第26話 連鎖
私が教室に入った瞬間、空気が緊張で固まったのを感じた。
どうやら、松島先生が私の目の前で飛び降りたといういきさつは、クラス中で周知の事実となっているらしく、私に声を掛ける者は居いない。
ラインをくれた5人のクラスメート達も、或る者は苦笑するような表情を浮かべ、或る者は小さく頭を下げるだけだった。
悪気のある行為では無かったと思う。
どうしたらいいか解らないのだろう。
私だってそうだ。
やがて、お昼休みが終わるチャイムが鳴り、ほとんど同時に担任と副担任の先生がやって来て、ホームルームが始まった。
担任の先生から、これから体育館で全校集会が行われること。
そして、松島先生が金曜日に亡くなり、詳細は現在学校側と警察で調査中なので、余計な詮索をしたり、憶測で不安になったりしないこと。
先生のお葬式については、遺族の意向により近親者のみで執り行うと言う話が手短に語られた。
……そうか。
もう松島先生に会うことは出来ないのか。
そう理解したとき、悔しさと、情けなさで目の奥が熱くなった。
やがて、体育館に集まるようにと言う校内放送がアナウンスされ、私達は担任に誘導されて移動を開始した。
全校集会は、校長先生のお話だけだった。
どんな内容だったかは、覚えていない。
話が右から左に流れてしまい、理解できなかった。
クラスに帰ってから改めて教室の中を見回してみると、何人かの空席が目に付いた。
多分、今回の事がショックで欠席してしまったのだろう。
心理的に衝撃を受けた当事者がここにいるのは場違いなのだろうか?
私は、自分が思う以上に空気の読めない、冷めた女なのだろうか?などと、ふと考えたり――。
担任から、今日はこれで休校になること、明日からしばらくの間保険室にメンタルケアの先生が常駐すること――。等が語られ、ホームルーム終了後は、速やかに帰宅するようにと言われた。
私は、帰るわけにはいかなかった。
むしろ、これからのために私は学校に来たのだ。
会いたい。
三沢さん、黒川さん、杉山さん――。
会って話を聞いてもらいたい。お礼もしなくては――。
部室に行こうかと考えたが、先生達に見つかれば、帰るように指導されてしまうかも知れない。
なにより、みんなが部室に顔を出すとは限らない。
そう思い、直接行ってみることにした。
先輩達に会いに来たのであれば、先生達もにべも無く帰れとは言わないだろう。
「明神!」
突然大声で呼ばれた。
声のする方を見ると、もの凄い形相で黒川さんがこちらに迫って来る。
口元から飴の転がるかろりと言う音がした。
有無を言わせぬ勢いで腕を捕まれる。
「黒川さん――」
その後の言葉を考えつく前に身体を引っ張られ、教室の外へと連れ出された。
「三沢がどこにいるか知らないか?」
ぐいぐいと私を引っ張り廊下を進みながら黒川さんが尋ねて来る。
「解りません。教室じゃ無いんですか?」
私の言葉に黒川さんは、苦り切った顔つきで親指の爪を噛んだ。
「教室にはいなかった。と、すれば部室か!」
黒川さんの歩く速度が増して行く。
「何かあったんですか?」
すっかり驚いてしまった事と、今朝からの色々な思いが交差して、その一言が尋ねられない。
私はただ、黒川さんに引きずられるようにして付いて行くしか無かった。
やがて部室が見えてくると、黒川さんは私を押し込むようにして中へ入れる。
そうしてようやっと、私を離してくれた。
中を見渡すと、そこに三沢さんの姿は無い。
黒川さんは小さく舌打ちすると「仕方ない――」と呟き、私と目を合わせる。
「状況が変わった」
黒川さんがそう言ってスカートのポケットからスマホを取り出す。
「あれから、裏サイトを見たか?明神」
彼女がスマホを操作しながら、私に尋ねる。
裏サイト?学校の?
