第3話:『盗賊少女、仲間になる(物理)』

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二つの太陽が、西の山脈へとその身を沈めようとしていた。


大きい方の太陽が燃えるようなオレンジ色の光を、

小さい方の太陽が儚いラベンダー色の光を投げかけ、

アルカディアの空は息を呑むほど美しいグラデーションに染め上がっていた。


家々の窓辺には温かいランタンの灯がともり始め、

仕事終わりの人々が陽気な声で語らいながら石畳の道を行き交う。


どこかの酒場からは、

調子っぱずれだが楽しげなリュートの音色と、それに合わせた手拍子が聞こえてきた。


そんな活気あふれる街の一角、

ギルドに併設された屋台通りは一際賑わいを見せていた。


肉の焼ける香ばしい匂いと、スパイスの刺激的な香りが、

空腹の冒険者たちの胃袋を容赦なく刺激している。


「んんんー! うますぎる! この串焼き、うますぎる!」


俺、佐藤ユウキは、人生で一番美味い肉を食べていた。


大串に刺さったゴブリンにも似た(しかしゴブリンではないと店主は言っていた)魔物の肉は、

炭火でじっくりと焼かれ、表面はカリッと香ばしく、

噛み締めるとじゅわっと肉汁が溢れ出す。


それはもはや肉汁ではない。

命のエキス、魂のスープだ。


「この秘伝のタレがまた、最高なんですよ!

甘辛くて、ちょっとピリッとしてて、肉の旨味を無限に引き立ててる!

日本に持って帰ったら、絶対大儲けできますよ!」


「ふふ、それは良かったですね。味わって召し上がれ」


俺の隣で、ソフィアは串焼きには一切手を付けず、

ただ微笑ましそうに俺の食べっぷりを眺めていた。


彼女はどこからともなく取り出した清らかな水を、ワイングラスのような優雅さで飲んでいる。

その姿は、雑多な屋台通りの中で、明らかに異質なオーラを放っていた。


道行く誰もが、その女神のような美しさに思わず振り返り、

そして俺の手にある串焼きを見て「なぜこの男と?」という顔をする。


まあ、そんな視線は、美味い肉の前では些細なことだ。


「ソフィアさんも一本どうです? 俺が奢りますから!」


「いえ、私は結構です。

貴方が美味しそうに食べているのを見ているだけで、私もお腹がいっぱいになりますから」


そう言って微笑むソフィア。

その慈愛に満ちた瞳は、まるで我が子の成長を見守る母親のようだ。


俺は少し照れ臭くなりながらも、串焼きの二本目に手を伸ばした。

これが、俺たちが初めて自分たちの力で手に入れた、労働の対価。

銅貨10枚の、極上の味だった。


だが、そんな幸福な時間を、

路地の暗がりから見つめる、飢えた獣のような目が二つあることに、

俺たちは気づいていなかった。


(……間違いない。あの兄ちゃん、どう見てもド素人だ)

(剣の構え方も知らねえような奴が、なんであんな国宝級のお宝を背負ってやがるんだ……)


フードを目深にかぶった小柄な影――シーフの少女リナは、舌なめずりをしていた。

昼間のギルドでのやり取りからずっと、彼女は俺たちを尾行していたのだ。


リナの目には、ユウキという人間は、

幸運にもとんでもないお宝を手に入れただけの、世間知らずなカモにしか見えなかった。


(あの兄ちゃん、完全に隣の姉ちゃんに夢中だ)

(周りへの警戒がゼロ。いただきだな、こりゃ)


リナは音もなく路地の闇に溶け込み、先回りするために駆け出した。

獲物を狩るための、最初の罠を仕掛けるために。



「いやー、食った食った! それじゃあ、宿に戻りますか!」


「ええ、そうしましょう。明日の依頼も探さなくてはなりませんしね」


すっかり満足した俺たちは、宿泊所への帰路についていた。

メインストリートの喧騒を離れ、人通りの少ない裏路地へと入っていく。

ランタンの光もまばらな、薄暗い道だ。


その路地のちょうど中間地点。

リナは、息を殺して物陰に潜んでいた。


彼女の目の前の地面は、一見すると何の変哲もない石畳だが、

そこには巧妙に隠された落とし穴が掘られている。


上に被せられた布には、周囲の地面と同じ色の土や小石が撒かれており、

素人が見破れるものでは到底なかった。


(よし、来た! あの姉ちゃんとの話に夢中で、足元なんか見ちゃいねえ。完璧だ!)


