花天月地【第41話 闇の道】

七海ポルカ

第1話





 西に向けて行軍中である。


 楽進がくしん李典りてんの部隊が先行し、それに司馬懿しばい賈詡かくがいる本陣が連絡を取りながら続き、南西に迂回しながら張遼ちょうりょう軍がこの二軍より遅い進軍で最後尾を行く形である。

 進路は違うが、万が一本陣が奇襲を受けたときには張遼軍が反転し、挟撃行動を行うことになっている。

 軍をあえて分団したのは、機動力と地の利で勝る涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいの方を一点集中させないためである。


 日が暮れて来た。


 天水てんすいに無事に辿り着いたことで安堵はしたが、夜襲の可能性は十分にあることから緊張感はある。

 夜営地は賈詡が決めた。

 彼は涼州出身であり、涼州騎馬隊が通れる場所が分かる。


 固山こざんふもとに夜営する張遼軍には、背後は山の絶壁になっていて、正面を川が通っている場所を見つけ、そこに夜営するよう命じた。

 細い山岳道はかえって奇襲に使われて危険なので、本当に九十度切り立った崖の麓である。

 通る道自体がないのなら、馬を使っての奇襲はさすがに出来ないからである。


 ただし、絶壁沿いに夜営をしても危険だ。


 馬は通れなくても岩落としなどの奇襲に遭う可能性がある。

 十分距離は保った場所で、火は煌々こうこうと焚けと命じてある。


 一方で、先行する楽進と李典の軍は、敢えて森林地帯の中で夜営をさせた。

 

 平地の中の森林部である。


 森林地帯も風のように樹間を進軍する涼州騎馬隊には危険だが、そこの樹間は非常に細く、馬が通れない間隔だったのだ。


「これくらい狭けりゃいいね」


 森を歩きながら賈詡が言った。


「まあ火とか放って奇襲も掛けられやすい地形なんだが。

 しかし馬が使えないなら普通の夜襲だ。

 普通の夜襲なら楽進君も李典君も対処できるよね?

 君たちだって若いけど立派な魏軍の将軍様なんだから。

 奇襲受けたくらいでアワアワしないよね?

 森に火の手が上がったらこっちからも援軍送ってあげるから、

 ヤバいと思ったら火でもつけなよ」


 にっこり笑って若い将軍二人に圧力を加えて、賈詡は戻って来た。


 本陣は完全に平地の真ん中である。


「どうせすでに俺達がここまで来てることなんかバレてる。

 ここはどっかり腰を据えて休ませてもらいましょう」


 平地はつまり奇襲も勿論しやすいが、発見も、対処もしやすい。


 行軍中に手頃な木を切り倒して、各部隊に持って行かせている。

 これは薪に使うつもりで持って来たが、陣を囲うようにこの荷車を配置すれば簡易的な馬防柵にもなるのである。

 

 本陣を中央に置き、丁度花の花弁が周囲に咲いていくように、小部隊で囲む陣を組んだ。

 

 近距離で、互いの状況を監視しやすくするためだ。

 

 どこかが奇襲を受けても、近くの部隊がすぐに連絡を中央へ通していく。


 

