偽名の勇者、実は全職業をマスターしてました 〜世界の裏で転職無双〜
御歳 逢生
プロローグ 消された勇者と芽生える異能
煌めく光が視界を埋め尽くし、全身を温かい、それでいて抗いがたい力が包み込んだ。
それは、まるで目に見えない巨大な手に優しく、しかし確かな力で引き上げられるような感覚。
光の膜を破った瞬間に耳朶へ届いたのは、地鳴りのような歓声と、胸を震わせる壮大な音楽だった。
俺、レオナール・グレイスは、その眩い光の中心でゆっくりと目を開けた。
目の前には、絵画か、それとも夢かと思うほどに荘厳な空間が広がっていた。
高くそびえる柱には精緻な彫刻が施され、天井には七色のステンドグラスが陽光を浴びて輝いている。
豪華絢爛な装飾、高々と掲げられた各国の旗が、この場所がただならぬ重要性を持つことを物語っていた。
そして何よりも、俺を見上げ、熱狂する無数の民衆。
彼らの顔は期待と興奮に紅潮し、その視線は一斉に俺へと注がれていた。
玉座の間の中央に、威厳に満ちた王が座している。
その隣には、銀の髪を美しく結い上げ、深紅の宰相服を纏った男が控えていた。
その男こそ、エルゼ・ヴァルトラウド。
冷徹で有能と噂される若き宰相だ。
「おお、勇者様! 我らが希望、レオナール・グレイス殿!」
エルゼ宰相が朗々と声を発し、民衆の熱狂は頂点に達した。
王国の宰相が、この世界の統治を司るエルゼが、俺を勇者として迎え入れる演説を始める。
王国の民は「勇者様!」「我らの光!」と叫び、その声は熱気を帯びて巨大な渦となっていく。
その渦の中心にいるのが自分だという事実に、俺は戸惑いながらも、どこか高揚感を覚えていた。
現代の、ただの大学生だった俺が、本当にこの世界の「勇者」として招かれたのだと、この時はまだ純粋に信じていたのだ。
彼らの期待に応えたい、この世界を救ってみたい、漠然とではあるが、そんな思いが胸に芽生え始めていた。
しかし、その高揚は長くは続かなかった。
──玉座の間に、断罪の声が響いた。
「レオナール・グレイス。貴殿の召喚は、正式に無効とする。」
その声は、玉座の間に響き渡り、まるで真空に吸い込まれるかのように、すべての歓声を消し去った。
広間に集った文官や騎士たちが、一斉にどよめく。
王国のアルデナスが代々受け継ぐ勇者召喚の儀。
神託に従い、異世界より選ばれた勇者を呼び出す──はずだった。
だが俺は、呼び出されたその日に勇者の座を剥奪された。
「待ってくれ。俺は神託を受けて、召喚されたはずだ。何かの間違いじゃ。」
声を絞り出すが、王の表情は変わらない。
重厚な王冠の下で、歳を重ねたその瞳は俺の存在をまるで見ていなかった。
その冷たい視線に、背筋が凍る。
「神託が指し示したのは勇者に値する魂ではあろう。だが……。」
言葉を継いだのは、王の隣に控える宰相エルゼ・ヴァルトラウドだった。
銀縁の眼鏡をかけた長身痩躯の彼が、一枚の羊皮紙を掲げた。
「スキル欄──【
ざわ……と、玉座の間が揺れる。
俺の能力が、この場で晒されたのだ。
それは、この世界に召喚された時に、俺のステータスに表示されていた唯一のスキルだった。
その視線の多くは、俺を軽蔑と失望をもって見つめていた。
まるで、「なんだそのゴミスキルは」「期待外れだ」とでも言いたげに。
「だからといって、追放する理由にはならないだろ!? 俺は望まれて呼ばれたんだ!」
叫びは虚しく空気に溶けた。俺の言葉は、誰にも届いていない。
その時、ひとり、騎士がゆっくりと前に出る。腰に手を添えたその手が、剣の柄を握っていた。
(……まさか、処分まで?)