リナの目論見通り、俺はソフィアとの会話に夢中だった。


「それにしても、ソフィアさんの『祝福』ってすごいですよね!

俺、剣なんて振ったことなかったのに、森に道ができちゃいましたもん!」


「あれは、ユウキの潜在能力が、私の祝福によって開花した結果ですよ」


「え、俺にそんな才能が!?」


「ええ、きっと」


(まあ、99.9%は剣の性能ですが)

と心の中で付け足しながらも、ソフィアは完璧な微笑みを崩さない。


俺たちが、落とし穴まであと数歩というところに差し掛かった、その時だった。


「にゃーん」


どこからともなく、一匹の黒猫が、

愛らしい声で鳴きながら俺の足元にすり寄ってきたのだ。


その人懐っこさに、俺は思わず足を止めた。


「おっと、猫か。可愛いなー、お前」


俺は、その場にしゃがみ込み、黒猫の喉を優しく撫でてやった。

猫は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしている。


(なっ……!? なんだあの猫! なんで今なんだよ!)


物陰で、リナがギリッと歯噛みした。

絶好のタイミングを邪魔され、焦りが募る。


まさに、その時だった。


「おーい、ブラウン隊長! どこに行ったんですかー!」


間延びした声と共に、提灯を持った二人の衛兵が、

俺たちが来た方向から現れた。


「まったく、隊長はすぐに見回りのルートを外れるんだから……ん? あっちの路地か?」


「みたいですね。行ってみましょう」


衛兵の一人が、何気なく俺たちのいる路地へと足を踏み入れた。

そして、俺が猫を撫でている、そのすぐ横を通り過ぎ――


ズボッ!


「ぎゃあああああああああっ!?」


鈍い音と共に、衛兵の上半身が忽然と姿を消した。

残された相棒の衛兵が、何が起こったか分からず、目を白黒させている。


「た、隊長!? どこ行ったんですか!?」


「ここだ、馬鹿者ぉぉぉ! 穴に落ちたんだよぉぉぉ!」


穴の底から、くぐもった怒声が響き渡る。

それを合図に、一帯は大騒ぎになった。


「うわ、なんだか騒がしいですね」


「ええ。何か事件でしょうか。私たちは、関わらない方が良さそうですね」


俺とソフィアは、何事もなかったかのように立ち上がり、悠々とその場を立ち去った。

黒猫は、役目を終えたかのように、一声「にゃー」と鳴いて闇に消えていった。


後に残されたのは、

穴に落ちた隊長と、パニックに陥る部下、そして――。


「……ありえない……。なんで……なんであいつが落ちないんだよぉぉぉぉ!」


物陰で、自分の完璧な計画が崩れ去った理不尽さに、

頭を抱えてプルプルと震える、一人の盗賊少女の姿だけだった。



第一次襲撃の無残な失敗から数時間後。


夜は更け、街の喧騒も次第に静まり返っていた。

二つの月が空高く昇り、銀色の光が石畳を濡れたように照らしている。


俺とソフィアは、宿泊所の自室へと続く、最後の角を曲がった。


(今度こそ……今度こそ、逃がさない……!)


