第2話 この距離、きっと気付かれてない(Side:美友希)
近くにいるのに、手が届かない。
氷瀬先生が同じ校舎にいるだけで、胸が締め付けられるのに。
その瞳がわたしを映すことは、今日も無いだろう。
体育館で始業式が終わり、ざわつく教室に戻る。
出雲先生が教壇の前で、予定表を手にしていた。
出雲「この後、体育館で入学式があるからな!手伝いの奴は忘れず体育館行けよー!じゃ、今日はこれで終わりだ!気を付けて帰れよ!」
帰りのHRも終わり、急いで教室を出る子もいれば、誰かの席に集まって話始める子たちもいる。
わたしは手早く鞄に荷物をつめ込んでいた。
すると、目の前にふと影が出来たので見上げると、そこには鈴音がいた。
鈴音「美友希!この後、入学式出るんやろ?」
美友希「あ、うん!生徒会役員は式典出席しなきゃだからね。」
鈴音「うちは受付と案内の手伝いや!お互い頑張ろや!」
美友希「うん、ありがと!またねっ」
ガッツポーズの鈴音に見送られ、体育館へと向かう。
体育館には既に人が集まっていて、椅子やテーブル、垂れ幕などが雑多に置かれていた。
入学式準備が始まった体育館はさっきとはまた違って、ちょっと特別な春の匂いが混ざっている。
美友希「悠馬くん!」
わたしは生徒会副会長の腕章を腕につけながら、体育館の真ん中で人一倍大きな声で指示を出している男の子、風嵐 悠馬(かざらし ゆうま)くんに近づいた。
悠馬「美友希!お疲れっ!」
悠馬くんは満面の笑みで、わたしの方を振り返った。
美友希「教室見渡したらもういなかったから、「早っ」って驚いたよ!」
悠馬「ははっ!悪い、これでも生徒会長だからさ!他のやつより先に行かなきゃと思ってダッシュで来た!」
美友希「ふふっ、悠馬くんらしいね」
わたしのその言葉に、ニッコリ笑って見せた。
すると、「おーい!悠馬!羽田(はねだ)!」という、体育館いっぱいに響く声で出雲先生がわたしたちの名前を呼んだ。
出雲「剣道部で手空いてるやつも連れてきたわ!」
悠馬「大河先生!あざっす、助かるっす!」
悠馬くんはペコッと頭を深く下げた。
美友希「あ、大地くんっ!手伝いに来てくれたの?」
その中には、中学からの仲良しで、同じクラスの宗鹿 大地(そうか だいち)くんの姿もあった。
大地「…あぁ。」
言葉はぶっきらぼうだけど、口元は柔らかく微笑んでいた。
悠馬「やっべ!大地いたら準備速攻で終わるじゃん!一気に椅子10個くらい運んでくれそう!」
大地「…んな訳あるか。」
悠馬くんの軽口に、呆れたように答える大地くん。
同じ剣道部の副主将同士なのもあるけど、二人を見てるとその信頼関係が手に取るように伝わってくる。
そうしていると、体育館にはそこそこの人数が集まり、悠馬くんは両手をパンッと叩いて「注目―!」と声を上げた。
悠馬「これから、入学式の準備を始めます!担当の作業が終わったら、他の持ち場も手伝ってくれると助かります!」
悠馬「あと、分かんないことあったら、俺か俺の嫁に聞いて!」
そう言うと、悠馬くんはわたしの方を向いた。
美友希「ちょっ…!だから!嫁じゃないってばぁー!」
心臓が変な音を立てた。声のボリュームもいつもより大きくなる。
大地「勝手にお前の嫁にするな。」
そう言って大地くんが不機嫌そうに悠馬くんを睨む。
これもまたいつものパターン――だけど、わたしの頬はまだ熱いままだった。
出雲「はいはい!まずは準備終わらせてからな!」
ポンポンと悠馬くんと大地くんの肩を叩く出雲先生。
出雲「じゃ、しっかりと頼むな!」
そう言って、先生は職員室へと戻っていった。
その後、入学式の準備は着々と進み、雑多に出されていた椅子やテーブルなどが綺麗に並べられていった。
悠馬「これなら、思ったより早く終わるかもな!」
美友希「だね!本当助かる!」
そのとき、体育館の扉が開く音がして振り向いた瞬間、わたしの心臓が分かりやすく跳ね出した。
廊下の光が差し込む中に、背の高い人影。
氷瀬先生だ。
先生が一歩近づくたびに、空気が静かに張り詰めていく。
鼓動の音だけが、自分の耳の奥で響いた。
美友希(――来る、こっちに、来る!?)
胸が、さっきより速く脈打つ。
でも先生の視線はわたしには向かず、そのまま悠馬くんの方へ歩いていった。
氷瀬「風嵐、ちょっといいか?」
悠馬「あれ、氷瀬先生!どうしたんすか?」
氷瀬「これ、高坂(こうさか)先生から。段取りが変わるらしいぞ。」
悠馬「えっ、まじっすか!?」
氷瀬先生はプリントを広げると、悠馬くんに見せながら説明を始めた。
美友希(な、なんだ、悠馬くんに用だったのか…ビックリした。)
美友希(でも、ちょっと期待しちゃったな…)
そんな自分が恥ずかしくて、足元を見つめる。
でも、胸の奥がじんわり痛む。
近くにいるのに、遠い。
視界の端で、先生が悠馬くんに書類を渡しながら、小さく笑ったのが見えた。
美友希(氷瀬先生、笑ってる。)
普段はあまり見せないその表情が、なんだかとても綺麗で、目を逸らせなくなる。
悠馬「美友希!悪いけど、俺、職員室行ってくるわ!こっちは任せるわ!」
悠馬くんの声にハッと我に返る。
美友希「あ、う、うん!分かった!」
でも、わたしの返事を聞く間もなく、悠馬くんと氷瀬先生は職員室へと歩き出した。
美友希(先生、こっち見なかったな…)
勝手に落ち込んでいる自分が、少し情けなくなる。
その時、ガチャガチャンッと大きな音がなり、やっと顔を上げて、その方向に視線を動かす事が出来た。
そこには折りたたまれたパイプ椅子を同時に6個も抱えていた大地くんが立っていた。
美友希「…それ、一気に持つ!?すごっ!」
大地くんが歩くたび、持っている椅子同士がぶつかり、ガチャガチャと大きな音を立てる。
大地「…10個は無理だけどな。」
美友希「十分すごいよ!腕、壊さないでね?」
大地「心配ない。でも…ありがと。」
大地くんの口元が小さく緩んだ。
美友希「ううん!こちらこそ、ありがとだよ!」
自然と笑ってしまう。
そんなわたしを見て、大地くんも優しく目を細めた。
美友希(少し笑ったら、元気出てきたな)
さっきまで感じていた重い気持ちから、少しばかり解放されているわたしがいた。
体育館に、ひんやりとした風が流れ込む。
その風が、わたしの前髪をくすぐるように揺らして通り抜けた。
美友希(そうだ、わたし決めたじゃない)
今、この瞬間も。
全部を精一杯頑張ろうって決めたじゃない。
いつか先生が思い出すことがあったら、『なんでも全力で頑張ってた生徒がいたな』って、そう思ってもらえるように。
それが今のわたしの原動力。
だからこそ、出来ること以上のことを全力で取り組む。
美友希「―よし!あと少しだから、頑張って終わらせちゃお!」
そう言って大地くんを見上げ、一緒に歩き出した。
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