第35話 それぞれの思惑【Side 翔吾】
【Side 翔吾】
「さて……太一はうまいことやっているかな?」
僕は自身の部屋のベッドで天井を見上げながら、親友のことを思った。今頃、鷹宮さんの部屋で一体何をしているのやら。
「同じ部屋で2人きりでしょ? 佐山がよっぽどヘタレでもなきゃ、何かしら進展はあるんじゃない?」
隣から聞こえてきた声に振り返ると、藍ちゃんがこちらを見つめていた。先ほど風呂に入ったばかりの彼女は、いつもとは違う雰囲気で、修学旅行という特別感と相まって、僕の心臓が跳ねる。
「そうだといいんだけどね」
僕は苦笑いした。太一のことだ、きっと今頃も慌てふためいているに違いない。
「そんなことよりさ、あたしたちも2人きりなわけなんだし——」
藍ちゃんが僕の胸元に指を這わせながら、上目遣いで見つめてくる。その仕草は、僕の理性を刈り取るには十分すぎる破壊力を持っている。
「もちろん、この修学旅行で寂しい思いをさせてしまった埋め合わせはさせてもらうよ」
僕は藍ちゃんを抱き寄せて、そっと唇を重ねた。
柔らかくて温かい感触。甘い香りが鼻をくすぐって、僕の頭がふわふわと浮かんでいく。藍ちゃんも僕の首に腕を回して、身体を寄せてくれる。
修学旅行という非日常の中で、愛する人と過ごす特別な夜——
今のこの状況は、色々な人の思惑がぶつかり合った結果生まれたものだった。
* * *
時は昨夜に遡る。
太一からの報告を受けた僕は、彼と鷹宮さんの仲を何とか進展させたいと考えていた。
太一の鷹宮さんに対する気持ちが変化していることは明らかだった。でも、本人はまだそのことに気づいていない。そして鷹宮さんの方も——太一に対して何かしら、特別な感情を抱いていることは間違いないと推察できる。それはおそらく――
でもこのままじゃ、2人とも本当の気持ちに気づかないまま修学旅行が終わってしまい、そして慌ただしい日常の中で、その気持ちが風化していってしまう。
そこで僕は、藍ちゃんに協力を依頼した。
これまで通り、小鳥遊さんに関する情報収集に加えて、自由時間に2人を巻き込んだダブルデートを遂行しようというものだ。
「いいよ! 面白そうじゃん」
藍ちゃんは二つ返事で引き受けてくれた。さすが僕が惚れた女性だ。
そして今朝、僕たちは鷹宮さんに接触した。
太一に悟られないよう、朝食後から集合までのわずかな隙間時間を見つけて、僕たちは鷹宮さんに声をかけた。
「鷹宮さん、おはよう〜! 久しぶりだね!」
「……美島さん、お久しぶりです。それに、二見くんまで――」
鷹宮さんが振り返る。いつものように丁寧な口調だったけれど、その目はどこか鋭さを帯びているようにも思えた。
「私に何か用があるんですか?」
「ちょっと話したいことがあってね――今時間は大丈夫?」
僕は彼女の目の圧に負けないように、表情を平素と同様に保ちながら鷹宮さんに問いかける。
「はい、大丈夫ですよ。私もお二人にお話ししたいことがあったので、ちょうどよかったです。それでは、お先にお話をどうぞ」
そして鷹宮さんは、不敵な笑みを浮かべながら僕たちを促す。
「それじゃあ、お言葉に甘えて――単刀直入に言うと、今日の自由時間を一緒に行動しないかというお誘いに来たんだ」
「なるほど、なるほど」
そう言いながら、暫し逡巡した様子を見せた鷹宮さんだったが、すぐにいつもの表情――いや、いつもよりどこか楽しげな表情を浮かべると、口を開いた。
「その行動メンバーの中には――佐山くんも入っているということであっていますか?」
「っ――!」
「――な、なんでわかったの!?」
鷹宮さんの洞察力の鋭さに、驚きを隠しきれない僕たちだった。藍ちゃんに至っては、もはや自爆しているまである。
「理由は色々あるのですが……こちらも単刀直入に――お二人は、佐山くんの覗きの協力者ですよね?」
あまりにもあっさりと看破されたため、僕は苦笑いするしかなかった。
「バレていたのか……うん、その通りだよ」
「しょ、翔くん! バラしちゃって大丈夫なの?」
心配する藍ちゃんに、軽く微笑みながら僕は口を開く。
「ここまでバレているなら隠す理由もないからね……さて、鷹宮さん――いつからわかっていたの?」
「二見くんに関してはほぼ最初からわかっていました。図書館に佐山くんと2人で訪れた、あの日から。そうすれば
参ったな。鷹宮さんの洞察力は想像以上だった。
これはダブルデートの話を了承してもらう余地もないか……そう思っていたところに――
「まぁ、それはどうでもいいんです。それより、先ほどの自由時間の件ですが、受けてもいいですよ」
「……え?」
「ただし――ちょっとした条件を飲んでいただけるのであれば、の話ですが」
……そう来るか。こちらが協力者だとバレている以上下手に出るしかない。
「……無茶な条件でなければ、飲むのも
「簡単なものですよ――」
そう前置きをして、鷹宮さんは
鷹宮さんが語った条件は、本人が言うように至ってシンプルなものだった。
太一に対して、『今日の大阪のホテルで、小鳥遊さんが部屋の浴室を使用する』という嘘の情報を流してほしいというものだ。
少し詳しく話を聞くと、どうやら鷹宮さんと小鳥遊さんはホテルの部屋が同室らしく、例の勝負のために太一を罠にかけたいという思惑があるようだった。
「――どうですか? この条件、飲んでいただけますか?」
鷹宮さんにそう問われて、僕は少し悩んだ。というのも、やはり親友に嘘をつくことに抵抗があるのだ。
けれど、彼女の条件そのものは、僕の思惑とも合致していた。2人の接触機会が増えることは、関係進展に繋がる。
それらを天秤にかけた結果――
「……わかった。その条件を飲むよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると思っていました。それでは、今日はよろしくお願いします」
そう言って彼女は去っていった。
* * *
こうして僕たちは太一の敗北という犠牲のもとに、太一と鷹宮さんをデートさせることに成功した。
そしてホテルに到着した際に、鷹宮さんから部屋のカードキーや時間などの詳細情報も入手し、太一を
この段階では、奈良や京都の時と同様に、太一が覗きに失敗して鷹宮さんと接触した後、逃げるようにして自分の部屋に戻ってくる予定だった。
しかし、そこにさらに
藍ちゃんと、それから小鳥遊さんだ。
夕食後、僕と藍ちゃんがホテルのロビーで軽く話していると、小鳥遊さんがやってきた。
「二見くん、藍ちゃん! ちょっとだけ時間いいかな? 相談したいことがあって――」
珍しい接触だった。小鳥遊さんとは全く話をしないわけではないが、向こうから積極的に話しかけてくることもない。
……相談? なんだろう?