「君らしくない、美しい陣だね。とても素晴らしい」



 配置についていく陣を腕を組み、眺めながら郭嘉が言った。


「お褒めにあずかり光栄ですよ。でも『君らしくない』は余計」


 司馬懿しばいがやって来る。

「やあどうも」

 賈詡が一礼をした。郭嘉も小さく会釈をする。

「緊張の夜ですな」

「手は打ってある。気に悩んでも無駄だ」

「まあ確かに。さあ、我が幕舎にどうぞ。温かい湯でも飲みましょう。

 徐庶じょしょ君と陸議りくぎ君も入ってくれ」

 上げられた幕の中に入る。


 中には大きな机が用意され、そこに涼州りょうしゅうの地図がすでに準備されていた。

 旅の中で、色々書き加えられていることもある。

 向き合うように三つの椅子が机の周囲に置かれている。


「二人もそのあたり、適当な所に腰掛けてくれていいからね。

 明日も行軍は続く。足は休める時に休めといてくれ」


 徐庶と陸議は賈詡からそう言われ、入り口から入った左右に置かれた丈夫そうな木箱と積み重ねられた布の上に腰を下ろす。


 賈詡の補佐官が入って来て、全員に温かい湯を入れた。


天水てんすい以後の話をしろ。賈詡」


 湯を飲み、司馬懿がそう言った。


「敵の出方次第で流動的ではありますが。

 今の所、祁山きざんに砦を築きたいと思っています。

 山岳地帯で、西に鳥鼠山ちょうそざん、南に固山こざんがありますが、鳥鼠山は渭水いすいの起点になっていて、水が豊かに確保出来る。


 眼下がなだらかに斜面になっていて敵の監視もしやすい。

 守備力の高い、優れた砦を築けるでしょうが、少し西寄り過ぎる。

 東の祁山きざんや街道を敵に抑えられた場合、孤立する恐れがある。

 いくら水が豊かに守備力が高くとも籠城戦になったら冬場は長期戦は無理だ。

 固山こざんは地形が祁山より下にあり、雨量が多い季節は土砂崩れも起こり得る。


 ただし敵を囲い込むのには悪くない。

 それも祁山を取ってからの戦術ということになるが。

 まあそんな罠に涼州騎馬隊は引っかからんとは思うがね。

 しかし今後、涼州において騎馬隊以外に抵抗を受けた場合、その人間達を固山あたりに収容するってのは有りだ。

 あそこに涼州の者がいると、敵は祁山に手を出しにくくなる。


 張遼ちょうりょう将軍が固山の麓を通過して来てくれるのは、色々地形が確認出来て有り難い。

 あの方は俺達のように頭の理論じゃなくて、もっと本能的な感覚でそうしているのかな?」


祁山きざんを押さえれば、固山こざん汎用はんようできる。その逆はない。そういうことだね」


「うん」


「悪くないと思うよ。涼州騎馬隊が今どう点在してるかは分からないけど、私達が東を押さえている以上、北に彼らを分断したい。

 しょくへの南下を阻止すること【定軍山ていぐんざん】との連携、長安ちょうあんへの東の経路を確保する意味でもいいと思う」


「さて。ここに俺が徐庶君に出した宿題がある。

 俺が砦を築くにあたっていいと思った三つの候補地から試しに選んでもらった。

 実のところ、受け取ったけどまだ読んでない。

 鳥鼠山ちょうそざん祁山きざん臨洮りんとうの三点だが。

 彼はどこを選んだかな?」


 賈詡が布を広げた。

 中を見て「どこだと思う?」という顔を見せた賈詡に、郭嘉かくかが返す。 


祁山きざん


「ちょっとは迷ってよ。臨洮りんとうだってそう捨てたもんじゃない。山岳地帯は涼州騎馬隊の縄張りだ。その点、臨洮は天水てんすいと……」


「今のは徐庶君の思考じゃなくて君の表情を読んだだけだ。勝ち誇った顔をしたから」

「あんたをからかってもちっとも楽しくない。」


 郭嘉が笑って手を出すと、賈詡が鼻を鳴らして布を郭嘉に渡す。


祁山きざんを選んだ理由、ほぼ賈詡が言ったようなことだけど、一つだけ聞かなかった理由が書いてあるね。祁山の周辺には小さな村落が多いと書いてある。そうなの?」


 郭嘉が徐庶の方を見た。


「はい……涼州は場所によって気候も地形も大きく変化します。

 涼州の人々はそれを熟知して、村を形成していますから、村があるところは冬も食料が取れ、比較的過ごしやすい場所かと」


「君が涼州を訪れたのはどのくらい前になる?」


新野しんやに行く前なので七年ほどかと」

「そうか。かなりこのあたりを動き回った?」

「そうですね……とりとめもなくですが」

「では賈詡からの宿題もやってくれた君なら、私の宿題もやってくれるよね?」

 郭嘉が微笑んで立ち上がった。


「一つ地図を借りるよ賈詡」


 棚を少し見て、郭嘉が取り出し、おいで、というように手で徐庶を呼んだ。


 彼は大きな机の上に地図を広げた。

「北はどこまで?」

臨羌りんきょうまで行ったことがあります」

「そう。とてもいいね。じゃあ君の覚えている限りのことでいい。

