第26話 クリエーションV①
ロビーの自動販売機からジュースを購入して部屋に戻る途中、スーツケースを引きながらトボトボと歩く女性とすれ違った。おそらく筆記試験で不合格になり、荷物をまとめて帰るように命じられたのだろう。女性とすれ違うとき、朝日は気まずさを感じて背中を丸めた。女性は「うう、こんなはずじゃなかったのに」というような声を漏らしていた。思ったことを口に出す癖が抜けていないのだろう。
朝日の丸めた背中には、少しの優越感が混じっていた。大人の女性でも落ちる試験に、合格することができた。その優越感は気まずさに隠されていたが、朝日の自信に繋がった。優越感というのは何も悪いことではなかった。朝日は缶のジュースを持って、部屋に戻った。
部屋に入ると、タブレットに通知が届いていた。合格通知は手紙で届いたが、二次試験の案内はタブレットに来た。案内の内容を確認すると、どうやら二次試験は複数人のグループで行うらしい。試験の名前は『クリエーションV』と言った。
クリエーションVは、シロクロが独自に開発したVTuberの育成ゲームである。プレイヤーは一人のVTuberをデビューからプロデュースし、理想のVTuberを創作してチャンネル登録者100万人を目指す。つまり二次試験はみんなでゲームをやりましょうというものだった。
ルールを確認した朝日は、唇を尖らせた。
まさか誰かと協力をする試験が用意されているとは思っていなかったのだ。しかし、VTuberとして活動していくには、他のVTuberとのコミュニケーションが不可欠だった。多くのVTuberが在籍しているシロクロからデビューするなら特にそうだ。
一緒にゲームをする。
これはVTuberの基本である。
◇◇◇
休息日の翌日。朝日はホテルの最上階にあるスイートルームに向かう。案内にあった部屋の名前はヘストリア・ヘイスト。カードキーをタッチして、ドアを開ける。部屋のなかにはすでに、男女がソファーに対面して座っていた。視線を受けて、朝日は少しだけ緊張する。
「子供?」
女性の方は朝日の姿を見るとそう呟いた。なんで子供が? とでも言いたげな、どこか高圧的な表情の女性だった。少なくとも女性がカリカリしているのは朝日にも分かった。三日間も部屋に閉じ込められていたのだから、ぷんすこゲージが貯まるのも仕方のないことだった。
「すごいな。その年齢であの筆記試験を通過したのか」
男性の方は感心したように言った。爽やかな印象の男性で、頼りになりそうな雰囲気もあった。男性はとても穏やかな表情で微笑んでいた。微笑み界隈だった。態度の違いこそあれど、二人とも子供に見える朝日が筆記試験を通過したことに驚いていた。
大学生くらいのお兄さんと、高校生くらいのお姉さんに委縮して、朝日は背中を小さく丸めながら、部屋の中に入る。流石はスイートルームというような美しい造りの部屋で、このホテルの最上階よりも高い建物は周囲に少なく、窓には都内の空模様が映し出されていた。
「なんにせよ、まずは座って。僕のことはトキと呼んでくれ」
「A子」
「好きに呼んでくれて良いんだけど、呼びやすいようにニックネームを付けることにした。本名は、あまり良くない。分かるだろ? 君もニックネームを考えてくれるかな」
分かるだろ? と言われても、本名じゃダメなのかな? と朝日は思う。そういえば、紡央も本名はあまり言わない方がいいというようなことを言っていたことを思い出す。理由は分からなかったが、それならばと朝日は、ニックネームを考えるが、思いつくのはいつも一つだった。
「じゃあ、こんくりで」
「こんくりー?」
A子は首を傾げたが、トキは「よろしくな。こんくり」と受け入れた。
こんくりという呼び名に満足しながら、朝日はソファーに座った。ソファーはテーブルを中心に三席用意されていた。対面する二席にはすでに二人が座っているので、朝日は二人の側面の位置に座ることになった。朝日の正面にはモニターがあった。
「こんくりでもなんでもいいけど、さっさと始めるわよ。どうせ、筆記試験と同じでわけの分からないゲームなんだから」
A子はそう言って、テーブルの上に置いてあるタブレットの電源を点けた。するとモニターには、クリエーションVのスタート画面が表示された。A子はルールの確認をしないまま、スタートボタンを押した。
「わたし、説明書とか読まないタイプなのよね」
わけが分からないのは、それが理由なのではないかと朝日は思う。
ゲームがスタートすると、男女の選択場面があった。A子は迷わず女性を選択する。性別によってゲームの難易度が変化するというようなことも予想できそうだった。少しのロードを挟んで、クリエーションVがスタートする。
クリエーションV。とあるVTuberの卒業ライブを見ていた少女は、自分もVTuberになると決意する。目指すのはチャンネル登録者100万人のVTuber。さて、まずは何から始めようか。
「ふーん。こんな感じね」
ゲーム画面には少女が暮らす部屋が表示されていた。右上にはチャンネル登録者数、その隣には所持金があり、現在は20万円を所有していた。VTuberをいちから始めるには心許ない金額だ。プレイヤーが操作できるのは【カタログショップ】【配信】【アルバイト】という三つの機能だった。
