第十三章|Zərf起動と敵性干渉
無機質な天井の明かりが、人工的な昼を静かに照らしていた。
日付は変わっていたが、部屋の空気は時間の流れを拒絶しているかのように均質だった。
葉月は、椅子の背にもたれたまま、前方に浮かぶ半透明のパネルを見つめていた。
《ZƏRF訓練モード/第二段階・起動可》と表示されたその画面は、まるで感情のない生物のように、静かに瞬いていた。
昨日、いや、もしかすると数時間前――オスカーと交わした対話が、まだ胸に残っていた。
緊急通報。ただし音声ではなく、意識を使う。
“助けて”と念じるだけで届く、それがZərf。
あまりに荒唐無稽な理屈なのに、説明されたとき、なぜかしっくりと来てしまった。
(練習だけ……本番じゃない。ほんのちょっと、やってみるだけ)
彼女は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
思考を静める。恐怖や混乱ではなく、ただ――集中。
「……助けて」
その言葉を、心の奥でそっと念じた瞬間、
パネルが静かに波打ち、青い閃光が一瞬、部屋全体に広がった。
すぐにドアが開き、オスカーがほとんど滑るようにして現れた。
「何が起きた――」
葉月は飛び上がりそうになりながら、慌てて立ち上がった。
「あ、ちがっ……! その、練習、っていうか……」
オスカーは彼女の様子を一瞥し、次いで浮遊パネルを確認する。
表示されたログと反応時間を見て、彼はわずかに肩を落とした。
「……模擬通報か。心拍上昇なし、脳波変調軽度……反応としては良好だ」
「ご、ごめん、なんか……ちょっと、どんな感じか確かめたくて」
「それでいい。
Zərfは使って覚えるものだ。ただし、次からは事前に言っておくこと」
オスカーは言葉を置いてから、静かに扉のほうへ向かった。
葉月がうなずくと、彼はもう一度だけ後ろを振り返る。
「練習でも、反応は必ず記録される。
……それだけは覚えておけ」
そのまま、音もなく彼は姿を消した。
再び部屋に、静寂が戻る。
葉月は深く息を吐き、ソファに身体を預けた。
(なんか、思ったよりも……ちゃんと動いた。
でも本当に、危ない時にも、こんなふうに反応してくれるのかな……)
その時だった。
何の前触れもなく、視界の端が歪んだ。
モニターではない。
壁でも、床でも、天井でもなく――自分の内側。
頭の中に、“異物”が滑り込んでくる。
(……なに……?)
まぶたを閉じた瞬間、葉月の脳裏に、映像が流れ込んできた。
そこには“地面”も“空”も存在しなかった。
ただ、膨大な数の黒衣の影が、螺旋状の石階段を無言で昇っていた。
彼らの顔はなかった。
それなのに、“自分が視られている”という感覚だけが、全身を貫いた。
階段の頂点――巨大な石板の前に、ひとつの《座》が存在する。
そこに座すものは、何重もの布で覆われており、目も口も見えない。
そして――それは、葉月の視界の隅に存在していた。
まるで現実にそこに“いる”かのように、部屋の隅に佇んでいた。
ただ、その“存在”が葉月に向かって囁いた。
「その肉を渡せ。記録に刻まれるより前に。
我が主は視た。ならば、回収は我らの義務だ」
葉月は息を吸うこともできなかった。
身体が硬直し、視界が真っ暗になったかと思えば、映像が再び強制的に流れる。
信者たちが地を這い、炎に焼かれ、何かを差し出している。
その“何か”が、明らかに――自分自身の顔であると、直感した。
「……っ、いや、やだ、やだやだっ!!」
次の瞬間、Zərfが再び反応した。
《ZƏRF:緊急通報反応を確認/意識同期率:43%》
白い光が一瞬、爆ぜるように部屋を満たした。
直後、扉が吹き飛ぶように開き、オスカーが全速で駆け込んできた。
「干渉か……!」
オスカーは手元の端末を強く操作しながら、葉月に声を飛ばす。
「目を閉じろ! 何も見ようとするな、耳も塞げ!」
葉月は必死で頭を抱える。
だが、あの映像は目からではなく、意識の奥底から侵食してくる。
オスカーは腰元から小型の黒い装置を抜き出し、天井を見上げた。
その目は、見えない誰かに向けられたように鋭く冷ややかだった。
「……観測域管理中枢、干渉を確認しているはずだ。
遮断措置『GRAVE-0』を起動する。これは私の権限だ」
そのまま装置を天井へと放り投げる。
空中で回転した黒い筐体は、静かに展開し、数秒後――
赤い光のネットワークが一瞬だけ部屋全体に閃光のように広がった。
――沈黙。
映像も、囁きも、すべてが消え去っていた。
葉月はソファにうずくまり、全身で呼吸を繰り返していた。
オスカーはしばらく無言で彼女の様子を見守ったのち、静かに装置を回収する。
「……干渉を排除した。大丈夫か?」
葉月は、震える指先で顔を覆ったまま、小さくうなずいた。
彼女の心には、まだ消えぬ“視線”の記憶が残っていた。
あれは幻ではない。
そして、間違いなく――“あちら側”は、こちらを知っている。
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