第三十二話
しばらく混乱のざわめきで満ちていた外廷だったが、時間をおいて大夫たちも状況を飲みこんでいく。その落ち着きを見計らって、皇后が涼やかな声をあげた。
「もう一つ、主上に提言したきことがございます」
男ばかりの外廷には似合わない、その凛とした声音は、皇帝の響きとよく似ていた。
「申してみよ」
丞相を通さず、皇帝は温かみのある声で発言を許す。
皇后はすっと息を吸ってから、意思のこもった音で述べあげた。
「第四側室・芳妃が子、俊麗を――皇后である私の養子として、迎え入れたく存じます」
再び、大夫たちの驚愕で息を呑む音が響く。皇后、そして事前に「お願い」をされた俊麗の瞳は、透き通った色で先を見つめていた。
「主上の実子にして、民に人気のある芳妃の子です。後ろ盾として、これほど最適な者はいないでしょう」
そうつけ加える皇后に反して、大夫は口々好きなように囁きをこぼす。
「であれば、他の皇子様方でもよいのでは?」
「俊麗様は、その、口がきけないではありませんか」
そう言った大夫の言葉を皇后は聞き逃さず、真っ直ぐに見返して問う。
「では、それが虚偽であれば?」
「口がきけるのであれば……」
「そ、それならば……」
皇后の貫くような大きな瞳に捉えられ、大夫は言葉尻をすぼめて前言を撤回する。それでもなお、問題点を挙げる者や危ぶむ声は広がったまま。話すことができず、いつも笑っているだけの俊麗を危惧する声が次第に大きくなる。
「俊麗」
皇帝が静かに俊麗を呼ぶ。俊麗は混じり気なく射抜くように皇帝を見つめた。
「皇帝になったとき、そなたはどうする」
その曖昧な問いに、正解らしい答えはないだろう。
俊麗は口を開くことなく、一度目を閉じた。
すぐに言葉が出てこないことから、周囲に落胆の空気が流れる。薄ら笑いを浮かべる者もいた。期待のされない空間に、俊麗は真っ直ぐとした燈国の色を向けた。
「燈国の政策を担う皆様に、諌言いたすことをお許しいただけますか」
その伸びやかな発声は、皇族の持つ重みと同じだった。口がきけないと噂される俊麗が発した透き通った声に、大夫たちは騒然とする。それに紛れるように、けれどはっきりと皇帝は応える。
「許す。申してみよ」
皇帝から許可が出ると、俊麗は再び目を閉じ、そして力強い眼差しとともに言葉を発した。
「まず、下町を中心に出回る違法薬の横行について。朱一族が暗躍していたとの情報がありますが、これらを即刻、取り締まるべきと存じます。これら違法薬は民の生活をひっ迫させます。民を救うために迅速な対応を。違法薬の回収を主に、売買していた者に重い罰を課す法を、新たに制定する必要も出てくるかと」
唖然とする周囲を置いて、俊麗は息を吐かぬ勢いで続ける。
「次に、水路の整備の徹底化についてですが。綺麗な水が飲めないばかりに、貧民集落では常に病が流行しております。不衛生な水の影響で、五年前には帝都近くにまで流行り病が蔓延しておりましたことは、皆様ももちろんご存知ですね」
国交部上大夫と産業部上大夫は揃って顔を背ける。彼らを重点的に責めたわけではなかったが、俊麗の鋭い視線から逃れたくて溜まらないと言わんばかりである。
「国交部には保全整備を行っていただきたい。加えて、北部の河川の氾濫。これらの対策が毎年先延ばしにされている件について、異論はございますか」
問いに対して、誰一人答えることはできない。俊麗はそれを受けた上で、改善策を提案する。
「これにおいては失業の問題を抱える者たちを一時派遣し、実績に応じて報酬を支払う形はいかがかと。国交部は、人事部と財政部と協力の下、この問題を速やかに片づけるべきです」
代表がいなくなった人事部の空間の隣で、財政部上大夫は俊麗への認識を改め、尊敬の眼差しで見つめる。
「次に――」
「まだあるのですか⁉」
体格が他の者より一回り大きい兵衛部上大夫が声を荒げる。それにつとめて冷静然と俊麗は返す。
「まだあるのかとおっしゃいますが、これらはやっていて当然の政策。あなた方の怠慢であることをご自覚ください」
「何を⁉」
額に血管を浮き上がらせ、顔を真っ赤にした男を、俊麗は冷たく鋭利な瞳で見返す。男は二の句を継げなくなり、悔しげに唇を震わせる。
「俊麗、続けなさい」
皇帝は俊麗を促す。大夫たちの動揺を無視して、俊麗は変わらぬ勢いで話を続けた。
「政において女性の存在は御法度。重々承知しております。しかし、それはなぜでしょうか」
俊麗に見つめられた対外部下大夫は、おずおずと答える。
「女性が政治に口を出したために、国が傾いた歴史があるからです」
「その背景も存じております。しかし、私は何度調べても思うのです。それは一個人の女性の話であって、すべての女性に当てはまることではありません。男性の中にも有能無能がいるように、女性もまた同じでございます。それに、たった一人のせいで国が傾くというのは、その周囲にいる男もまた同罪ではないでしょうか」
そう言われてみれば確かにおかしいと、この場にいる何人が思考しただろう。俊麗はその様子を目に入れ、記憶しながら口を動かし続ける。
「例えば、第七側室であらせられる修妃様は、大変優秀でいらっしゃいます。学問において、修妃様ほど聡明な方がいったいどれほどおりますでしょう。政への女性の登用、同時に女性軽視という差別問題について提議していきたく存じます」
差別問題について全く意識をしていなかった男たちは、食いつくように俊麗の声に耳を研ぎ澄ませた。
俊麗は続けて、対外部には峠の関税、輸出問題について指摘する。観光業にまで話が広がると、外交部上大夫の顔は真っ青を通り越して真っ白へと変わった。
口は止まることを知らず、そのあとも〈十部〉すべての問題点を述べ上げていく。俊麗の滑らかな声は、誰にも邪魔されることなく、目につく穴すべてに容赦なく突き刺していった。
「私が帝位に就いたとき、これらの見直し、改善をいたします。〈十部〉の皆々様には政策改心のための協力を願いたく、私が傍若無人な振る舞いをした際には、諫めていただきたく存じます。そうして、よりよい燈国の明日を築いていきたい。私は、燈国の民に、明るい未来を約束いたします」
そうまとめて、俊麗は口を閉じた。
途中から、俊麗を次代皇帝と認めないという者は誰一人いなかった。俊麗の中にある膨大な知識量を元にした、未来を見通した判断力と柔軟な思考力。そして、俊麗は最も重要である、絶対的な皇帝の威厳を兼ね備えている。
俊麗以上の皇帝の器が、はたして今代にいるだろうか。その場にいる誰もが、俊麗が次代皇帝になることを疑わなかった。
皇帝は凛々しい顔で左右を見渡す。
「このときをもって、俊麗を皇后の養子に認める。――皆、異論はないな」
「はっ‼ 異論などございませぬ‼」
重臣である財務部上大夫が大きな声で宣言し、外廷を響かせるほどの一斉の唱和が続いた。
この日、遠くない未来で「最も民に愛された賢帝」と呼ばれることになる俊麗が、〈十部〉の大夫すべてに存在を認められたのだった。
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