荒神は百人目の花嫁を溺愛する。

風雅ありす@低浮上

【第一章】百人目の花嫁

一、八重垣谷(やえがきだに)

 出雲いずもにある八重垣谷やえがきだにには、神が住んでいる。


 この地に住まう者ならば、誰もが知っている常識だ。それ故に、出雲の民が不用意に近づくことはないものの、よそ者が誤って入りこまないよう谷の入り口には、しめ縄による結界が張られている。


 しめ縄をくぐったその先に、神――須佐之男命すさのおのみことの住む八雲宮やくもきゅうがあり、出雲の国を災厄から守ってくださっている…………はずだった。少なくとも百年前くらいまでは。


 かつて蒼穹が天を突き抜け、太陽の光と潮風が吹き渡る心地良い場所であった八重垣谷は、いつも上空をぶ厚い雲に覆われ、雷鳴がとどろく恐ろしい場所となり果て、民に恐れられている。好んで訪れようとする者は誰もいない。


 咲夜花さやかもまた、こんなことでもなければ訪れることはなかっただろう。


(恐い……でも、巫女みこであるわたしがやらなきゃ……!)


 青白い顔の下に反して、咲夜花の胸は熱くたぎっていた。なぜなら自分には、必ずやりとげなくてはならない使命があるからだ。


 咲夜花は、白無地の千早ちはやの袖を右手で抑えながら、大人の腕ほどもある太いしめ縄に手をかけた。ぐっと力をこめて縄を持ち上げると、難なくその下をくぐってみせる。


 結界の内側は、空気が湿気をはらみ、重くよどんでいた。


 長年の雨風にえぐられた大地には、草木すら芽吹かない。周りをむきだしの岩肌に囲まれ、そこから見える黒々とした海は常に荒れている。そのため、漁に出ることができない海辺の民たちの生活は困窮こんきゅうしている。


 内陸に住む民も、度重なる悪天候と寒暖差のため、どれだけ田畑を耕してもろくな作物が育たず、頼りの山の実りも少なくなってしまった。


 飢えに苦しんでいるのは山に棲む獣たちも同じで、彼らが食べ物を求めて里へ下りてくるので、僅かに残った田畑は荒らされ、それを守ろうと怪我を負う者も出た。


 獣を狩って一時的に飢えは凌げても、次に生まれてくる子がいなければ、獣はすべて狩り尽くされてしまい、やがて民は飢え死にしてしまうだろう。


 そんな生活を出雲の民たちは、かれこれ百年も続けている。


 これも全て、須佐之男命すさのおのみことが荒神となった所為だ。


 かつて、この出雲を正しく統治していた賢神ぶりは影もない。その御霊みたましずめるため、これまで何人もの巫女たちが八重垣谷へ参った。


 一人めの巫女は、八雲宮へ入れてももらえず、息絶えた。


 二人めの巫女も、同じ。


 三人めの巫女にして、ようやく神に想いが通じたと思いきや、三月と経たずに追い出された。遺体となって。


 それでも巫女が八雲宮へ召されている間は、空に太陽が顔を出し、海は凪ぎ、気候が穏やかになる。その僅かな期間に民たちは蓄えを増やす。可能なかぎり。


 やがてこの地では、一年から数年ごとに巫女を神の花嫁として捧げることが風習となっていった。


 これまで民たちが生きるために必要となった巫女の数は、九十九。


 その中で生きて戻った巫女は、一人もいない。


(――わたしが、百人目……)


 咲夜花は、ごくりと唾を飲み込んだ。平らな石を積んで造られた祭壇が見える。


 今日、咲夜花はここで、スサノオノミコトの怒りを鎮めるため、彼の花嫁いけにえとならねばならない。


 神楽かぐらもろくに舞えない、役立たずの巫女――そう咲夜花さやか揶揄やゆされてさげすまれてきた。


 亡くなった母親は力のある巫女だったのに……と、みな咲夜花を見ては肩を落とす。


 せめてそれくらいは役に立て、と言われて村を追い出されたのだ。


 帰る場所は、もうない。


 恐怖で足が震え、膝が折れそうだ。今すぐにでもここから逃げ出したい。でも、自分がここで踏ん張らなければ、次の犠牲となる巫女が増えるだけとわかっている。


 そして何より、まだ幼い妹や弟が自分へ向ける、期待に満ちた眼差しに答えたい。お腹をすかせ、木の根をかじって飢えをごまかす暮らしから家族を救う。そのために咲夜花は今日、ここへ来た。


(かずは、そうま、れんじ……お姉ちゃん、がんばるからね……っ!)