 集落があったところを細かく書き込んでくれるかな。今は変化してても別に構わない。ちょっとした参考にしたいだけだ。

 張遼ちょうりょう将軍の部隊が南から情報を集めてくれてるし、賈詡も詳しいけど、私が思うに――、 君は賈詡や張遼将軍が通らない道を通ってる可能性がある」


 徐庶じょしょが少し息を飲む。

 その顔を見て、フッ、と郭嘉が笑った。


 司馬懿は聞きながら、郭奉孝かくほうこうは軍事の作戦指揮だけに才能を発揮するわけではないことを再確認していた。


 この男はよく人間の本質を見抜く。


 つまり張遼は、軍人として敵の進路や奇襲を予測した道を通り、情報を自然と集めようとする。

 賈詡かくはもっと軍事的な視点で細かく見るが、いずれにせよとりとめもなく歩き回ったりはしない。


 ――この二人と徐庶の本質が違うことを、すでに見抜いている。


 軍策に徹しきれない甘さのようなものだ。

 徐庶の場合、知識などを振るうのが賈詡や郭嘉に比べて極めて受動的だ。

 求められれば披露したりはするが、それ以外の時は軍師としての嗅覚を、敢えて表に出さないようにしている感じがする。

 優れている爪を隠すという感じではなく、軍師としての鋭い感性を普段使いすることに耐えられない、防衛本能のようなものに司馬懿には思えた。


 だから徐庶と話していても、凄みのようなものが何も無い。

 自らの弱さを自認しているからだと思う。

 

 荀彧じゅんいくや郭嘉に備わっている、覇気のような自信。


 賈詡や荀攸じゅんゆうもそういうものはあまり表には出さない人間だが、徐庶は出さないというより、人間としての覇気が無かった。

 

 ――――自分自身を、信じていない。


 だから徐庶は、普段は並の人間と同じ動きをするのだ。


 この男の場合、軍師を演じているようなところがあるのかもしれない。

 求められればその役を演じる優れた役者だが、普段は軍師ではないのだ。

 意識が戦い以外に必ず逸れている。


 郭嘉などは平時から軍師としての才覚を普段使いしている。

 だから平時から、この男は非凡だということが誰しもに分かる。

 郭嘉がもし数年前に涼州に来ていたら、ありとあらゆる戦に役立つことを見てきただろうと思う。

 

 徐庶は違う。


 恐らく村落や、人が行き交う道を目的も無く歩いていたのだろう。


 だがある意味、それは使命感に燃えたこの魏軍の将官達には、全く無い視点なのだ。

 皮肉にも軍師として中途半端な徐庶の視点が、自分や、賈詡や郭嘉が思いつかなかった道を見てることがあり得る。


 その場にあるものは何でも使い武器にする。

 

 軍師としての郭嘉の本質を見た気がして、司馬懿しばいは満足だった。

 同じ軍師としては確かに忌々しい才気でもあるのだが、この男が死病を克服して曹丕そうひの陣営にも加わることになったということは非常に喜ばしいことだ。

 曹丕の強い守りに、必ずなるだろう。


 郭嘉などは、陸伯言りくはくげんをどう見るだろうか。

 そんな風に考える。


 陸遜りくそんはまた、司馬懿達や徐庶とも違う領域にいる気がする。


 どっちの要素も持ちつつ、かといって誰と同じでも無い『陸遜』だけが鋭く感じ取ったり気にしているものがあるのだ。


 徐元直じょげんちょくの存在を見い出したのも、思えばそういうものだった。


 司馬懿は陸遜は、何か異質な才だと思っている。

 いつもは単なる優秀な人材という感じだが。



(あいつは戦場で変わる)



 ――いや。


 変わると言うより、

 目覚めるのだ。


「任せたよ。その地図は君にあげるから。

 思い出すたびに描き込んで時々私に見せて。出来るだけたくさん描き込んでね。君の記憶力に期待してる」


「……わかりました」


 郭嘉が席に戻り、満足げに深く背を預けた。


涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいのことだが」


 司馬懿が口を開く。

「現われる見立てはあるか、賈詡」

「残念ながら。奴らのことは奴らしか分かりません」

「そうとも限らないだろう。奴らがいつ出てくるか予測は立てられずとも、仕向けることは出来るはずだ」

「仕向ける?」


「村落をいくつか焼けば、奴らは必ず出てくる。我々の所業を止めにな」


 さすがに賈詡も聞いた瞬間、片眉を釣り上げた。


(おいおい……)


 陸議りくぎは非常に司馬懿らしい発言だなと思ったため驚きは無かったが、視界の端で何かが動いた。

 地図を見ながら書き込んでいた徐庶が、筆を一瞬落としかけたのだ。

 落とす前に強く掴み、筆を倒すことはしなかったが、一度筆を硯に戻すのが見えた。

 どうしたのかなと見ていると、彼は自分の右手を見ている。


(……?)


