悪党の夏

四谷軒

01 初夏

 百日紅さるすべりが咲いている。

 唐土もろこし――げんから渡来したものだろうか。

 男は堤の上の淡紅色の花をしばし見たあと、河口に目を移した。

 きらめく波が男の目をしばたたかせる。

 季節は初夏――鎌倉時代末期、元享二年(一三二二年)の初夏。

 すでに太陽がまぶしい季節であり、男は手をかざしながら、求める相手の根城ヤサを見た。

 根城ヤサは、淀川河口――渡辺津わたなべのつの、舟の群れ。

 その群れに向かって、男は叫んだ。

るんか、源次」

 群れの中で、ひときわ大きな舟の上。

 小屋のようになっているそこから聞こえていた嬌声がんだ。

「何や、兵衛ひょうえやないか」

 髭もじゃで、まるで海賊といった風貌の源次が、女に肩を預けながら出て来た。

「アレか、辰砂しんしゃ(硫化水銀、赤い顔料や漢方薬の材料)の売上あがりぃ、やっと一九いちきゅうで得心したんかあ?」

 もちろんがお前やと、男――兵衛を指差す。

 もう片方の手で、女の乳房を揉みながら。

「兵衛、お前が辰砂掘りたちを手なずけてぇ、こうしてわいら渡辺党が党をしたみたいに、党を作ったんはええ。せやけどな、辰砂売るんは、この摂津せっつの渡辺津ぅを持つ渡辺党や。渡辺源次のわいや。誰が津ぅを通して、他国に売りさばいてん、よう考えてみぃ」

 髭もじゃの中の口が、よだれを飛ばして笑い出す。

 兵衛は蚊を手で追い払いながら、五分五分にしろと返した。

「五分五分ぅ? 何やわれ、わいと対等になったつもりかあ? おんどれ大概にせいよ、この得宗の被官いぬが!」

 兵衛の家は、元は武蔵にあった。兵衛の父が、霜月騒動しもつきそうどうにより得宗(執権北条家の本家)が得た観心寺荘に派されて、今に至る。

 それに比べて、源次の方は、渡辺綱わたなべのつな以来の摂津源氏渡辺党、畿内において築いてきた歴史がちがう、勢力がちがうと言うのである。

 ちなみに渡辺綱は、主・源頼光にしたがい、大江山にひそむ鬼――酒呑童子を退治したことで知られる。

「……せやから五分五分ぅ言うてないで、一九いちきゅうで得心しいや。何、悪い話やない。辰砂掘りで党作って、定めて月一で仰山ぎょうさんの辰砂を持って来られるようになったおんどれや、すぐに二八にいはちになれるやろ」

 じゃがそこまでやと笑う源次に、兵衛は冷めた視線を与えた。

「何やその目ぇは。ばかにしとるんか。せやったらええわ、帰り。今、近在のもんからささの献上があってん。やからしてる最中なんや。わいの機嫌がええうちに帰り」

「機嫌がええのはわいの方じゃ、阿呆!」

 兵衛が刀を抜くと、ひと飛びで源次の舟に至る。

 源次が「ちょっと待て」と言っている間に、つかつかと近寄り、眼前に刃を突きつける。

「お、おい! やめろ! こんなことして……」

「こんなことして、何や? 死人に口なしや、もう黙り」

「黙りて……」

 源次がお前ら出て来いとわめくが、周囲の舟に動きはない。

 ただ、ああ、うう、というが聞こえただけだ。

「な、何やお前ら? どした? 渡辺党の頭目の、源次の危機や。早よ出てこんかい!」

「辰砂いうんは、な」

 兵衛は話しながら、女に目線をれる。

 早く行け、という目線を。

 女はひいい、と声を上げて、船から川へ飛び込んだ。

「あ、おい」

「辰砂いうんは、山掘って見つける。なぜか? 赤に染めたり、薬にしたりするわけやが……これ、ほんまに薬かどうか、怪しいんやで」

 兵衛は転がっていた瓶子へいしに目を向ける。

 源次は「まさか」と口走る。

「秦の始皇帝たらいうんは、不老長寿の妙薬や言うて、ようけ呑んだんやけどなぁ、やっぱり毒やってん。すぐにうなったちゅう話じゃ、源次」

 源次は吐きたくなったが、兵衛の刀が目の前にあるので、それもできない。

「一服盛りやがったんか、兵衛!」

「辰砂の売上あがり奪えるから、おこぼれ欲しけりゃささだの女だの出せぇ、て自分で言いふらしてたら世話ないわ。まあ辰砂は勿体無もったいないさかい、そら痺れ薬やけどな」

「き、さま」

「ふん、ささでやられてん、

 渡辺綱、そして源頼光は、酒呑童子を酒に酔わせて討った。

 兵衛はそのことを皮肉ったのだ。

「ほしたら源次、さっさと地獄行けや。辰砂は観心寺党の兵衛が売る。お前らは要らん」

 要らん、の言葉と共に、兵衛は源次を斬った。

 目にも止まらぬ素早い斬撃に、源次はうめきながら、そのまま船べりから川へと落ちていった。

 兵衛が船べりに行くと、川面に源次の顔だけが浮かんでいた。

「あぐ、うう、ひょう、え……」

 源次が口をぱくぱくとさせている。

 たまに、暑い夏の日に水面に出てくる魚のように。

「ひょう、え……き、さま」

「何や」

「こないな、こと、して……ただ、で、すむ、と……」

「済むで」

 兵衛は刀を納めながら言った。

 すでに源次の周りの水は赤く染まっている。

 それはまるで辰砂ののような赤さだった。

「源次……お前がいみじくも言うたやあないか。得宗の被官、と」

 兵衛の手回しは早かった。

 辰砂の売上をめぐる交渉が決裂するや、その足で六波羅探題に向かい、得宗執権北条高時のめいを得ていた。

 悪党――渡辺党を討伐せよ、と。

 悪党とは、秩序にしたがわない、まつろわぬ武士のことを言う。

 六波羅の命により、公的にこれを討ったことにすれば、私闘にはならない。

 ゆえに、仕返しはご法度はっととなる。

「さよか、ひょうえ……」

 源次の顔が沈みつつある。

 それでも水面をがぼがぼと言わせながら、吠えた。

「兵衛え! お前が得宗の命を得た言うなら、もう戻れへんぞ! これでお前は名実ともに得宗の犬や! 次、得宗が何か言うたら、断れへん! のがれられん! 死ねぇ言われてもなぁ!」

 わいはそれを地獄でしっかと見ているぞ、と最後に叫んで、源次は沈んだ。

 そして二度と再び上がって来なかった。

「……何や、けったくそ悪い」

 兵衛はひとつ舌打ちをして、船から跳び下りた。

 急ぎ、渡辺党を討伐したと、六波羅に復命しなければならない。

 復命なしには、六波羅に公的なものと認められない。

 でなければ私闘となり、兵衛と仲間たちは、渡辺党の残党から仕返しをされても、文句が言えない。

「仕返しは、御免や。これは上意討ちや、六波羅の命や」

 得宗被官の家の生まれであることを利用して、兵衛はその仕返しを封じた。

 これで安心して(絶対ではないだろうが)、兵衛の仲間たちは、辰砂を掘り、売ることができる。

「行くか」

 兵衛は両手を組みながら、淀川から去って行った。

 もう夏だというのに、うすら寒く感じた。

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