黒電話の鳴る夢(くろでんわのなるゆめ)


> 声とは、気のかたちにて、

残り香のごとく人の世に漂ふものなり。


記録されし声はなお、

時ならぬ刻(とき)に甦り、

忘れられし誰かを呼ぶとも申します。


今宵の記録は、

既に廃せられし筈の通信機――黒電話をめぐり、

或る男が見し、夢とも現とも知れぬ一夜の顛末にて候。





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本文


> 男、齢(よわい)三十五。

職はIT企業にて管理部門に勤むる者にて、

都内の高層マンションの一室に独り住まひをしてをりし。


日々、画面の向かうにて人と交はり、

声を録し、文字を送り、思考すらも送受せし生活なりしが、


ある夜より、夢にて不思議な声を聞くやうになりし。


その夢、薄闇の中、

書斎とも病室ともつかぬ部屋にて、

黒き電話機、しきりに鳴動す。


呼び出し音は低く湿り、時に脈のやうに早まり、

やがて受話器を取ると、


> 「わたくしは、あなたの“声”です」




と、名乗るものあり。


男、日を経て次第に常の夢と区別がつかざりし。

鳴る音は、目覚めののちも耳に残り、

やがて現実の静寂を蝕むやうになりぬ。





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録音記録より抜粋(睡眠研究施設)


> 【記録時:令和四年 睦月 深夜】


男:「……また鳴っている。わかってる、夢なんでしょう?

でも、受話器を取らなければ、もっと悪いことが起こる……

あの声、どこか懐かしい。


けれど、誰だったか、思い出せない」


(沈黙。受話器の上がる音)


不明音声(女声):「――わたくしは、あなたの“未来”です」


男:「違う、あなたは……

あなたは……“あの時”の――」


(受話器落下音、記録途絶)





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夢見草・観察報告


> 男、後日、「夢見草」にて屋台と接触。


提灯の下にて、店主に夢の話を語りしとき、

手に持ちしスマートフォンより黒電話の呼び出し音、忽然と鳴り響く。


店主、語らずとも頷き、夢を札に記し、焼却。


鈴一つ鳴りて、炎の中より現れしは、

焦げた紙片に記された五音節――


> 「おとしもの、です」







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補記


> 男、それよりのち、夢にて電話は現れず。


されど、彼の声、

録音機にて記録不能となりぬ。

会話は成立すれども、音声データには沈黙のみ残され、

AI変換も不能なり。


まるで彼の声は、

現世(うつしよ)の周波をはみ出でてしまったかのやうに。


> 声は形を持たずとも、記憶には棲みつくものなり。


その声、誰が拾ひしや――

誰が、聞きつづけるや。

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