 なにか左手で右手を押さえるような仕草をした。

 

 その時、陸議は息を飲んだ。


「ちょっと待ってください。今回は、そういう目的ではなかったと記憶しておりますが。

 兵は連れて来ましたが、あれは涼州騎馬隊と遣り合うためじゃない」


「しかし奴らが現われた時の前提としてお前は編成したのだろう」


「確かにそうですが、前提が違う。

 今回の目的はあくまでも築城です。

 奴らが妨害してくるならば迎撃はしますが、

 先手を打つということは築城を後回しにするということです。

 それは曹丕そうひ殿下の命令と前提が違う」


 司馬懿は涼やかな眼で、賈詡を見据えた。


「殿下はその『すべ』は私に一任された。

 築城は目的だ。目的を果たせば涼州騎馬隊と築城の前に戦おうが後に戦おうが、あの方は拘ったりはしない」


 賈詡は、やはりこの御仁はやりにくいな……と思いながら、隣にいる郭嘉を見た。


 彼は椅子に頬杖をついたまま、眠っているように静かに目を閉じている。

 俺と司馬懿を今日はぶつけて、言い合わせて、自分は高みの見物するつもりだなと思い、そうは行くかと考える。


「貴方も何か言ってよ。郭嘉殿。司馬懿殿が無茶を言ってると思うだろ」


 起こされた郭嘉はそれすら予期してたかのようにゆっくり瞳を開いて、唇で笑った。


「司馬懿殿が言ってるのは先手を打つかどうかという話だよ。

 彼は潼関とうかんですでに一度、村落を焼き払って迎撃に出て来た涼州騎馬隊を潰走させてる。

 潼関の戦いは大勝利だったのだから、まず同じ手法を試すのは有りだ。

 貴方は驚いていたけど、私は司馬懿殿が今更『今回は涼州の人々の生活を慮って作戦を進めようと思う』などと言った方がむしろ驚きだよ」


 司馬懿がフッ、と笑っている。

 賈詡は歯ぎしりしたくなった。


(こいつと郭嘉を揃えるとやっぱりろくなことにならんな!)


 賈詡自身、打算的だの、内心が読めないだの、主を度々変えてるから信用ならない降将だなどと、色々言われて生きて来て、こういう軍議では他人が引くような策謀を張り巡らせるのが得意だというのに、なんで今回は俺が「民に無駄な犠牲は出しちゃ駄目」などという至極当たり前のつまらない、優等生のようなことを言わなきゃならない立場になったんだと思う。


 しかし、賈詡は涼州騎馬隊の力を知っている。

 出来ればぶつかりたくはないのだ。

 それは確かだったから、主張するしかない。


「曹魏はもうとっくに涼州の民からは警戒されているし、悪逆非道の軍だと思われてる。

 ここで一度綺麗な戦いをしたって、暴力的なことを一切しない支配をしたって、彼らは我々をいい人達だなどとは絶対思わないよ。

 良い政は一瞬で忘れられるけど、人間は深く傷つけられたことは決して忘れないものだからね。

 どうせ恨みを買ってるなら、二度でも三度でも同じだ。

 一番最初に先手を打って涼州騎馬隊を潰走させることが出来れば、恐怖を与えて、その後無駄に残虐な支配をする手間が省けるかもしれない。

 結局その方が、総合的には犠牲はもしかしたら少ないかも。

 曹魏そうぎが侵略行動に出て来たら、涼州に残ってる人間がしょく劉備りゅうびを頼って逃げ出すかもしれないしね。


 そうすれば多くの村落が空になる。

 その家を冬の間拝借すれば、我々が寒さも凌げるだろうし。


 蜀を頼って南下し始めた手勢に【定軍山ていぐんざん】の部隊に報せを送って、襲撃してもらうのも、展開としては面白い。そんなことしたらが動くかもしれないよ。賈詡。


 そうしたら劉備は、どっちを選ぶかな?