その俺たちを、頭上の建物の屋根から、

リナが復讐の炎に燃える目で見下ろしていた。


落とし穴がダメなら、上から直接奪うまで。

シーフとしてのプライドをかけた、第二次襲撃の始まりだ。


彼女の手には、先端に鉤爪がついたロープが握られている。

これを静かに下ろし、俺の背負う伝説の剣の柄に引っ掛け、

一気に釣り上げるという、シンプルかつ大胆な作戦だ。


リナは猫のようなしなやかさで屋根の縁まで進み、慎重にロープを下ろし始めた。

鉤爪が、俺の頭上数メートルの位置で、ゆらゆらと揺れている。


(よし……あと少し……あと少しで……)


その、刹那だった。


俺は、ふと足を止め、空を見上げた。


「うわあ……。今日の月は、一段と綺麗ですね、ソフィアさん」


二つの月が、まるで寄り添うように夜空に浮かんでいる。

その幻想的な光景に、俺は素直な感想を口にした。


俺の言葉に、隣を歩いていたソフィアの肩が、ほんのわずかにピクリと震えた。


「…………ええ。そうですね」


彼女は、俺から視線を外し、同じように月を見上げた。

その完璧な横顔が、銀色の月光に照らされて、神々しいまでに美しい。


そして、その白い頬が、

気のせいか、ほんのりと桜色に染まっているように見えた。


(……月が、綺麗? それは、こちらの世界の言葉で、確か……)


女神として悠久の時を生きてきたソフィアの知識の海に、

かつて転生させたどこかの世界の住人が使っていた、とある言葉が浮かび上がる。


その意味を反芻し、彼女の心臓が、

トクン、と小さく、しかし確かに脈打った。


俺がロマンチックな気分で月を見上げ、

ソフィアが予期せぬ言葉に内心で動揺し、

二人揃って足を止めてしまったせいで、

リナの計画はまたしても狂った。


目標が動かないため、鉤爪が剣の柄にかからない。


(な、なんで止まるんだよ! さっさと歩け、この朴念仁!)


リナが屋根の上で焦っていると、その時。


ビューーーーーッ!


どこからともなく、突風が巻き起こった。

それは、まるで明確な意志を持っているかのように、

リナの垂らしたロープを弄び、鉤爪を大きく煽った。


「わっ、わわっ!?」


風に流された鉤爪は、目標の剣を大きく逸れ、あらぬ方向へと飛んでいく。

そして、ガッと鈍い音を立てて、

近くの民家の二階の窓辺に設置された、物干し竿にがっちりと引っかかってしまった。


「しまっ……!?」


リナが慌ててロープを引くが、鉤爪は物干し竿に深く食い込み、びくともしない。

そして、その鉤爪の先には、何かひらひらとした、巨大な布がぶら下がっていた。

それは、この家の主人のものと思われる、クマの絵がプリントされた、特大サイズのパンツだった。


「だ、誰だーっ! 俺の勝負パンツを盗むのはーっ!」


窓から、筋骨隆々の熊のような大男が顔を出し、怒声と共にリナを指差した。


「ど、泥棒ーっ!

女物の下着ならまだしも、おっさんのパンツを盗むとは、とんでもねえ性癖の奴だーっ!」


「ち、違う! これは事故で……!」


リナの言い訳も虚しく、大男は「待てー!」と叫びながら家から飛び出してくる。

完全に、パンツ専門の変態泥棒と勘違いされてしまった。


「ああもう、なんで私がこんな目にぃぃぃぃ!」


リナは半泣きになりながら、ロープを無理やり引きちぎった。

結局、手元には何も残らず、彼女はパンツ泥棒の濡れ衣を着せられたまま、

屋根から屋根へと飛び移り、夜の闇へと逃走していくしかなかった。


「……また、騒がしくなりましたね」


「本当ですね。この街は、夜も賑やかだ」


俺とソフィアは、

またしても元凶が自分たちの『祝福』にあるとは露知らず、

のんびりとした感想を交わしながら、今度こそ宿泊所へと帰っていったのだった。



翌朝。

アルカディアの街の中央広場は、朝市で活気に満ち溢れていた。


色とりどりの野菜や果物を並べた露店、

香ばしい匂いを漂わせるパン屋、

怪しげな薬を売る行商人。


様々な人々の声が混じり合い、エネルギッシュなざわめきを生み出している。


度重なる失敗で、もはや後がなくなったリナは、最後の手段に打って出ていた。


(こうなったら、もう直接行くしかない!)

