第23 話『桜小路さんの家にお呼ばれする』

第23 話『桜小路さんの家にお呼ばれする』


週末の午前、信吾は珍しく少し早起きしていた。

まだ朝の空気が爽やかに肌を撫でる中、リビングからは美沙の手際よくお茶を淹れる音が聞こえてくる。


「緊張してる?」

美沙は軽く笑いながら問いかけた。


「いや……まあ、ちょっとは。だって桜小路さんの家に行くんだよ?“別格”って言ってたじゃん」


美沙はカップを差し出しながら、優しく頷く。


「うん。豪邸って聞いてはいたけど、実物はきっと想像以上だよ。……ほら、ゴンちゃんも早く支度して」


ゴンちゃんは寝起きのまどろみから覚めたように、寝床にしている毛布から出てきた。

しっぽはすでにゆらゆらと揺れ、これからのお出かけに期待を膨らませているのが見て取れた。


信吾の運転する車は、町の外れを抜け、やがて緑の丘陵地帯へと入っていく。

車窓から見える景色は次第に豊かな緑に包まれ、目の前に広がる空がどこまでも高く感じられた。


やがて白い門柱の向こうに、ひときわ大きな白亜の屋敷が姿を現した。


「……うわ」

思わず息をのんだのは美沙だった。


高くそびえる尖塔を幾つも備えたその建物は、西洋のお城そのものだ。

正面には円形の車寄せ、その中心に据えられた噴水からは清らかな水が流れ、日差しにきらきらと輝いていた。

水しぶきが風に乗って飛び、小さな虹の輪をつくり出している。


「お城だ……」

信吾の声に、後部座席のゴンちゃんも「きゅ」と同意した。


庭の芝生は手入れが行き届き、花壇には様々な色のバラが咲き誇っている。

そこを、ルネが軽やかな足取りで駆け回っていた。


ゴンちゃんは窓の向こうにいるルネを見つめ、耳をぴんと立てた。


車は大きな門を静かにくぐり抜ける。

メイド服姿の女性がすぐに笑顔で迎え入れてくれた。


桜小路さんはその女性とすれ違いざまに軽く会釈し、信吾たちのもとへ歩み寄る。


「ようこそいらっしゃい。迷わなかった?」


その穏やかな声に信吾は少し肩の力が抜けた。


「はい……こんなところに来られるなんて、本当に驚きました」


「ふふ、ただの家よ。少し大きいだけ」


彼女の控えめな言葉が、かえってその豪華さを際立たせる。


玄関ホールは天井が高く、重厚なシャンデリアが柔らかく灯りを落としている。

壁面にはアンティークの油絵が並び、訪れた者を優雅に包み込む。

奥の大きなガラス扉の向こうには広大なバラ園が見え、その色彩が空間に彩りを添えていた。


「せっかくだから、まずは庭を見ていって。ルネもそこで待ってるわ」


穏やかな風が庭のバラを揺らし、甘い香りが辺りに漂う。

噴水を中心に幾何学的に配された花壇には、真紅や白、淡いピンクの花びらがひらひらと舞っていた。


ルネはゴンちゃんに鼻先を寄せ、穏やかな交流を見せる。

距離は縮まり、二人は一緒に庭を散策し始めた。


「ゴンちゃん、池に落ちないようにね」

信吾は思わず声をかける。

その心配をよそに、ルネはすっと先回りして安全な場所へ誘導しているようだった。


「ルネって、面倒見がいいんですね」

「ええ、昔はそうじゃなかったのよ」

桜小路さんは庭を歩きながら、少し遠い目をした。


「ここは母が大切にしていた場所でもあるの」


二人は静かに耳を傾ける。


「母は花と生き物を愛していて……ルネと出会ったとき、母が背中を押してくれた気がしたの」


彼女の言葉には淡い郷愁がにじんでいた。


屋内に戻ると、大きなサロンには優雅なテーブルが用意されていた。

銀のポットから立ち上る紅茶の香りは深く、カップには繊細な金の縁取りが施されている。


テーブルの上には、甘さ控えめのフルーツタルトと、小ぶりのサンドイッチが並べられていた。


「どうぞ。ゴンちゃん用に、砂糖を使っていないタルトも作ったわ」


ゴンちゃんはタルトの端をちょんと齧り、目を丸くする。

ルネには別皿に、小さく切った茹でササミが用意されていた。

ルネはそれを静かに噛みしめ、満足げに尻尾を振る。


「やっぱり似てるわね、このふたり。食べるときの仕草まで」


信吾も頷きながら、二人の穏やかな様子に心が和んだ。


桜小路さんがふいに問いかける。


「信吾くん、美沙ちゃん。あなたたちはこの町で暮らしていて、何が一番大切だと思う?」


突然の質問に信吾と美沙は顔を見合わせる。


「うーん……やっぱり人とのつながりですかね」


「私は……信吾とゴンちゃんと過ごせる毎日かな」


彼女はゆっくりと頷いた。


「どちらも正しいわ。形のないものこそ、大切にしなければ壊れやすいものだから」


桜小路さんの口調は少し変わり、どこか遠い記憶を辿るようだった。


「若い頃、私はそれを壊してしまったことがあるの」


その言葉に、思わず身を乗り出したが、彼女はすぐに柔らかく微笑みながら続けた。


「だからこそ、あなたたちには守ってほしい。たとえ変わってしまっても、変わらない覚悟を」


窓の外を見ると、ルネとゴンちゃんが並んで昼寝をしている。

その穏やかな姿に信吾は胸に静かな熱を感じた。


帰り際、桜小路さんは手作りのバラのドライポプリが入った小さな包みを信吾に手渡す。


「ゴンちゃんの小屋に置いてあげて。きっと喜ぶわ」


門を出る直前、ルネがそっとゴンちゃんの頬に鼻を寄せる。

「またね」と言うような優しい仕草に、ゴンちゃんも小さく鳴いて応えた。


車が坂を下り、丘の上の白い屋敷が夕陽に染まっていく。

まるで物語の挿絵のように輝く光景に、信吾は今日の出来事がいつまでも心に残ることを感じていた。


今日、彼らはまたひとつ、大切な「答え」を見つけたのだった。


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