僕が思案に耽っていると、それを肯定と見なしたのか、彼女は話を続けた。
「実は……葵ちゃんと、佐山くんのことなんだけど――」
彼女の口から語られた相談は、思いもよらない内容だった。
まず、経緯はわからなかったが、彼女はこれまでの太一の行動、そしてそれに対する鷹宮さんの行動を知っていた。
加えて、彼女と鷹宮さんは所謂、幼なじみという関係性であり、親しい仲のようだった。
その上で――
「佐山くんを、葵ちゃんの部屋に泊まるように仕向けてもらえないかな? あ、葵ちゃんには内緒でね」
「え? どうして?」
藍ちゃんが首を傾げる。
「葵ちゃんは……昔から、自分の気持ちを素直に表現するのが苦手だから。きっと佐山くんに対しても、本当の気持ちを隠していると思うんだよね」
小鳥遊さんの表情には、親友への愛情が滲んでいるような気がした。
「――だから、2人きりでゆっくり話せる時間を作ってあげたいの」
幼なじみとして、鷹宮さんに幸せになってほしいという小鳥遊さんの思惑。それはある意味、僕の考えとも一致していた。
さらに――
「それだったら、あたしも翔くんの部屋に泊まるから、真夏ちゃんは大浴場から出た後、あたしの部屋使ってよ!」
藍ちゃんが手を叩いた。
「あたしの相部屋予定だった子が体調不良で帰っちゃって、ひとりだし!」
これが藍ちゃんの思惑——僕とイチャつきたいという、とてもわかりやすい動機だった。
当然のように小鳥遊さんの提案を受け入れた僕は、太一を送り出した後に、先生たちの見回りが厳しくなったから、しばらく戻ってこない方が良いという旨の連絡を入れ、そして藍ちゃんを部屋へと招き入れた。
そうして、今に至るというわけだ。
* * *
回想から現在に戻ると、藍ちゃんがじっと僕を見つめていた。
「何を考えてたの?」
「この修学旅行を振り返っていたんだ」
僕は藍ちゃんの髪をそっと撫でながら答えた。
「本当に、ただ覗き見をするってだけの話だったのに、妙な展開になったものだね」
「でも、結果オーライでしょ?」
藍ちゃんが僕の胸に顔を埋めながら言う。
「佐山と鷹宮さんも良い感じになってそうだし、あたしたちもこうして一緒にいられるし」
「そうだね」
僕は藍ちゃんを抱きしめて微笑んだ。
「おかげさまでこうして、藍ちゃんとのかけがえのないひと時を過ごせているんだから、感謝するよ」
「もう、翔くんったら」
藍ちゃんが恥ずかしそうに笑う。
「でも……あたしも同じ気持ち」
そう言って、今度は藍ちゃんの方から僕の唇にキスをしてきた。
さっきよりも深く、長い口づけ。藍ちゃんの想いが僕の胸に直接伝わってくるような、甘美な時間だった。
「太一にも、早く鷹宮さんへの本当の気持ちに気づいてほしいな」
唇が離れた後、僕は窓の外を見ながらつぶやいた。
「きっと大丈夫よ」
藍ちゃんが僕の胸に頬を寄せながら答える。
「鷹宮さんも佐山も、お互いのことが気になってるのは明らかだもん。あとは時間の問題じゃない?」
「そうだといいんだけど」
僕はもう一度、藍ちゃんを抱きしめた。
明日は神戸での自由行動。きっと太一にとって、大切な一日になるだろう。そして僕たちにとっても——
「今夜は、君と一緒にいられて本当に幸せだよ」
「あたしも」
藍ちゃんが僕を見上げて微笑む。
「修学旅行って、やっぱり特別ね」
その夜、僕たちは愛を確かめ合いながら、甘美な時間を過ごした。
太一と鷹宮さんの恋の行方を見守りながら、僕たち自身の愛も深めていく——そんな特別な夜だった。
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