲夜花に、ミツマタが教えてくれた。彼らは、須佐之男命の神力によって動かされている、命を持たない人形らしい。それも一体ではなく、彼らそれぞれに役目を負っており、八雲宮の掃除をしたり、咲夜花の食事を用意してくれたりする。
そんな大事な役目を担っている人形たちに失礼だとは思いつつも、咲夜花は、感情のない彼らの面に不気味さを感じずにはいられなかった。
「わたくし……考えたのです。須佐之男命さまのために、何かできることはないかと」
咲夜花が、神妙な面持ちで両の手を祈るように組む。
するとミツマタは、左端の首をくねくねとねじり、真ん中の首に絡ませて見せた。
『花嫁のすることと言ったら、一つしかないだろう。さっさと
「いいえ! 須佐之男命さまが苦しんでおられるのに、床で寝てなどいられません!」
『……は? いや、自分の寝床じゃなくてだな……』
「わたしは、美人でもないし、巫女としての才能もなければ、人としても未熟です。それでも、大事な人を亡くした気持ちは、とてもよくわかります」
わたしも母を亡くしましたので、と
「最初は、何か手伝えることがあればと思い、人形さんたちの後をつけてここへ……そうしましたら、この――もち米を見つけまして。少しだけ使わせていただきました。勝手に申し訳ありません」
『もち米? 餅でも食うのか?』
「餅菓子をつくるのです。須佐之男命さまに召しあがっていただこうかと」
『菓子だと? あいつは、食い物を口にせずとも死なないのだぞ。神だからな』
ミツマタが、馬鹿にするように赤い舌を出す。
「甘いものには、疲れた身体と心を癒す力があります。昔、わたしの母がよく作ってくれました」
咲夜花は幼い頃、よく熱を出す子供だった。熱が下がるまでは水しか口にできず、ようやく物を食べられるようになると、母が餅菓子や団子をつくって食べさせてくれていたのだ。咲夜花にとって、思い出の味でもある。
『あいつは病人ではないぞ』
「心の病も、身体の病と同じくらい辛いものです。大事な人を亡くされたのですから」
『はんっ、百年も前に死んだ女のことでいつまでも女々しい男だ』
「それだけ須佐之男命さまが奥方様のことを心から愛していらっしゃったということ。とても一途な方なんだわ」
そう口にする咲夜花の胸に、じわりとあたたかいものが広がっていく。初めはただ恐いだけの存在だったのが、今では情の熱い寂しい方なのだ、と印象を変えていた。
あの暗くてがらんとした部屋でひとり、今まで一体どんな気持ちで過ごしてきたのだろう。
しかしミツマタは、苦いものでも食べたかのように、べーっ、と赤い舌を出してみせた。
『あれは、お前が思っているような男じゃないぜ』
「ミツマタさんは、須佐之男命さまのことをよくご存じなのですね」
感心したように咲夜花が言う。そして、少し聞きにくそうに言葉を切った。
「あの……ミツマタさんは、クシナダ姫のことも、ご存知なのですか?」
『ふんっ、いけ好かない女さ。オレ様のことを毛嫌いしていた。オレもあの女が嫌いだ』
「まぁ、どうしてでしょう。こんなに愛くるしいのに」
『そ、そうか。そんなことを言われたのは初めてだ』
ミツマタの左端の首が、ぴょーんと延びて、右端の首ごと締め上げた。それまで船を漕いでいた右端の首が、ぐぇ、とカエルのつぶれたような声をあげて目を剥く。
「よかったら、ミツマタさんも召し上がってみてくださいね、餅菓子」
美味しいですよ、と咲夜花が笑顔を向ける。ミツマタは一瞬、迷うそぶりを見せてから、はっとした。
『蛇が餅など食うか、ばか! 肉だ肉! 肉をよこせ!』
☯🐍☯🐍☯🐍☯
「……なんだ、それは」
闇の中から声がした。青い柱の部屋は、昨日と同じく薄暗い。
しかし、昨日ほど、この空気を重苦しいとは感じなくなっていた。
「餅菓子でございます。もち米を蒸して、木の実や豆を入れてつくったものです。須佐之男命さまのお口に合えばと思い、お持ちいたしました」
頭を床に伏せたまま、咲夜花は胸をどきどきさせて反応を待った。
見た目は、夢で見た餅菓子ほどうまく作れなかったけれど、母から教わったやり方で、気持ちをこめてつくったのだ。
――食べてもらえるだろうか。喜んでもらえるだろうか。
ところが、咲夜花の期待に反して返ってきたのは、激しい怒りの声だった。
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