深海魚はまだ夜明けを知らない〜男の娘に翻弄されまくる純情不良少年の日常『べ、別に照れてなんかねぇ!!』〜

蔵科月子

第1話 不良少年

【深海魚】体内の圧力を海水圧と同じに保つことで、水圧に耐えていると考えられている。


 夜十一時。


 異臭の立ち込める繁華街の路地裏で、綾瀬彰人は暇を持て余していた。

 金さえあればもっと簡単に時間を潰せるというのに。彰人は空の財布をポケットにしまい、舌打ちをした。


 そんな彼のもとへやって来た男たちが、四、五人。


 すでに臨戦状態の男たちは、鬱憤を晴らそうとなんの脈絡もなしに殴りかかった。

 彰人は「またか」とあきれつつ、拳に力をこめる。喧嘩なんて日常茶飯事だ。


 襲い掛かって来た男たちを殴り、蹴り飛ばす。むしゃくしゃしていたから都合がいい。

 喧嘩をしているときは楽だ。何も考えずに、思う存分暴れまわれる。


 殴る。蹴る。噛みしめる鉄の味。

 それからしばらく。気絶して転がる男たちが、四、五人。


「大したことねぇな」


 彰人は頬の擦り傷を親指で拭うと、鼻を鳴らした。


 鋭く発光するネオンと、耳を劈くような笑い声。眠らない夜の街は、欲にまみれた大人たちが蔓延っている。そんな世界で、彰人はちょっとした有名人だった。


”喧嘩好きで、見境なく暴力をふるう”


 そんな噂が独り歩きして、血の気の多い野郎どもを勝手にひきつけてしまう。おかげで治りかけの怪我はいつまで経っても治らない。


 そのとき。

 ぱちぱち、と手を叩く音がして振り替えると、室外機に腰をかけた人物が彰人に笑いかけた。


「おにーさん、強いね」


 ピンク髪のツインテールに、ミニ丈のメイド服。白いニーハイからはみ出る太ももがのぞくと、彰人は眉をひそめた。

 夜の街で声をかけてくる女の目的など、たかが知れている。


「うぜぇ。話しかけんな。俺はお前みたいな女が大嫌いなんだよ」

「待ってよ」


 彼女は立ち去ろうとする彰人の腕に縋り付き、頭一つ分ほど低い視点から上目遣いで見上げる。


「何を勘違いしてるか知らないけど。僕、オトコノコだよ?」

「は、はぁ!?」


 彰人は腕を振り払うと、震える指で”彼”をさす。


 砂糖を溶かしたような甘ったるい声色は、到底男とは思えない。

 それに暗がりではよく見えなかったが、近くで見ると存外可愛らしい顔立ちをしている。


 これで男と言われてもにわかに信じがたいが、掴まれた腕の力が異様に強い。

 彰人は一瞬でも可愛いと思ってしまった自分を受け入れられず


「そ、そんな嘘、誰が信じる!!」


 なんて反論する。


「えー。嘘じゃないのに。じゃあ、確かめてみる?」

「は、はぁ!?」

「ここじゃあれだし。どこか入ろっか?」

「は、入るわけねぇだろ!! あ、わ、わかったぜ!! そういう戦法だな!?」

「戦法?」

「そうやって男をたぶらかして、金稼ぎするつもりだろ!? わかってんだからな!? 俺はそんなものにはひっかからねぇ!!」


 彰人が牙を剥いて威嚇すると、彼は一瞬きょとん、としたあと吹き出した。


「あっはは! おにーさんかっわいー!」

「あぁ!?」

「安心してよ。別に僕、おにーさんを取って食ったりしないから」

「取って食うだぁ? その前に俺がぼこぼこにしてやるっつーの」

「そういう意味じゃないんだけどなー」


 拳を手のひらに打ち付ける彰人に、またもや彼は吹き出した。


「おにーさん、明日もここに来る?」

「さーな」

「じゃあ、また明日、同じ時間に待ってるね」

「話聞けよ!」


 彰人の返事も聞かずに、彼は行ってしまった。

 異臭の中に紛れる甘い香りが、空っぽの胃に充満する。


「くそっ。なんなんだよ、あいつ」


 彰人はそばに落ちていた空き缶を踏みつぶした。

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