お姉ちゃん極めたら、双子の義弟に溺愛されました。

五平

第1話:”家族”でいられなくなる春

春って、好き。空気が少しだけ、

甘くなるから。


鈴木花の指先が、窓辺のコップに

活けた桜の花びらにそっと触れた。

きらきらと反射する朝の光が、

透明な水面で揺れている。それは、

新学期が始まり、すべてが新しく

動き出すような、甘く、けれど

どこか切ない季節の訪れを告げていた。

今年、私は高校二年生。久しぶりの

教室、知らないクラスメイト。誰の

隣に座るんだろうって、スカートの

裾を握りしめてた。食卓には、いつもの

ように三個の湯気が立つ。幼い頃から、

この温かい食卓が、私たちの日常だった。

ごく普通の私と、二人の眩しすぎる義弟。

その風景は、この十年、一度も

変わったことがなかった。


キッチンで皿を並べ終えたその時、

ドタドタと賑やかな足音が階段を

駆け下りてくる。


律だった。私、鈴木花より一つ下の

義理の弟。高校一年生になった私と

違って、彼はまだ高校一年生。少し

寝癖のついた明るい髪を揺らしながら、

太陽みたいに無邪気な笑顔を向けてくる。

律は昔から甘え上手で、私にはすぐに

懐いた。小学校に上がったばかりの頃、

嫌いな卵焼きをこっそり私の皿に

乗せてきたっけ。あの律が、今じゃ

「愛だよね!」なんて言いながら、

私の作った卵焼きを嬉しそうに頬張るのだ。

——そんな、十年。その勢いのまま、

律が私の後ろにぴょこんと立ち、

エプロンのリボンに手を伸ばし、

不器用に結ぼうと奮闘する。


「だから走んなって、バカ律……」


律の後ろから、ゆっくりと現れたのは、

もう一人の義理の弟、悠。律とは双子

なのに、性格は正反対。いつもクールで、

どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。

真っ白なシャツの襟元を、指先で器用に

整えながら、悠はちらりとこちらを見た。

その視線が、私の視線と、ほんの一瞬だけ

絡み合う。


その瞬間、ふ、と呼吸が止まった。

ドクン、と心臓が大きく、けれど

不規則なリズムで跳ねた。まるで、

身体の奥底にずっと眠っていた何かが、

静かに、けれど確実に、目覚めの音を

立てたような。


(あれ? なんで、こんなに……綺麗だって

思ったんだろ)


悠の目は、昔から変わらない、

吸い込まれそうなほどクールな黒。

だけど、今日のその瞳は、朝の光を宿して、

なぜか今まで見たことのないような輝きを

放っているように見えた。その奥に、

微かな、けれど確かな光を感じて、

私の頬が、じんわりと熱くなる。


「……なんだよ、見すぎ」


悠が小さく眉をひそめて、ぶっきらぼうに

呟いたあと、彼はほんの一瞬、目を逸らした。

そして、シャツの袖をきゅっと引き直す。

その仕草は、どこかぎこちなくて——

私だけが、彼の中に生まれた、さざ波のような

心の揺れを感じ取った気がした。

その仕草に、私の胸はさらに高鳴る。


「み、見てないし!」


思わず反論する声が、上ずって聞こえた。

悠はそんな私の様子を一瞥すると、

小さく鼻で笑った。いつもの、私を

からかう時の仕草だ。いつもと同じはず

なのに、ふとした声、ちょっとした仕草——

そのすべてが、今日だけは、全く別の意味を

持って私の心を揺らしているように感じられた。


十年一緒にいて、初めての揺らぎ。

当たり前の毎日が、少しだけ眩しくなる春。

このドキドキは、私のものなの?

それとも、春のいたずら?

私は、ただの“お姉ちゃん”じゃなく

なってしまうの?


「花姉、ぼーっとしてると朝ごはん冷めちゃうよ?

俺もう食べ始めちゃったけど!」


律の元気な声にはっと我に返る。

悠もすでに席に着き、静かに朝食を口にしている。

私たちは食卓につき、いつものように律が

今日の予定や友達との出来事をマシンガントークし、

悠がそれを冷静に、時に皮肉を交えながら訂正する。

その光景は、十年変わらない、私たち家族の日常だ。

温かくて、穏やかで、私にとって何よりも大切な場所。


(そう、家族……)


そう自分に言い聞かせた途端、胸の奥が、

ちくりと痛んだ。

この、胸のざわつきを感じたのは、

きっとこれが初めてじゃない。

そう、これは——過去に、必死で蓋をして、

心の奥底に押し込めた感情だった。


——あれは、中学二年生の、秋だった。

中間テストが終わって、悠と律と三人で、

近所の公園でバドミントンをしていた日のことだ。

律がシャトルを取りに走っていった、

ほんの短い隙のことだった。

休憩がてらベンチに座っていた私の横に、

悠がふと、立った。彼は無言で、

私の肩にかかった落ち葉を払うように、

そっと手を伸ばしてきた。


「……お前、髪、伸びたな」


何の変哲もない、ただの一言だった。

でも、その指先が、私の肩からスルスルと滑り落ち、

私の頬に微かに掠めた、その時。

ゾワリ、と背筋に電流が走ったような、

不思議な感覚に襲われた。悠の指先は、ひどく熱くて、

それが私の肌に触れた、ほんのわずかな時間、

世界の音が消え去ったように感じられた。

息を呑むことも忘れ、私はただ、

目の前の悠の横顔を見上げていた。


その時の私は、あまりのことに、言葉も出なかった。

心臓が、耳元でドクドクと鳴り響いている。

悠は、そんな私の顔を見て、なぜか少しだけ、

眉をひそめた。


「……お前、そういう顔、すんな」


そう言って、すぐに手を離した悠。

彼の顔はいつも通りクールで、何の感情も

読み取れなかったけれど、私だけが、

あの時の胸のざわつきを、今でも鮮明に

覚えている。

その夜、私は布団の中で、自分の心臓の音を

必死で抑え込んだ。

「これは家族だからだ。兄弟だから、

ちょっとドキッとしただけだ」

何度も何度も、そう言い聞かせた。まるで、

その感情を心の中に深く、深く埋葬するように。

そうやって、必死に、心の奥底に押し込めた

感情だったのに。


(なんで、今になって……こんなにも鮮明に、

蘇るの?)


春の空気は、暖かくて、柔らかくて、

けれど容赦なく、心の奥まで忍び込んでくる。

十年越しの、解き放たれてしまった感情の芽。

それは、もう“家族”という言葉では、

ごまかせない予感がした。


この気持ちは、どこへ向かうのだろう。

——もし、もう“家族”ではいられなくなったとしたら。

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