 逃げてくる民を救うために北に派兵し、呉に江陵をむざむざ取らせるかな?

 それとも泣く泣く北面への派兵は出来ないと、呉に派兵する?


 そうしたら呉蜀が江陵こうりょうでぶつかることになる。にとっては都合がいい。

 呉蜀同盟を自ら断ち切った蜀がどこまで呉相手にやるか、見定めるのも一興だよ。

 

 司馬懿殿の策はそれ自体というより、その策自体が多方面に動きをもたらす可能性がある。魏の先手として、自分達で仕掛けられるしね。

 私は非常に興味深いと思ってる。


 貴方にだって損はない。江陵が動いたら成都せいとを攻めるのもありだ。

 その間に曹丕そうひ殿下に動いてもらって呉と交渉すれば、江陵を呉に取らせる代わりに先に成都を制圧し、蜀を壊滅させられるかもしれない。

 今回の涼州遠征の目的は築城だけど、それは蜀に対しての防衛線を強固にする為のものだ。

 蜀が滅べば、防衛線自体いらないよね?

 これこそ、目的以上の成果だよ」


 ついさっきまで眠たげだったのに、いきなり膨大な言葉が降り注いでくる。

 こいつの頭の中は一体どうなってんだ。



「俺の手が今、お前の口に届けば押さえつけて封じ込んでる」



 賈詡が苦い顔をして郭嘉を睨んだ。

 郭嘉かくかは笑っている。


「あなたが私をわざわざ起こしたのに」


「分かってる。今後悔してる」


「貴方が今回の遠征の総指揮なんだから、そんなに早く心折れないでよ。

 別に司馬懿しばい殿の案も、私の助言も、貴方は『うるさい』の一言で弾き返しても今回は許される立場なんだから。

 ただ、ろくな案も出さずにそんなことしたら、思ってたよりつまらない人だなあくらいの顔では見るけど、別に貴方に逆らって長安ちょうあんに帰ったりしないよ」


「うるせえな。誰が思ってたよりつまらない人だ」


「賈詡。お前の策を述べろ」


 司馬懿が組んでる足のつま先を揺らした。


 この野郎。


 郭嘉の話を聞いても、こいつも眉一つ動かさなかったな。

 俺様は本来お前らなんかよりあくどいやり方で何度も敵を打ち払ってきたんだからな、俺様より年下の、経験未熟な若造どもの分際で、と内心腹立たしく思いながら、賈詡は一呼吸置くために湯を飲んだ。


