Day2 奈良
EP17 造形美
バスの振動がゆったりと体を揺らす。窓の外の景色が静かに流れていく中、隣にはひよりが座っていた。相変わらず、という感じだ。
「いやぁ、何度見ても、葵さんの今日のコーデ可愛いですね」
ひよりが目を輝かせてこちらを見つめる。
「まずコート! くすんだピンクでショート丈、顔周りをふんわり明るくしてる。それから白いレースのニットで女の子らしさを足して、スカートはチェックのふわっとタイプでバランスは完璧! で、ポイントはここですよ、ここ!」
ひよりが指先で黒タイツの裾を示す。
「このパステルの中で『一本だけ引き締める黒』を入れるっていう、色の遊び方が分かってる感がすごいんです! 足元は厚底のレースアップでちょっとハードに締めてる。ぐふふ、これはプロの仕事といっても過言ではっ――」
これらのコーデは全部、修学旅行前に真夏が選んでくれたものなのだけれど、ここまで褒められると悪い気はしてこない。
「そして極めつけはこのタイツの触り心地――っ!」
ひよりは言うが早いか、ふわっと私の太腿に触れてきた。むにっ――と揉むような触れ方。
「こ、こ、こ、この感触は――あぁ、天にも上りそうな極上の柔らかさ――」
「……あの、手つきがいやらしいので、やめてもらっていいですか?」
「いやらしいとは! なんて辛辣な!!」
ひよりはすぐに手を引き、少し照れながらも必然のように距離を保つ。
その距離感の測り方は妙に上手だと、私は内心で思う。相手の反応を見ながら、どこまで踏み込んでいいかをきちんと調整できる――そういう細やかさが、彼女にはある。
「そういえば、葵さん――奈良公園での自由時間の予定は?」
唐突に、ひよりがそう切り出してくる。
「……特にないですね。東大寺の大仏は見ておきたいですけど、あとはノープランです」
「で、でしたら!! ちょっと行ってみたい場所があるのですが……ご、ご、ご一緒にいかがですか!?」
その言い方に少しおどおどした可愛らしさが混ざっていて、断る理由は見つからなかった。私は軽く頷く。
「いいですよ、行きましょう。……ちなみに行ってみたい場所というのは?」
「公園内にある、奈良国立博物館です!」
ひよりの目がパッと輝いた。展示に興味があるのか、それとも単に『人の少ない静かな場所』が好きなのか――理由はどうあれ、彼女が嬉しそうなのは伝わってくる。
バスの窓ごしに見える奈良の木立が近づいてくるのを眺めながら、私は小さく息をついた。
* * *
バスが奈良公園の木陰に停まると、担任の先生が車内に向かって背伸びをするように声を張った。
「これから午前中は自由行動です。奈良公園内であればどこに行っても構いません。ただし、12時までにはこちらに戻ってきてください」
その合図とともに、ざわつきが一気に広がる。友達と列を作る者、スマートフォン片手に地図を確認する者、鹿に群がる者――それぞれが思い思いの方向へ散っていった。
「そ、それじゃあ、私たちも行きましょう!!」
ひよりの声が弾む。私は軽く頷いて、奈良国立博物館へ向かった。
博物館に入ると、空気がすっと冷たく変わる。外の陽光とは違う、展示に合わせたやわらかな照明と、静謐さ。
入場料を支払い中へ入ると、ひよりは迷いもなく仏像館へ足を進めていった。目的がはっきりしているところが彼女らしい。
最初に出迎えてくれたのは、想像以上に大きな仁王像だった。木彫の質感、漆の残る面、ふくよかな筋肉の表現。顔つきは怒号を上げているかのように強烈で、その存在感に思わず息を呑む。
すると、ひよりの瞳がホタルみたいにきらめいた。
「見てください葵さん! この筋肉の盛り上がり! 木の一片からこれだけの隆起を彫り出すとは……あぁ、思わず拝みたくなる――っ!」
ひよりは片手を大袈裟に合わせ、もう片方の手で胸元を押さえて身悶えするような仕草。普段のオドオドした様子がが嘘のように饒舌だ。
「ほらほら、この腰のひねり! 見てください、ここの
彼女の奇声に、周りの観覧客に小さな視線が飛ぶが、お構いなしに続ける。
「ここはね、顔の角度がポイントなんです。光と影の関係で頬がこう……ほら、唇の端っこに残る影が、あの――あの角度ですよ! ね、葵さんわかります? わかるでしょ? わかりますよね!?」
……すみません、全くわからないです。
そんな私をお構いなしに、次の像へと向かい、ひよりが身を乗り出して囁いた。
「ここはもう、表情の色気が全然違うんですよ。目尻の彫りが少し深いから、視線の抜けが誘う感じになるんです。誘い方が上品で――つまり高級な誘惑ってやつ! あぁぁ、私お腹がきゅーってなりました!」
彼女は本気でお腹を押さえて悶え出したため、私は思わず視線を逸らす。
そして、仏像側に目を向けると、確かにその仏像は均整が取れていて、静かに胸を打つ何かがある。ひよりの表現は過剰だけれど、無理やり笑い飛ばせない核心も含んでいるのかもしれない。
「そしてこの手! この指先の角度がね、まるで――そっと撫でるようで……あぁぁ、その角度を想像すると、もうだめだ、うおっふん!」
どんどん危険地帯に侵食していくが、ひよりは嬉々としている。観覧客の一人がくすりと笑い、別の人はそっと距離をとる。おかしな空気だが、不快ではない。どこか温かい。
私は半ば呆れつつ、半ば納得した。ひよりの『官能語り』は、単なる下世話な妄想ではない。造形の細部を異様に鋭く読み取り、それを自分の言葉で翻訳しているんだ。表現は濃厚すぎるけれど、その着眼点は的確だ。
「……ここまで来ると、ある意味天才の領域に入るかもしれないですね」
彼女は得意げに頷いて、次の展示へと私の手を引っ張った。私はその掌の温度を感じながら、仏像の静かな眼差しが、どこか自分たちを見透かしているように思えて、思わず背筋が伸びるのだった。
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