全身を汗が伝う。
喉がカラカラに乾く。
この場が、見せしめの処刑場であってもおかしくないほどの、重い緊張が張り詰めていた。
心臓が、耳元で激しく鼓動を打つ。
「安心せよ。命までは取らぬ。ただし。」
宰相が人差し指を立てた。
その言葉に、わずかな安堵が胸をよぎるが、次の言葉がそれを打ち砕いた。
「レオナール・グレイスの名は、王国の記録から抹消される。召喚そのものがなかったことになる。以後、貴殿は〈リオ〉という名で、自由に生きよ。ただしこの国の庇護は一切与えられない。」
淡々と告げられた温情。
だがそれは、存在の否定だった。
勇者としての未来を奪われ、記録から消され、誰にも知られず朽ちていく人生。
俺は、まるでこの世に存在しないかのように扱われるのだ。
「なんで……。」
声が震えた。悔しさ、無力さ、恐怖、理不尽……言葉にならない感情が喉を塞ぎ、呼吸すらままならない。
何のために呼ばれたんだ。何のために、俺はここにいるんだ。
「俺は、何のために呼ばれたんだ……っ!」
「──それがこの国の判断だ。」
宰相の言葉を最後に、衛兵が俺の両脇を固めた。
腕を掴まれ、半ば引きずられるように玉座の間を後にする。
玉座の扉が、静かに開かれる。冷たい風が頬を打った。
俺の勇者としての人生は、こうして、わずか数時間で幕を下ろしたのだった。
◇◆◇
光が、再び世界を覆った。
次に意識が覚醒した時、俺は薄暗く澱んだ空気が満ちる場所にいた。
王宮のあの眩いばかりの光景は、もはや遠い幻のようだ。
全身を打ち付けたような痛みと共に、口の中に鉄のような錆びた味が広がる。
どうやら、縄で縛られ、乱暴に転がされたらしい。
周囲を見渡せば、どこまでも続く木々の羅列。
しかし、その葉は不自然なほどに黒ずみ、枝は痩せこけている。
そして、視界を遮るように立ち込める、毒々しい紫色の霧。
その霧は呼吸をするたびに肺の奥にまとわりつくような不快感を伴い、腐敗した土と、得体の知れない生物の排泄物のような悪臭が鼻腔を刺激した。
遠くからは、不気味な獣の唸り声や、甲高い奇声が響いてくる。
ここは、王宮の華やかさとは対極にある、生と死の境界のような場所——紛れもない瘴気の森だった。
体はきつく縄で縛られている。
手足を動かそうにも、指先一本すらままならない。
すぐ近くの地面には、簡素な木札が突き立てられていた。
そこには、乱暴な文字で「追放者リオ」とだけ書かれている。
王宮の護衛兵らしき、重々しい鎧をまとった数人の背中が、森の入り口へと去っていくのが見えた。
彼らは一度たりとも振り返らず、冷たい視線を浴びせながら、俺の存在をゴミのように置き去りにした。
彼らの足音が完全に遠ざかり、静寂が訪れると、俺は一人、この暗く冷たい森に取り残されたことを痛感した。
「……こんな場所で、何の力も持たない俺がどう生きろというのか……。」
潰れたような声が、瘴気に満ちた空気に溶けていく。
喉が焼けるように熱い。
瘴気の影響か、あるいは恐怖か、呼吸が浅く速くなる。
全身に、鉛のような重さがのしかかった。
手足の痺れは感覚を麻痺させ、意識が遠のきそうになる。
なぜこんなことになったのか、再び頭の中で自問自答を繰り返す。
俺は勇者として召喚された。
王国の危機を救うために。
それなのに、与えられたのは偽名と、理解不能なスキル。
そして、何の容赦もなく、こんな死地のような場所に放り出された。
目の前には、毒々しい紫色の植物が、奇妙な脈動を打っている。
地面には、腐りかけた獣の骨らしきものが転がり、それを虫が這い回っている。
この森の全てが、俺の死を予感させているかのようだ。
王宮での、あの華やかな歓迎は、まるで嘲笑に満ちた悪夢だったとでも言うのか。
「クソ……ッ。」
胸の奥底から、どうしようもない絶望と、理不尽に対する怒りが込み上げてくる。
しかし、その感情をどこにぶつければいいのかも分からない。
体は縄で縛られたままで、身動き一つ取れない。
このまま、ここで誰にも知られずに、毒に侵されて死んでいくのだろうか。
恐怖が、魂を蝕んでいく。
死を覚悟するほどの絶望が、全身を飲み込んだ。
身体を動かそうとするが、慣れない環境と心の疲弊で、まったく力が入らなかった。
◇◆◇
瘴気の森の奥深く。
もはや動く気力もなく、俺は地面に倒れ込んでいた。
意識は朦朧とし、思考は切れ切れになる。
このまま、自分はここで死ぬのだろう。誰にも知られず、名前すら奪われた状態で。
それが、不運な異世界召喚者の末路なのだと、半ば諦めかけていた。
その時だった。
冷え切った身体の奥底、意識のさらに深淵から、これまで感じたことのない感覚が湧き上がってきた。
それは、まるで凍てついた湖に、熱い石が投げ込まれたかのような衝撃。
脳の奥で、膨大な情報が次々と流れ込んでくるような感覚に襲われる。
それは、肉体的な苦痛や精神的な絶望を超越し、俺の意識そのものを変容させていく、不可思議で、しかし確かな「覚醒」だった。
目の前に、半透明の光のウィンドウが、ふわりと浮かび上がる。
【ユニークスキル:
その文字を視認した瞬間、思考が停止した。
ユニークスキル?