「俺は、敢えては涼州騎馬隊とは遣り合いたくない。

 あいつらは厄介だ。一度奴らに仕掛けると、小部隊編成で何度も何度も奇襲受けて、そっちの対処の方が本題になる。

 俺だって天水てんすいに至るまでに襲撃を受けてたら、慎重な策は取らん。

 一番最初に俺達が本気だってことを見せつけるために、村に火を放つのも有りだと思う。

 その場合、仕掛けてきたのはあいつらの方が先だって理由で張遼ちょうりょう将軍も説得出来るだろうしな。

 そうだぞ。張遼将軍がまず民草の村を焼くような戦い方、承知されるわけないだろ。

 俺はその場合説得しないぞ。あんたたち二人でしてくれるんだろうな?」


「説得などしない」


 司馬懿が言った。

 郭嘉も頷く。


「私もしない。張遼将軍が嫌だと言ったら、楽進がくしん李典りてんにやらせる。

 勿論私も二人に帯同してね。

 でも苦い顔くらいしても、私は張遼将軍は『嫌だ』とは言わないと思うよ。

 別に村落を焼き払うのが目的というわけではないからね。あくまでも涼州騎馬隊とぶつかるためだと言えば、納得はすると思う。

 なんなら村落から出来る限り村人を避難させてから焼けばいい。

 涼州騎馬隊は恐らくそれでも釣り出されて出て来る。

 民に犠牲が出ないなら、張遼殿だって目を瞑ってくれるんじゃないかな」


「う……」


「呉蜀をぶつけるよう仕掛けたい、とはっきり言えばいい。

 あの人は長期的な目的がきちんと見通せているなら、清濁は貴方が思ってるより飲み込んでくれると思うよ。

 彼は呂布りょふの配下にいた。

 無理矢理じゃない。あの時は何かを信じて共に戦っていたはずだ。

 呂布の戦いが何も見い出せなくなった時に側を離れたけど、貴方がこの遠征の未来まで真剣に思い描いて策を成すなら、出てきた以上は従うさ」


「わかった。涼州騎馬隊を出てくるよう仕向ける利点はあることは俺も認める。

 その結果、劉備が動いたり、呉が動いたりするのかと思えば、正直ワクワクはする」


「そうだよね?」


「で、でもー!」


 微笑んだ郭嘉から顔を背けた。

 こういう話をしている時にこいつと目を合わせてはいけない。

 微笑みながら致命傷になる一撃で噛みつかれて、心が瀕死になりかねない。


「その理論で言ったら要するに、砦を築いた後に涼州騎馬隊を釣り出したって、別にいいわけだろ?

 築城してたら、奴らが勝手に妨害に現れるかもしれねえじゃねえか。

 そうしたらわざわざ村落焼く手間なんかいらない。恨みも買わない。

 恨みを一度買ったら二度も三度も同じだってあんたたち言ったけどな。

 確かにそうかもしれんが、人間、一度あった酷いことが二度目無いと、案外動揺するもんだぞ。

 潼関とうかんの戦いで残虐な攻撃を仕掛けてきた曹魏! また来てまた残虐なことをするに違いないと思ってたら、案外して来ない! つったら、不気味だろ。逆に。

 なんだ何か企んでるのかと、涼州の民を不安がらせたまま、でも何にもしない。

 するとだな、その微妙な緊張関係から、絶妙な損得勘定で協調関係には持って行くことは出来るかもしれない。

 はっきり言うと、俺は元々涼州のこのあたりの村落の人手も加えて、築城したいと思ってるんだよ。

 あんたらの言うように焼いたりしたら、全部自分の手でやらなきゃならん。

 幸い、赤壁せきへきの戦いの衝撃のおかげで、今はどこの戦線も膠着してる。

 その分、俺らが金も兵糧ひょうろうも使えるってことだろ。


 俺は今回は融和路線だ。

 別に曹魏や俺達がいい奴だなんて思われんでいい。

 持って来た戦力は別のところで使いたい。

 俺は出来る限り今回戦力を温存し、長安ちょうあんに戻し、曹丕殿下に『厳しい遠征になると思っていたが、これだけ犠牲を少なくして戻ってくるとは素晴らしい手腕だな。おかげで次の戦線にすぐに編入出来る』などという視点で誉められる予定で来てる」


「そうだったの賈詡」


「そーだったんだよ! それをあんたらがいきなり焼いちまうかとか言い始めるから、びっくりして俺様がこんな融和路線の似合わない策を言ってる奴みたいになってるんだよ。

 普通は王道の策を語る奴がいて、たっぷりそれを聞いた後に俺が癖のあるあくどい策を進呈して、アクの強さを見せつけるってのが流れなんだから、いきなりあんたらがはっちゃけて腕白な策を披露するなよ。

