第42話『父への報告(前編)』

第42話『父への報告(前編)』


 夜の七時を少し回った頃。

 山之内家のリビングでは、テレビをつけっぱなしにしたまま、信吾と美沙が向かい合って座っていた。テーブルの下では、ゴンちゃんが安心しきった様子で丸くなり、規則正しい寝息を立てている。その寝息だけが、静まり返った部屋にリズムを刻んでいた。


「まぁ、当然なんだけどね……赤荻さんと久方さん、それに桜小路さん。この三人はゴンちゃんが“真竜”だってことを知ってるよね」

 信吾は低い声でつぶやいた。


「うん。だから他の人には言わないほうがいいよね。……言えば赤荻さんたちにも、その人自身にも迷惑がかかるかもしれないし」

 美沙はペットボトルのお茶を両手で持ちながら、静かに頷いた。


「そうだね……。でも、父さんにはどう説明するか」

 信吾は腕を組み、視線を落とした。眉間に寄ったしわが、迷いを物語っていた。


「この前の検査のこともすごく気にしてたし。卵の話だってしてるんだし」

「……このまま黙ってるのは、不自然だよな」

 深く息を吐き、答えを見つけられないまま、重たい思考に沈んでいく。


 二人は同時にため息をつき、テーブルの木目を見つめた。

 その沈黙を破ったのは、美沙だった。


「じゃあ、赤荻さんに“お父さんに伝えていいかどうか”相談してみれば?」


 その一言で、信吾の中に小さな光が灯った。

「あぁ……そうだね。その方が確かにいいかも」

 壁の時計に視線をやり、小さくため息をつく。

「……まぁこの時間だけど、とにかく赤荻さんのところ行って相談してみるよ」


 信吾は立ち上がり、ためらいを残しながらも赤荻の作業スペースへと向かった。



 工具や資料が無造作に置かれた作業部屋。赤荻は机に向かい、小さな部品をいじっていたが、信吾が訪れると手を止め、椅子ごとこちらに振り向いた。

 信吾が事情を切り出すと、赤荻は短くうなずいた。


「……そうか。分かった」

 低く短い言葉。その響きに、信吾の肩から少し力が抜けた。


「父にはゴンちゃんのこと……伝えてもいいでしょうか?」

 信吾は不安を隠せない声で尋ねた。膝の上で握った拳が震える。


「構わん。むしろ早いほうがいいだろう」

 赤荻は腕を組み、少し間を置いて言葉を継いだ。


いいんですか?

信吾は驚いたような安心したかような声で言った。

「……あぁ、坊のことを気にかけてくれているのは知っている」


 一瞬だけ目を細め、ぽつりとつぶやく。

「……良い父親だな」


 その言葉に信吾は胸の奥が熱くなるのを感じた。


「それで──いつ言いに行くつもりだ?」

「まだ決めてないですけど……父の許可が取れれば、今からでも直接伝えようと思ってます。……時間が無いですし」

 言葉の端に、焦りと不安が同居していた。


「分かった。じゃあ、かなえも連れていけ」


「えっ……久方さんをですか?」

 思わず声が上ずる。信吾は驚いた顔で赤荻を見つめた。


「あぁ。お前達が説明できないことは、かなえから説明させる。その方が話もスムーズだろう」


「でも、急に呼び出すのは……」

 信吾はためらいを見せたが、赤荻は揺るぎなく答えた。


「あぁ問題ない。今までここに居たしな。しかも、あいつも最近はお前たちと関わることでずいぶん変わってきた。むしろ良い機会だ。社会勉強だと思ってくれ」


 その口調は淡々としていたが、どこか温かみを帯びた“おじいちゃん”の響きがあった。


「……分かりました。ありがとうございます」

 信吾は深く頭を下げる。胸の奥に、ほんの少しの安心が芽生えた。


 こうして、茂夫にすべてを話すための準備が整った。



 夜の街を走る車。フロントガラス越しに街灯が点々と後ろへ流れていく。窓に映る信吾と美沙の顔は、強張ってはいないものの、どこか緊張感を帯びていた。

 父だからこそ遠慮はない。けれど、どんな反応が返ってくるかを思うと、不安は拭えなかった。


「ごめんね、久方さん。急に面倒なことに付き合わせちゃって」

 美沙が気遣うように口を開く。


「良いんです。ちょっとびっくりしましたけど、今は大学も夏休みで特にやること無かったですし」

 久方は少し照れ笑いを浮かべた。

「……それに、この前うまくできなかった“監視役”のやり直しってことにして下さい」


 その声音は落ち着いていて、車内の空気を少し和らげた。


 やがて車は茂夫の動物病院へと到着する。

 ガラス越しにこぼれる明かりが夜気に浮かび上がり、まるで四人を迎え入れるように灯っていた。


「父さん、ゴンちゃんが真竜ですって言われたら……やっぱり驚くよね」

 信吾が小さくつぶやく。

 美沙は隣で静かに頷いた。


 病院の中に入り、診察室の前に立つ。信吾は一度息を整えてからノックをした。

 扉を開けると、茂夫が白衣のままこちらを振り返った。彼はもう待っていたかのように微笑む。


「おぉ、来たか。……ゴンちゃん、また大きくなったな」

 視線は自然と足元のゴンちゃんへ向けられる。ゴンちゃんは尻尾を振りながら、眠そうに鳴いた。


「今日は突然ごめんね」

 美沙が申し訳なさそうに言う。

「あぁ、別に問題ない」

 茂夫は首を振った。そして信吾に視線を向ける。

「信吾? ……その人は?」


「お隣に住んでる久方さん」

 信吾が紹介すると、茂夫は「なぜお隣さんが?」とでも言いたげに不思議そうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「山之内茂夫です。信吾と美沙の父親になります」


「久方かなえです。いつもお二人にはお世話になっています」

 久方もぺこりと頭を下げる。


 その後、しばし他愛もない会話が交わされた。病院のこと、ゴンちゃんの日々の様子──。和やかな空気が流れたが、やがて信吾の表情が引き締まる。


「あのね、父さん、ゴンちゃんのことなんだけど……実はゴンちゃんはね──」


 言いかけたその時、久方が一歩前に出た。

「信吾さん、美沙さん。すいません。ここは私が説明してもいいですか?その方がスムーズだと思います」


 信吾は戸惑いながら美沙に目をやる。美沙も迷ったように頷き、二人は久方に任せることにした。


「ありがとうございます」

 久方は一礼し、落ち着いた口調で茂夫へ話し始めた。


──ゴンちゃんが真竜という守り神であること。

──自分たちはその存在を見守る守護者であること。

──あの日の卵のこと、そして「旅立ちの義」と呼ばれる伝承のこと。


 できるだけ平易な言葉で、丁寧に。

 茂夫は最後まで目をそらさず、真剣に耳を傾けていた。


 やがて、静かに息を吐き、こう言った。


「……貴重な話をしてくれてありがとう」


 その声音は重たくもなく、軽すぎることもなく──父親として、そして獣医としての真心がにじんでいた。




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