宰相エルゼが、俺の追放理由として挙げた、あの「異端の能力」のことか?
ウィンドウは、さらに情報を表示する。
転職したすべての職のスキルが完全に保持・累積されます
異職スキルの融合技・派生進化が可能です
文字を読み進めるごとに、俺の固まりかけていた思考が、急速に再起動する。
凍てついていた血液に、熱が戻っていく。
転職した全ての職のスキルが保持・累積?
通常、この世界では職業を変えれば前職のスキルはリセットされると聞いた。
それが、全て累積される?
しかも、異職スキルの融合技や派生進化まで可能だと?
——これ、は……!
この状況で、生き残る……?
絶望の淵にいた俺の心に、このとんでもない能力が、一筋の希望の光を差し込んだ。
体が、わずかに震える。
それは瘴気による寒さからではなく、この異能の可能性に打ち震える、抑えがたい興奮からだった。
瘴気の森の奥から、再び不気味な唸り声が聞こえた。
今度は先ほどよりも近く、獰猛な気配を伴っている。
魔物だ。このままでは死ぬ。
覚えたてのスキルを試す猶予などない。
俺は、体を奮い立たせた。
この能力を使えば、できるかもしれない。
俺は、この極限状態から生き残るために、直感的に最も必要だと感じた職業を強くイメージした。
それは、この危険な森で生き延びるための、生存能力に長けた職だ。
「……獣使い。」
意識の中で、その言葉を強く念じる。
身体の奥から、またしても奇妙な力が湧き上がり、全身を駆け巡った。
獣使いに転職しました
スキル【動物会話】【簡易治癒(獣)】【警戒】を獲得しました
【
頭の中に、動物たちの気配や感情が、まるで自分のもののように流れ込んでくる。
森の木の葉一枚一枚、遠くで跳ねる小動物の動き、そして、近づいてくる獰猛な魔物の殺意までが、手に取るように分かった。
それは、覚えたての【警戒】スキルによるものだろう。
同時に、身体を蝕んでいた瘴気の不快感が、わずかながら和らいでいることに気づいた。
これも【簡易治癒(獣)】が、動物向けの治癒能力とはいえ、僅かながら作用しているのかもしれない。
このままでは死ぬ。そう確信したはずなのに、今は違う。
偽りの名「リオ」として、この理不尽な世界で生き抜くことを心に誓った。
そしていつか、「消された者」という汚名を晴らし、真の勇者として、あるいはそれ以上の存在として、世界に名を轟かせると。
宰相エルゼ。王。
そして、俺を嘲笑したすべての者たちに、その力を見せつけてやる。
頼りない足取りながらも、俺はゆっくりと立ち上がった。
全身を縛っていた縄は、スキルが発現した際に、何らかの力が作用したのか、解けていた。
身につけていた服はボロボロだが、王宮を追い出される際に渡された、粗末な冒険者風のコートが、わずかながらの頼りだった。
夜の闇が深まる瘴気の森の奥へ、新たな一歩を踏み出す。
彼の行く末には、様々な試練と成長が待っていることを示唆するように、森の奥深くへとリオの影が伸びていった。
俺の物語は、ここから始まる。
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