 俺は苦手なんだよこういう役回りは」


「ごめんごめん。貴方のそういう目的を知ってたらもう少し穏便には話したよ。

 策が無いのかと思ってさ。

 それなら明確な策を持ってる司馬懿殿の方が、色々先を想像出来て楽しかった」


「誰が無策の野郎だ。先生、ちょっとお前黙ってろよ」


 郭嘉がおかしそうに笑った。


「まったく……」


「築城作業の最中に涼州騎馬隊が襲撃に来た場合は、存分に打ち払う意志はあるのだな?」


「それはありますよ。何のために張遼将軍を連れて来たと思ってるんですか。

 真剣にあいつらと遣り合う為の軍は連れて来てる。

 だからこそ築城をまずやりたい。

 成都せいと奇襲だの、江陵こうりょう戦線だのは、まだ気が早い話だ。

 そりゃ遠征の流れでそうなっていくのは、俺も注視してニヤニヤしながら見るつもりはある。

 しかし俺はまず任務は果たしたい。

 徐庶、このあたりには村落が多いって言ったよな」


「――はい」


「とにかく明日から、近隣の村落の様子や、どれくらい人間がいるか調べたいんだよ。

 焼くだのなんだのも、全部調べてからの話だ。

 調べもしないでいきなり襲いかかるってあんたら血に飢えた狼かなんかじゃないんだから、もうちょっと理知的になってよ」


 司馬懿は鼻で嗤った。


「まあ、確かに早急に蜀を動かしたい気持ちは否定はしない。

 私は膠着してる状況が嫌いでな。

 睨み合ってる輩が二つあると、どうもさっさとぶつけたくなる」


 思わず司馬懿を見ると彼も陸議を見ていて、紫闇しあんの瞳の奥がこちらを強く見据え、笑っているのが分かった。

 陸議は瞳を逸らす。

 早くお前が人を斬ってる姿が見たい、と瞳が言っていた。


「気持ちは分かりますが、堪えて下さい。

 とにかく村落の様子を調べ、築城について、協力を仰げるかどうか提案をしてみたい。

 司馬懿殿、面倒くさいなあーって顔自重してもらっていいですかね?」


「よく分かったな」

「郭嘉が俺と話してるとき時々同じ顔することがある」

「貴方は涼州騎馬隊がどのくらいの規模で残ってるのかは知りたくないのかな?」


「ああ⁉ なんだって? 今話が綺麗にまとまりそうだっただろ! 空気読めよ先生」


「いや。築城して、ずーっと涼州騎馬隊が出なくて、平穏無事に終わりそうだったら、ぶつからないまま帰るのかなあって思ってね」


「それはぶつかりたいって言ってんの?」


「司馬懿殿はどうです? 馬超ばちょうが蜀の劉備の許に行って、そのあとどのくらいの涼州騎馬隊が残ってるのか、知りたくないですか?」


「興味はあるな。

 賈詡。築城だけがお前の使命だと思うなよ。

 涼州には曹操殿も長年悩まされて来た。曹操殿の時は数多の敵が乱立し、方々に目を光らせて兵も割かねばならなかった故、涼州だけを相手には出来なかったのは分かるが、

 曹丕殿の治世が迫る今、敵は徐々に限られ定まって来ている。


 ここで涼州騎馬隊を壊滅させ、涼州を完全に支配下におくこと。

 今回の涼州遠征の最大の成果はそれだ。築城など、最低限の目的だ。

 曹丕殿下の治世でも、事あるごとに涼州から攻撃を受けてその対処に追われるなどという面倒を続けさせるつもりは私はないぞ。

 涼州騎馬隊の壊滅、もしくは帰順がこの遠征のもう一つの確かな目的でもある」


「分かっていますよ……韓遂かんすいとは連絡取りたいんだが、まだ連絡つかなくてね」


「韓遂は曹魏と協調してもいいと考えてるんだよね」


「殿下の話ではそうだ。実際奴とも話してみないと分からんが。

 しかし馬超と韓遂なら将としての格は馬超が上だと思うんだが、馬超についていかなかった豪族連中は涼州連合りょうしゅうれんごうとして韓遂にみんなついてるってことなのかな?

 馬超も存外、人望がないねえ」


韓遂かんすいに人が集まってるなら、余程潼関とうかんの戦いが効いているんですよ。

 貴方が手を汚したことで、我々が汚さずに済むかもしれない」


「郭嘉は貴方を誉めていますよ。つまらなそうな顔しないでください総大将」


「抵抗もなく涼州を明け渡されたら、どうしようかと思ってな」


「どうしようってどうするつもりよ! いいでしょ別に! 何にもしなくてコロッと向こうから転がり落ちて来たんだから! そこで使わなかった労力他で使えばいい! あんたたち賢いのになんでそんな戦うことしか頭にないのよ!」


「韓遂が率いる涼州連合が、涼州騎馬隊を全軍率いて投降してき来たら、蜀に派兵しようよ賈詡。蜀は騎馬隊が精強だ。涼州騎馬隊とぶつけて素晴らしい戦いを高みの見物したいなあ」


