「お前も、やっぱ離れてくんだな。」

 塾の夏期講習に参加する。気に入ったら秋からも塾に通うかもしれない。

 授業が始まる前、そう告げたときの恭弥の反応が、それだった。蒼大は面食らい、なんの表情も作れないまま、いつも通り斜め後ろの椅子に座っている幼馴染を振りかえって見た。彼の表情は冴えなく、顔色もどことなく悪い。寝ていないんじゃないかな、と、蒼大は思った。

 お前『も』? つまり、誰かが恭弥から離れていこうとしているのだ。ここまで、恭弥を参らせるような誰かが。

 そんなの、ひとりしかいない。涼音さんだ。

 「……なにか、あったの?」

 聞きたくはなかった。恭弥の口から、おんなの話など。それでも聞かずにはいられないのは、暗い好奇心と、確かな親しみからだった。心配になるのだ。この、長い付き合いの男は、他人に感情を悟られることをよしとしない。その男が、こんなにあからさまにぐったりしているとなると。

 「……別に。」

 低く、恭弥が呟く。そしてポケットから取り出した煙草の箱から、細長い煙草を一本咥えて引き抜き、そして、我に返ったように目を瞬くと、それを唇から離してシャツの胸ポケットに収めた。

 煙草、吸うんだ。

 蒼大はそのときの自分の感情は、くっきりと悲しみに傾いていることを自覚していた。恭弥がおんなのことで苦しんでいるのを見るよりも、恭弥の全く知らなかった一面を見せられることの方が、更に悲しい。

 「涼音さんでしょ。」

 余計なお世話だと分かっていた。恭弥は蒼大になど、なにも話したがらない。それでも悲しみを強い痛みで誤魔化すみたいに、どうしても止まれなかった。

 「……お前に関係ないだろ。」

 恭弥はまた、ぼそりとそう言った。突き放すような言葉の端々に、いつもの切れ味がない。この男は、本当に弱っているのだ。

 「関係ないけど、話し聞くくらいはできる。」

 本当は耳をふさいでなにも聞きたくないのに。

 恭弥は、ようやく蒼大と視線を合わせ、そして笑った。やさしさや温かさがまるでない笑いだった。唇だけが、笑っている。

 「お前に話してどうなんの。ホモのガキに。」

 胸がつぶれそうになった。それが恭弥の言葉だったからこそ。他の人に言われたら、知らないふりができる、でも、恭弥相手ではそれができない。ホモのガキ。事実だし、どうしたって蒼大は恭弥が好きで、それをなかったことにできずにもがいている。

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