(あの姉ちゃんがいない隙を狙って、あいつにぶつかって、懐に潜り込んで、一瞬で奪う!)


彼女は、建物の影から、

広場の噴水前でソフィアと話している俺の姿を、鋭い目つきで観察していた。


「――というわけで、ソフィアさん。

今日の依頼は、この『街の猫探し』にしようと思うんです!」


「まあ、平和でいい依頼ですね。承知しました」


ソフィアが依頼書を受け取りにギルドへ向かうため、その場を離れた。


(よし、今だ!)


リナは、ここぞとばかりに物陰から飛び出した。

狙いはただ一点、俺、佐藤ユウキ!


可憐な少女を装い、わざとらしく「きゃっ!」と叫びながら俺にぶつかる。

そして、転んだフリをして同情を誘い、

心配して近づいてきたところを、懐に隠したスリ用のナイフで、

剣を体に固定している革ベルトを切断する、という完璧な筋書きだ。


リナが、獲物に向かうチーターのような速さで、

俺に向かって走り出した、まさにその時だった。


ガラガラガッシャーン!!


突如、市場の一角で、果物を山積みにした荷車が暴走を始めたのだ。

車輪を固定していた留め具が、

まるで示し合わせたかのように、都合よくポロリと外れたのである。


坂道を下る荷車は、みるみる加速し、その進路上には――リナがいた。


「えっ、ちょっ、うそ!?」


あまりのタイミングの悪さに、リナは悲鳴を上げる。

その、リナの体が荷車に撥ね飛ばされる寸前。


「危ないっ!」


俺は、考えるより先に体が動いていた。

リナの細い腕を掴んでぐいっと引き寄せ、自分の背後にかばう。


そして、猛スピードで迫り来る荷車を、正面から両手で受け止めた。

ゴッ! という鈍い衝撃音。


しかし、荷車は、まるで巨大な壁にでもぶつかったかのように、その場でピタリと停止した。

俺の体はびくともしない。


ソフィアの『祝福』が、俺の筋力を一時的に超人レベルまで引き上げていたのだ。


「(な、なんか……カッコイイかも……)」


俺の背中に守られる形になったリナは、

その頼もしい背中と、荷車を軽々と止めた規格外のパワーに、

思わず胸をときめкаせてしまった。


「(い、いやいやいや! 私はこいつのお宝を狙ってるんであって!)」


リナはぶんぶんと頭を振って邪念を打ち消した。


荷車から散らばったリンゴが、コロコロと広場の石畳を転がっていく。

俺は、リナに向き直り、優しく微笑んだ。


「大丈夫だったかい? 怪我はない?」


その、太陽のように明るく、一点の曇りもない純粋な笑顔に、

リナの心臓が、またしてもドキリと跳ねた。

罪悪感が、チクリと胸を刺す。


(……くっ、でも、ここで引くわけにはいかないんだ!)


