樽いっぱいのジャムと酒 ~ 婚約破棄はしないと宣言されました
ひつじ綿子
01. 節目
たまらず、私は声を大きくした。
「五年も待ったのに、あなたはまだ待てとおっしゃるのですか。いったいいつになったら結婚できるのです!?」
もう限界だった。
彼を追い詰めてはいけない、彼のタイミングを待とうと決めたはずなのに、とうとうがまんの限界がきた。
せき止めていた感情が大量に噴き出してくる。 次から次へとあふれて止まらない。
だってずっとずっと、不安だったのだ。
苦しかった。
それ以上に、彼を困らせたくなかった。
だから、暴れる激情をなんとか押し戻そうと喉の奥に言葉を押し戻して――
「いいかげんにしてくれ!」
驚いて、目尻ににじんだ涙が一瞬で乾いてしまった。
いつもおだやかな彼がこんなに声を荒げるなんて、思いもしなかった。
「なぜ君はいつもそうなんだ。口を開けばさも自分が被害者のように! 五年待ったのは僕も同じだ! 同じ五年を費やして、結婚のために僕は夢をあきらめ、欲しい物もがまんして、君の父に教えを乞い、君の家族のために付き合いもこなした! 息が詰まって、胸が苦しくて、死にたい気分だったよ!」
「……!」
ひと息で吐き出された彼の感情すべてを受け止めて、私は息をのんだ。
彼もつらかった?
安らぎのない日々を送っていた?
死にたくなるほどに?
「そんな……」
――無理をさせているのではないか、とは薄々感じていた。
でもまさか、死にたいと思うほど追い詰めていたなんて思わなかった。
想像以上に大きな負担を強いてしまったことを、申し訳ないと後悔した。
同時に、なんて言い草だ、とちいさな怒りが芽生える。
私がどんな思いをしているかなんて、彼はまったく考えてくれないのだ。
むしろ、私に対する悪感情を最大限に誇示するために、最も効果的で棘のある言葉をあえて選び放ったように感じた。
その刃の鋭さは、私の心を深く切り裂いた。
死という言葉はそれほどに重かった。
……ああ、もうむりだわ。
こんなに強く激しい言葉を使ってまで私を拒絶する人と、今後、どう向き合えというのか。
いままさに、死にたい気分に陥っている私には、到底むりな話だった。
あれほど心を占めていた嵐が、さざ波のように引いてゆく。
いつか彼に愛されるだろうという自信も波にのまれて沈む。
急速に頭がクリアになってゆく。
いますべきことは、この不毛なケンカを終わらせること。
互いの主張を建設的に組み上げることだ。
「……分かりました」
発した言葉はひどく低かった。
「そこまでおっしゃるのであれば、婚約を解消いたしましょう」
「なにをいまさら! 五年をどぶに捨てると!?」
死にたい気分だったとおっしゃったから、一番気持ちが軽くなる結論を提供したつもりだったけれど、ご不満らしい。目の前の死より、露と消えた五年に値打ちがあるという損得勘定は理解できないが、納得できないと申されるのであれば致し方ない。
「それでは、私は待てば良いのでしょうか。あなたのお気持ちが固まるまで」
一年だとか五年だとか、あえて明確な数字は口にしなかった。
あくまでも彼を尊重する風を装った。
その言葉で彼も多少なりと溜飲を下げたらしい、鼻息荒く、そっぽを向いた。
「最初からそう言っている!」
「そう……左様でございますか」
こうして私と彼の関係はほんの一瞬でステージを変えてしまった。
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