見ていない。
見たくも無い。
本来なら、杉山さんのラインを見た後に裏サイトを確認するべきだっただろう。
だがそこには、松島先生を要らないとする書き込みがあるはずだ。
そんなもの、見たくも無い。
見なければ――、確認しなければ――のシュレーディンガーの猫。
現実逃避である事は解っている。
それでも、私にとってはそれが最後の抵抗だったのだ。
返事も返さず固まっている私の目前に、何事か操作し終わった黒川さんがスマホの画面を突きつけた。
「――!」
私は、声にならない悲鳴を上げていた。
スマホの画面は裏サイトが表示され、そこには――。
「く、ろかわさん――これって!」
そこには、まるで名簿のように並ぶ人の名前とそのクラス。
そして、名前の後ろには『要らない』の文字が書き込まれていたのだ。
「1年1組 秋山悟は要らない、1年1組 阿部義弘は要らない――こいつ、学校中の生徒の名前を書き込むつもりだ」
黒川さんがそう言ってスマホを戻す。
「誰が?いったい何故?」
私のその疑問は、勿論、黒川さんに向けられたものであったが、同時に自問でもあった。
「誰がやっているのかは解らない。だけど、何のためにやっているのかは――ひょっとしたらと思う節がある」
黒川さんはそう言うと私に椅子を勧め、自分も向かい合って座った。
「怪談話や都市伝説は、忘れ去られることによって力を失うんだ」
「?」
黒川さんの話の意味を私は少しも理解できなかったが、彼女はかまわず続けた。
「怪談話や都市伝説、それらをとりあえず怪異と呼ぶ事にするけど。怪異はショッキングでセンセーショナルな物であるほど人の心に残り、そして広まって行く」
あ、それはなんとなく理解できる。
「広まっていく事が怪異の力になる。例えば、口裂け女は最初ただ口の裂けている怪異だったものが、時速100キロで走れるようになったり、空を飛べるようになったり――。逆に忘れ去られてしまうことでその力を失ってしまう。私がヒトノモリを放っておけと言ったのを覚えているか?」
私は頷いて見せた。
「アレはつまりそういう事だ。狭いコミュニティーの中の知る人しか知らないローカルな怪異。何らかの力は持っているのだろうが、ヒトノモリがその力を使えば使うほど人は離れて行ってしまう。実際、ヒトノモリを恐れて裏サイトはすっかり寂れてしまった。いずれ廃れて時間とともに消えて行く。そう考えていた。」
そんな考えが出来るのは、黒川さんが異世界から来た人間だからだろうと思った。
この世界でそんな怪異が発生すれば、驚愕以外の何物でも無い。
なんとしてでも排除しなくてはと考える。
黒川さんのいた世界は怪異が生態系に組み込まれた世界。
つまりそれは、怪異の立ち位置がこの世界の獰猛な熊やライオンといった猛獣と同じ扱いなのだろう。
熊やライオンは、決して消滅させることは出来ない。
が、危険であれば近づかなければいい。
それは、多分正しい対処。
「ヒトノモリは自分の意思では動かない。誰かの意思をかなえるタイプの怪異だと感じた。だから、人が遠ざかってしまえば消えていくしか無い」
それだから、黒川さんは放っておけと言ったのだ。
わざわざ危険を冒してまで近づく必要は無いし、何らかの対策をすることによってヒトノモリの噂が逆に広まってしまい、新たな力が覚醒してしまうかも知れない。
むろん、放っておけば何人かの犠牲者は出るだろう。
それは、猛獣による事故となんら変わりの無い事。
彼女は、そういう世界から来た人間なのだ。
黒川さんにヒトノモリを放っておけと言われたときの何か承知しがたい違和感の正体はそれだったのだと気づいた。
「ヒトノモリの力は呪いだ。人を呪う強い力を持っている。だが、呪いの力というのは拡散し難いんだ」
「拡散し難い?何故ですか?」
私が問い返すと、黒川さんはうっすらと笑いながら答えた。
「自分が呪われるかも知れないから」
そうか、自分の力で呪うのでは無くて、ヒトノモリの力で呪うのだから、自分も誰かに呪われる可能性があるんだ。
私は、黒川さんに頷いてみせると、彼女は話を続けた。
「それにヒトノモリは頼まれて人を呪うわけじゃ無い。強いて言えばお節介で人を呪うんだ。名前を書き込んだ方だって、まさか呪ってしまう結果になるなんて思ってもみないで書き込んだだろう。だけど、松島先生は違う――」
黒川さんの言葉に思わずまぶたがぴくんと痙攣した。
再び黒川さんがスマホを操作して私の目の前にかざした。
「ほら、これ」
そこには、『松島先生は要らない』の文字。
「これに対して、ヒトノモリからの返事がすぐに付いている」
『松島先生ハイラナイノ』のレスは2分ほどの間隔を置いて書き込まれていた。
そして、その1分後に『要らない』の書き込み。
「これは、明らかに最初から松島先生を呪ってもらいたい人間が、ヒトノモリにお願いをして、ヒトノモリも最初からそれを承諾することにしている。形式だけの出来レースだ。つまり、松島先生の事を書き込んだこいつは、ヒトノモリを使えるんだ。今、書き込みをしている奴は多分こいつだ。自分が呪われることは無い。だから、片っ端から名前が書けるんだ」
でも、だとしても――。
「なんで、そんな手間を掛けるんですか?ヒトノモリが使えるなら、直接ヒトノモリに呪わせればいいじゃ無いですか?」
「この形式――」
そう言った後黒川さんは少し考えて「儀式と言った方がわかりやすいか――」と言って言い直した。
「この儀式を行わないとヒトノモリとして成立しないんだよ。もともとヒトノモリは他人の愚痴に対してお節介な呪いを使うという怪異なんだから」
「そこまでしてヒトノモリの形式にこだわる理由って――」
私がそこまで言うと、黒川さんが冷たい笑いを浮かべて言った。
「ヒトノモリは呪いが怪異の本体じゃ無い。儀式の部分が本体なんだ。そして――、言っただろ?怪異は、ショッキングでセンセーショナルな物であるほど人の心に残り、広まって行くんだよ。それは怪異を強力にする」
ヒトノモリを強くしようとしている人がいる?
その時、どこからともなく複数の悲鳴が上がった。
窓のほうから何か大きな塊が落ちる音がした。
視線を移すと、窓の外に、上から何かが次々と落ちてくる。
それ、――人間だった。
人が上から落ちて来る――。
真っ白になった私の頭の中にいくつもの悲鳴が上がり続けた。
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