第7話 申し送り

 登校の時間にアシュリーとカインが同じ馬車に乗り込むと、見送りにきたマーシャスがカインを指さした。


「いいか、カイン。オレがいないからって、興味本位に妹の身体とか触るんじゃねぇぞ!」

「あー、はいはい。シスコンはさっさと仕事に行きな」

「行ってくるね、お兄ちゃん」


 馬車が発車し、カインはため息を漏らしながら背もたれに寄りかかる。


「シスコンの兄を持つと大変だね」

「普段はいいお兄ちゃんなんですけど……それより、これから学園でどんな風に過ごせばいいでしょうか? カインは王子様のお友達というか、教育係なんですよね?」


 家族はともかく、アシュリーは王族とほとんど接点がない。

 幼い頃に国王と王妃、第一王女と第二王子に軽く挨拶をした程度。第三王子に関しては、会話すらしたことがなかった。


「普段の会話とかどんな風に接してるとか。挨拶の仕方とか……!」

「あー、そうだなぁ……普段は王族関係者専用の談話室で過ごしてることが多いかな? 一部授業以外はほぼ一緒に行動してる感じ。挨拶や会話はこう、友達っぽく気軽に……今みたいな敬語で問題ないかな? 普段は殿下呼び。他の二人は呼び捨てでね」


 言葉遣いに不安があったアシュリーは安堵を漏らした。


「そうなんだ。教育係として何かした方がいいことは? あと、護衛的なことも必要ですか? 私はできても壁になるくらいしかできませんが……」

「あははっ! そんなことはしなくていいよ。護衛役はちゃんと別にいるからね。今は指輪が外れるまで教育係の任も外されてるから、オレの役目は可愛いお姫様達に笑顔を振り撒くだけ。簡単でしょ?」


 彼はアシュリーの顔でばちんとウィンクを決める。自分の顔なのに、やけに様になっていた。


「が、頑張ります……」

「そんなに緊張しなくても……そうだ、試しに笑ってみなよ。自慢じゃないけど、オレの顔は国宝級と自負してるからね。軽く笑うくらいで女の子なんてノックアウトだよ」


 ものすごい自信だ。しかし、実際に彼のファンサービスで倒れている人がいるのは事実である。


「ほら、練習練習」


 お手本のつもりか、アシュリーの顔でにっこり笑うカイン。

 その笑顔は自分のものとは思えないほど綺麗だ。表情の作り方にコツでもあるのだろうか。

 ひとまず、学園での彼の顔を思い出して笑顔を作ってみた。


「こ、こうかな……」


 目を細めて口端を持ち上げるようにして笑ってみると、カインは驚いたように手を叩いた。


「いいじゃん。オレは感動したよ」

「ほ、本当ですか?」


 自信はなかったがこれで本当良かったのだろうか。

 アシュリーが恐る恐る訊ねてみると、彼は満足気に頷いた。


「うん。国宝級の顔面でもブサイク面が作れるんだね。一種の可能性すら感じる」

「ブサッ……⁉」


 ひどい物言いに言葉を失うと、彼は声を抑えるように笑う。


「冗談だよ。まあ、無理に笑わなくても大丈夫。他に頼みたいことは……」


 カインは唸るように考えた後、ぽんと手の平を叩いた。


「ああ! 『昨日はよくも変なもん拾って来たな、バカ王子』ってケツを蹴っ飛ばしておいて」

「冗談でしょ⁉」


 明らかにお使い感覚で頼むものではない。気の荒い姉すら王族に対してそんな扱い方はしないのだ。

 彼の素を知っていてもさすがに信じられない頼みだ。


「え? 冗談じゃないよ? 蹴るのが無理なら肩パンでもいいし」

「で、できませんよ、そんなこと!」

「ああ、そっか。女の子だもんね、アシュリーは」

「相手が王族だからですよ! 不敬罪どころか普通に暴行!」


 いくら仲がいいとはいえ、小突き合いの域を超えている。それにアシュリーは相手を殴ったこともないのだ。


 カインは「大袈裟だな……」と言いながら苦笑する。


「仕方がない。アシュリーに免じて許してやろう。アシュリーはどんな風に過ごしてるの? 友達は?」


 カインの問いに、アシュリーは言葉を詰まらせた。


 学園に入学して早二か月。アシュリーには友達は一人もいない。

 ニーナに目を付けられた以降、アシュリーが声をかけようとしてもやんわり距離を取られてしまうのだ。


「い、いないんです。魔導具開発で引きこもっていたのもあって、お茶会にも参加したことがなかったので……」


 友達がいないことに笑われてしまうだろうか。アシュリーがそっとカインに目を向けると、彼は「なるほどね」と自分の髪先を指で弄んでいた。


「じゃあ、自由時間だと思って好きに過ごしてるよ。一人の時間なんて滅多に取れないし、満喫しよう~」


 彼はご機嫌にそう言ったのを見て、アシュリーは重要なことを思い出す。


「あ、でも! ニーナって子には気を付けてください!」

「ニーナ?」

「ニーナ・ヴァレンタインっていう伯爵家の子で……なんか、知らない間に目を付けられちゃって……」


 階段の踊り場で押された時の光景が、アシュリーの中でフラッシュバックする。


 あれ以来、彼女から何もされていないが、今後何もしてこないとは限らない。

 カインなら上手くニーナをあしらうかもしれないが、念のため伝えておいた方がいいだろう。


「声をかけられたら、無視してでも逃げていいので……」

「ふーん…………ニーナ・ヴァレンタイン……ニーナ・ヴァレンタイン……ね」


 彼はニーナの名前を返しながら呟いた後、にっこり笑った。


「よし、分かった! 任せろ!」

(なんだろう……この笑顔がすっごく不安!)


 彼の素顔を知った今、彼の笑顔がアシュリーの不安を煽る。



(神様仏様ニーナ様! 今だけは! 今だけは何もしてこないで!)



 ここにはいないニーナに向かって、アシュリーは心の中でそう強く祈るのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る