「投降してきたらな。して来たらだからな先生。まだしてもないっていうか姿すら見せてないからな。

 何なら今夜襲いかかってくるかもしれないんだからな。あんまり未来のいいことばっかり考えてニヤニヤしながら寝るなよ。

 これで奇襲受けて寝ぼけたまま殺されたらさすがに曹操そうそう殿と荀彧じゅんいくがあんたを怒るぞ」


「来るかな?」

「ワクワクするな」

「来るかな? 陸議りくぎくん」

「……えっと、」

「陸議にワクワクしながら聞くな。答えにくくて可哀想だろ。

 あんた涼州騎馬隊をなめるとホント痛い目見るからな」


「今日寝ない。起きて見てることにする」


「うん……。

 まあほとんどの奴が不安と緊張で寝れなくて起きて見てるんだろうけどあんたが言うと全然違う意味に聞こえるよな。なんか言い方罠を張って万全の状態でワクワクしながら獲物待ち構えてる猟師の言い方に聞こえるんだよな。

 何でなんだろうな……自信に満ちあふれ過ぎてんのかな? 

 先生ちょっとそのみなぎってる自信もうちょっと包み込んで隠しといてくれる? 

 あんまりそういうことされると軍全体があんたの影響受けて何の対策もないし未来どうなるかもわかんないのに『俺達絶対大丈夫』みたいな風潮になりかねないからさ。

 どっちかというと今俺達が敵の巣の中に入って来てる状態だから、もっと全軍怯えて緊張しといてほしいんだよね」


「自信漲ってる軍は空気がいいねえ」

「漲る根拠がねえから怖いんだよな」


「とにかく至急韓遂かんすいを捕ら……見つけて連絡を取れ」


「今確実に『捕らえろ』って言いかけましたよね」

「あまりに出てこないなら捕らえてでもいい連れてこい」

「……急がせましょう。韓遂さん自身の命のためにもな」

「じゃあとにかく、この数日中に韓遂と連絡を取り付けること、そして付近の村落の調査と偵察が優先だね」


「よし。ではな。

 私は自分の幕舎に戻る。何かあれば呼べ。

 陸議りくぎ。お前は賈詡と徐庶につけ。戦闘になるまでは私の許には戻らずともいい」


「はい」


 司馬懿しばいが出て行く。

 それを立って見送って、座り直し「おい」とすかさず、賈詡はつま先で郭嘉の足を軽く蹴った。


「ん?」

「なんでああいう時に俺を一人にするんだよ先生この野郎。

 あんたと司馬懿殿が結託したら厄介すぎるだろ。

 ああいう時は俺の味方してくれよ。分が悪いの分かっただろー」


「いや実際司馬懿殿の策は多層的に利点があったから」


「そうだとしても、ああいうところであんたが同調すると、あのお方も生き生きと『じゃあそれで行くか!』みたいな顔になってくるだろうが。

 歯止めが効かなくなったらどうしてくれんだよ」


「そこはそうなりそうだったら貴方が総指揮官として司馬懿殿と殴り合いの喧嘩をして序列を決めればいいんじゃないかなあ。貴方の方が上だと分かればあの人もきっと貴方の言うこと聞くようになると思うよ」


「決めるかっ! あの人が暗器あんきを服の中にジャラジャラ仕込んでるの知ってるだろ!

 殴った手になんかが刺さりそうなあんな人と殴り合いの喧嘩なんか絶対したくないね!

 先生、そういうことして俺を苛めてるとあんた今度総指揮執ってる戦に一緒に出陣した時、俺もあんたに反抗的な態度取ってやるからな」


「構わないよ」


 郭嘉かくかは微笑んだ。


「お……」


「だってそんなことは言っても貴方は賢い人だし、戦場で私情なんか優先するはずないからね。いざとなれば戦場では私の策に従ってくれるの分かっているから」


「今日なんかタチ悪ぃなあんた……なんだこれは涼州騎馬隊の夜襲の凶兆かなんかか?」


「来るかなあ~」


「来てほしくないからそういうことあんまり言うなよ。いいか、言葉には言霊っつって悪いことあんまり言ってると本当になったりするって俺の死んだばーちゃんがだな……」


「外が赤い。夕暮れだ。綺麗そうだね。

 賈詡、見に行こう」


「あ~! そんな薄着で出て行くな! これから夜だぞ! 上着! 外套! ちゃんと着なさい! あと! 人の話は最後まで聞け!」


 郭嘉と賈詡がいなくなり、幕舎の中には徐庶じょしょと陸議だけになった。

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