鉛筆~翠恋の恋の狂想曲~

小粥ちゃん

プロローグ

 その日は、まるでバケツをひっくり返したような大雨だった。


 今年、小学校に入学したばかりの清水神酒しみず みきは、一人、寂しく下校していた。傘を差していても、服はびしょ濡れ。シャツが肌にぴたりと張り付き、ひどく気持ち悪い。足元では水たまりが音を立て、どこまでも灰色の景色が広がっている。


 そんな神酒の横を、クラスの男子たちが走り抜けていった。


 一人が神酒に気づき、笑いながら叫ぶ。


「おい! 化け物がいるぞ!」


「ほんとだ、化け物だ!」


「逃げろ逃げろー!」


 彼らの声は、雨音よりも大きく響いた。


 ——化け物。


 その言葉は、幼い神酒の胸に、鋭く、冷たく突き刺さった。


 神酒は、いわゆる「いじめ」を受けていた。理由は明らかだった。海のように澄んだ青い髪、そして童話に出てくるエルフのように尖った耳。


 人とは違うその外見が、幼い好奇心と無邪気な残酷さを引き寄せてしまう。


 泣きたかった。涙をこらえる理由も、もうなかった。


 こんな大雨の中なら、泣いても誰にもバレない。そう思い、神酒は家の近くにある公園へと足を向けた。誰もいない、静かな公園。そのベンチにそっと腰を下ろす。


 傘を閉じる。冷たい雨粒が容赦なく降り注ぐ。でも、なぜか寒さは感じなかった。ただ、重たく、どこかぼんやりとした痛みが、胸の奥にじんと滲んでいた。


 一人で静かに泣いていると、頭の上から声がした。雨音を割って届く、聞き慣れた優しい声。


「どうしたんだよ。風邪ひいちゃうぞ。」


 神酒が、大好きな声だった。ずっと、昔から。どんな時でも、自分を見つけてくれる、あの人の声。


「家、すぐそこだろ? 鍵でも忘れたのか?」


 神酒はゆっくりと顔を上げた。やっぱり、そこに立っていた。


 神酒が大好きで、大好きで、どうしようもなく惹かれてしまう——一筋の光。


「ほら、帰るぞ」


「……うん」


 差し出された手を、そっと握る。


 大雨の中、それだけが不思議と温かかった。冷たい世界にただひとつ残った、安心できる場所。


 神酒の心の奥が、ほんのりと灯るように、あたたかくなった。


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