 咲夜花は、胸元をぎゅっと押さえた。そこに、妹と弟たちがお守りにと作ってくれた勾玉がある。落ちないよう、ちゃんと穴に紐を通して首から下げているから大丈夫だ。


 そして、もう一つ……咲夜花が用意したものの存在を確かめて、息を吐いた。


 さきほどから、自身の胸の音がどくどくとうるさい。耳が熱い。


 自分は一体どうなってしまうのだろう。わからないことが、余計に恐怖を募らせる。


(考えてはダメ。すべては、神様がお決めになること……)


 咲夜花は、覚悟を決めて、ぐっと顎をあげた。祭壇の上へとゆっくり歩を進める。これまで何人もの巫女たちが、ここで神楽を舞い、血を流したのだ。そのことを想うと、咲夜花は神楽も舞えない自分がこの場所をけがしてしまうような後ろめたい気持ちで、身の縮まる思いがした。


 ごろごろ、と遠くで雷鳴が聞こえ、鈍色の雲間から黄色い光が漏れた。


 やがて、ぽつりぽつり、と頬をうつものがある。――――雨だ。


 雨は勢いを増し、あっというまに咲夜花の白い衣をねずみ色に染めていった。


 祭壇のてっぺんまで来た。咲夜花は、両手をすっと空へ差し出してみせる。


須佐之男命すさのおのみことさま! さあ、どうぞ私をおください!」


 声が震えてしまわぬよう、腹の底に力をこめて叫んだ。自分でも驚くほどの声量だった。


 それに答えるかのように、すぐ傍で雷鳴の音が鳴り響く。


『……ク……シ……』


 雨風に紛れて声が聞こえた。そっと目を開けてみれば、墨のように黒い雲の塊が浮かんでいた。異様なほどの重量。ぴかぴかと光る雷を身にまとっている。


――嵐だ。嵐そのものが、目の前にあるのだ。


「あなたが…………須佐之男命すさのおのみことさまですか……?」


 よく見ると、黒い雲は暴風に舞う髪に見えてきた。ぴかぴかと光る雷は、白い顔のような形をしている。身体は闇に溶けているようで見えない。まるで首から上だけが、宙に浮かんでいるように見えた。


『ク……シ……』


 人の声とは似ても似つかぬ、地の底が震えるような、雷鳴のようなその声に咲夜花は、はっと我に返った。懐へ忍ばせておいたものを慌てて取り出す。


でございます。わたくしめが作ったものゆえ、不出来ではございますが……須佐之男命さまのため、心を込めて削りました。どうぞお納めくださいませ」


 三人目の巫女は、命が尽きる前に「クシ」という言葉だけを残した。おそらくそれが神の欲するものであろうと気付いた者が、四人目の巫女にくしを持たせた。


 すると、四人目からは無事に八雲宮へ召されるようになったのだ。少なくとも一年ほどは。


 櫛は、愛する人へ贈る求婚の意味をもつ。つまり、神が求めているのは、花嫁である――――そう、民たちは解釈した。


 以来、神へ捧げる巫女たちのことを『神の花嫁』と呼んだ。


「わたくしは、須佐之男命さまの花嫁となるべくして、ここへ参りました。どうか、どうか…………わたくしを八雲宮へお連れくださいましっ!」


 ごおっ――――と黒い雲が一気に広がり、視界を覆い尽した。暴風雨と雷鳴が肌を打ち、咲夜花の意識は闇に沈んだ。

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