リナは、意を決した。

俺が果物屋の主人に謝っている、その隙に。


懐からスリ用のナイフを取り出し、

俺の背中にある、剣を固定している革ベルトに、その刃を当てようとした。


「あ、そうだ!」


俺が、何かを思い出したように、唐突にくるりと振り返った。


「え?」


その、俺の予期せぬ動きに、リナの手からナイフがすっぽ抜けた。

銀色の刃が、宙を舞う。


スローモーションのように、ナイフはくるくると美しく回転しながら、

重力に従って落下していき――


プスッ。


「…………へ?」


舞い落ちたナイフの切っ先は、寸分の狂いもなく、

リナが被っているボロボロのフードの先端を、

真下の石畳の隙間に突き刺して、完璧に縫い付けてしまった。


リナは、首を傾げようとしても、頭を動かそうとしても、

フードが地面に固定されているため、全く身動きが取れなくなっていた。


「あれ? どうかしたの? そんなところで固まっちゃって」


不思議そうに首を傾げる俺。


「……」


自分のドジと、相手のありえない幸運が重なった、

あまりにも情けない結末に、リナはついに観念した。


「……私が、悪かったです……」


蚊の鳴くような声で、彼女は白状した。



「へー、そっかー。俺の剣を盗もうとしてたんだ」


広場の噴水の縁に腰掛け、俺はリナの話を聞いていた。


観念したリナは、

これまでの襲撃がすべて自分の仕業であったことを、洗いざらい白状した。


俺は別に怒る気にもなれず、

むしろその計画性のなさと、あまりの運の悪さに、少し同情すら覚えていた。


「だって、あんなすげえお宝、あんたみたいなのが持ってたら、狙われるに決まってんだろ!」


開き直ったように、リナが叫ぶ。


「まあ、そうかもなあ」


「そうなんだよ! 私は、生きるためにやってるんだ!

孤児で、金もなくて、盗みをしなきゃ、明日食べるパンも買えないんだから!」


涙目で訴えるリナの腹が、その時、

ぐぅぅぅ、と盛大な音を立てた。


気まずい沈黙。

リナの顔が、リンゴのように真っ赤に染まる。


俺は、ふっと笑うと、懐から紙袋を取り出した。

昨日、なけなしの銅貨で買った、少し硬くなったパンだ。


「ほらよ。腹、減ってるんだろ?」


「……え?」


「いいから、食えよ」


差し出されたパンを、リナは呆然と見つめている。

怒られるでもなく、衛兵に突き出されるでもなく、ただ、パンを与えられた。


そのことが、彼女には信じられなかった。


おずおずとパンを受け取り、小さな口でかじりつく。

パサパサで、味も素っ気もないパンのはずなのに、

なぜか、涙が滲んで、しょっぱい味がした。


「……うっ……ひっく……」


「なんだよ、泣くなよ。パンが不味かったか?」


「ちが……う……ばか……」


リナは、しゃくりあげながら、必死にパンを喉の奥へと押し込んだ。

その時、ギルドから戻ってきたソフィアが、俺たちの元へやってきた。


「ユウキ、依頼の受理は済みま……あら?」


彼女は、俺の隣で泣きながらパンを食べている、

見すぼらしい少女を一瞥し、状況を瞬時に理解したようだった。


「じゃあ、リナ! お前も俺たちと一緒に来いよ!」


俺は、名案を思いついたとばかりに、リナの肩を叩いた。


「仲間になれば、みんなで依頼をこなして稼げるだろ?

そうすりゃ、もう盗みなんてしなくていい!」


「え……な、仲間……?」


「おう! 俺と、ソフィアさんと、リナ! 三人パーティだ! どうだ、いいだろ?」


俺は、ニカッと笑った。

何の裏もない、太陽のような笑顔。


その笑顔に、リナの心の中の、

固く凍っていた何かが、ポロポロと溶けていくのを感じた。


「……うん……」


小さく頷いたリナの瞳から、また大粒の涙がこぼれ落ちた。

そして、彼女は俺の腕に、ぎゅっとしがみついてきた。


「ユウキィ……!」


「よしよし。これからは、俺が守ってやるからな!」


そんな、心温まる光景。

それを、ソフィアは、完璧な微笑みを浮かべて、ただ、じっと見ていた。


だが、その微笑みは、いつもと何かが違っていた。


口角は完璧なカーブを描いているにもかかわらず、

その深く澄んだ青い瞳の奥には、温度のない氷のような光が宿っていた。


ユウキと、彼にまとわりつく小汚い少女に向ける笑顔が、

いつもより、コンマ数ミリほど、引きつっているように見えた。


広場の爽やかな風が、

なぜか彼女の周りだけ、ひやりと冷たくなったような気がした。


「……仲間が、増えたのですね。

それは、本当に……よかったですね、ユウキ」


ソフィアが紡いだ祝福の言葉。


しかし、その声は、いつもの慈愛に満ちた天上の響きとは、

ほんの少しだけ違う、どこまでも平坦で、感情の乗らない音色をしていた。


女神の心に芽生えた、初めての黒い染み。

それは、本人すらまだ自覚していない、

ちっぽけで、しかし確かな『嫉妬』という名の、人間らしい感情の種だった。

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