A子はとりあえず【配信】ボタンを押した。しかし、主人公はまだVTuberとしての身体を手に入れていなかったので、生身のままで配信をすることになる。配信中のゲーム画面にもプレイヤーが操作できる機能があり、A子は【カラオケ】のレベル1や、【雑談】のレベル1などを行った。
配信が終了するとリザルト画面に切り替わり、その配信の具体的な数値と、獲得経験値が表示された。今回の配信では、最大同時接続者数が二名、新規チャンネル登録者数が0名だった。経験値の獲得により【配信】の経験知は微増、【カラオケ】はレベル2に上昇、【雑談】はレベル1の半分まで経験値が溜まった。
「ふん。完全に理解したわ。わたしに任せてくれてもいいわよ」
「そうか。じゃあ、しばらくはA子に任せようかな。こんくりもそれでいいだろ?」
朝日は頷いた。
A子は実況をするように言葉を紡ぎながら、クリエーションVを進めていく。その間、トキはポットで湯を沸かして紅茶を淹れた。トキは「紅茶飲めるか? 他にも色々あるけど」と朝日に聞く。朝日は紅茶を飲んだことがなかったので冒険はせずに、緑茶にしてもらった。
「ちょっと外に出れるか?」
「うん? いいけど」
二人は席を外して、バルコニーに出た。A子に協力しなくていいのだろうかと朝日は思ったが、どうやら聞かれたくない話があるらしい。バルコニーには椅子が用意されていて、そこに座ったまま東京の景色を一望することができた。お茶を飲みながら、トキと朝日は雑談をする。トキは聞き上手なのか、朝日の話を積極的に聞き出した。
「へー。それで自分が宇宙人であることを受け入れて、宇宙人でも活躍できるVTuberになると決めたわけだ。宇宙ゆらぎっていうVTuberは僕でも知っている。ゲームが上手くて有名だったんだ」
「……アイドルと聞きました」
「そういう一面もあるってことだよ」
朝日の話を一通り聞き終えたあと、トキは自らの話を始めた。
「僕はプロゲーマーだったんだけど、活躍していたゲームが日本では流行らなくて、国内でのサービスを終了してしまったんだ。海外からスカウトも来ていたんだけど、あいにく英語が話せなくてね。それで、せっかくだから新しい挑戦をしようと思って、シロクロを受験した」
「プ、プロゲーマー!」
プロゲーマーという存在に朝日は目を輝かせた。国語力のなかった朝日はRPGなどのプレイができなかったが、FPSのシューティングゲームや、レースゲーム、格闘ゲームなどのeスポーツシーンが活発なゲームはその凄さが理解できた。とくに、現代の小学生にとって、プロゲーマーというのは憧れの職業だったのだ。
「あ、あの。このゲームもトキがプレイしたら」
「それはその通りなのかもしれないけど。でも、こんくりが来る前に少しだけA子と話したんだ。まあ、そうだな。普通の女の子だったんだけど。分かるだろ? 僕は、普通の女の子に期待することにした」
期待、という言葉を詩音もよく使う。
プロゲーマーが持っているinゲームの大局観は、A子に対して違和感を抱いた。そもそも平々凡々な女の子が、どのように筆記試験を突破したのかという、純粋な疑問。疑問や違和感は気持ち悪さとなった。その気持ち悪さは、生まれる前の希望や期待。つまりは悪阻だった。
「あの子、かなりの問題児だったみたいで、寺に行って精神を叩き直すか、この試験を受けるか親に言われてこっちに来たらしい。変な二択だよな」
「うん」
「元々VTuberが好きというわけでもない。さらに、そもそもVTuberがなんなのかもよく分かっていないみたいだ」
「え?」
A子がぷんすこしていた理由が分かった。彼女はいたくてここにいるわけではなかった。そんななかで朝日にはA子に少しだけ共感できる部分もあった。A子は宇宙人ではないのかもしれないけど、きっと世間から浮いていた。精神を叩きなおすというのは、きっとそういうことだ。
試験が終わるころには、VTuberに興味を持ってくれたら嬉しいなと朝日は思う。世間から浮いている人間が重力を持つことができるのが、VTuberだった。もちろん、トキも全く同じ考えを持っている。
「A子はVTuberを知らない。だからVTuberに宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいることを知らない」
A子は知らないけど、VTuberはA子に相応しい舞台だった。
「VTuberには宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいることを彼女に知られてはいけない。何も知らない普通の少女。その状態でシロクロからデビューした彼女は、きっと、無双する。何も知らない普通の少女が、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者と関わっていくんだ」
VTuberには宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいる。
彼らは彼女にその正体を気づかれてはいけない。そんなライトノベルの設定のような状況を、A子を中心にしたときに作り出すことができる。つまりA子はVTuberの主人公になる器を持っていた。
「だから、こんくりも自分が宇宙人であるということを、彼女に知られてはいけないよ」
これは理想のVTuberを創作するゲーム。
クリエーションVである。
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